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 四回目ゲスト 小松純也さん(JYUNYA KOMATSU)
名前 小松純也 さん
4.ごっつえぇ感じ」終焉の真実
小松 にしても、『ごっつ』なんて番組を、よくぞ毎週毎週
やってたなぁとは思いますねぇ。
毎週、6、7本コントをつくって撮ってたわけですからね。
高須 ほんまやんなぁ…。
しかも、収録全部終わって、疲れてるところから
「さあ、来週どうしようか」って会議を始めてたんやもんなぁ。
小松 そうそう。
僕が演出やるようになってからは、スタッフみんなで
円座になって会議するシステムだったんですよね。
毎週毎週、タレントクロークの入り口で、
地べたに座り込むんですよね、スタッフ全員が。
高須 そうそう、廊下を占領するみたいにして、ずらっと。
小松 したら、楽屋に戻ってくる他のタレントさんがびびるんですよ(笑)。
タレントクロークの入り口塞がれてしまってるんですから
当たり前なんですけど。
高須 俺、当時ADやってた北澤に
「北澤、見てみ?昔、大将(欽ちゃん)が楽屋にスタッフ全員集めて
 会議やってたとか、朝まで延々何時間も打ち合わせしてたとか、
 いろんな伝説みたいな事を俺ら聞くけど、
 今、俺らが居るこの光景も、絶対誰かが覚えてて、
 語り継がれていくでぇ」って、笑い混じりで言うたもん。
不思議な絵やったなぁ。(笑)
ものすごい人数居るのに、みんなノートとペンを持っててさぁ、
スタッフの末端の末端までがメモ取ってんのよね、
松本とかの一言とかをさ。
小松 そういうやる気を、スタッフの末端まで行き渡らせるような、
空気があったんですよね、あの頃の『ごっつ』には。
「オレ達はモノヅクリをしてるんだ!」っていう空気を、
スタッフ全体が持てていたんだと思うなぁ。
……本当に楽しかった。
いつまでこんなん続くんかなぁ、続けられるんかなぁって、
思いながら仕事してましたもん。
高須 ほんまになぁ、毎週毎週、いつまでやれるんやろうって
俺も思ってたよ。
 
高須 そうして、ある時に、『ごっつ』は終わるよね。
小松はその時、どんな思いだったの?
小松 あれはちょうど
「エキセントリック少年ボウイ」のよみうりランドでのライブを
撮り終えてたタイミングでしたっけねぇ。
高須 あの「少年ボウイ」も名曲やんなぁ、ほんま。
奇跡みたいな曲やったよなぁ。
小松 あれもつくってる時、ほんまにおもしろかったですよね(笑)。
ボウイの歌詞は最終的に、
何かのロケでビッグサイト使ったときにね、その片隅で
僕と三木さんとでごしょごしょ〜っと詰めたりとかしたんですわ。
高須 コントから始まる歌っていうか、歌がコントになるというか、
それが俺には新鮮で、衝撃的やった。
小松 あの時、よみうりランドで少年ボウイライブをやって、
それで番組一本つくってから、ごっつスペシャルをやるっていう
流れだったかなぁ。
とにかくあの「少年ボウイ」やってる頃のタイミングって、
松本さんもごっつい気合い入ってて、
「勝負やーっ!」って感じでずっとやってはったんですよ。
高須 うん、確かに勝負の季節やったなぁ…。
小松 ライブの手前でスペシャルのコントも何本か収録してて、
それもまたええ感じでできあがってたし…。
僕は当時、『笑っていいとも』とかもやってたんですけど、
その流れで新番組を立ち上げる準備をしてたんですよ。
その編集中でしたねぇ……急に電話がかかってきて、
すぐに編集室にカメ(当時「ごっつ」のAD、 現SMAP×SMAPのディレクター)
が走り込んできて、
「小松さん、えらいことになりました〜」って、もう、青い顔…。
高須 例の、な。
小松

僕は「いや、それはすぐにおさまるやろう」って思ってたんだけど、
結局すぐにはおさまらなかった。
でも、「まー、そのうちおさまるわー」と思って、
ずーっと僕は総集編を編集しながら、騒ぎが収まって、
またレギュラーが収録できるようになるのを待ってたんです。
待ってたんですけどね(笑)、おさまりませんでしたな。

高須 …あの騒動の時ね、俺と木村さん(キム)が
松本に呼ばれたのよ。
新中野の中華料理屋に行ったんやったと思う。
「ちょっと…今回のコレはどうなんや?」って、
松本はえらい怒ってた…。
今やから言えるけど、松本はもう、
「番組、辞めようと思う」って言い出してね。
俺はとにかく「辞めるな」って強く言った。
一方で木村さんは、じっと松本の話を聞いて、ただ黙ってたな。
俺は、もうすごい慌てたのよ。
『ごっつ』を辞めれば、吉本的にもえらいことになるし、
多分俺らが思ってる以上にこれは大きなことで、
それは松本自身の怒りを使っての駆け引きをするとか
交渉ができるとか、そんなレベルの事じゃないと。
なにより、俺はもう、これ以上週刊誌とかにあること無いこと
ダウンタウンが叩かれるための要因を作りたくなかったのよ。
小松 分かります、うん。
当時、ホントにすごかったですもんね、書かれようが。
高須 で、絶対辞めたらダメだと松本をとめた。
したら、松本が言うたんよ。
「その場の感情だけで言うてるんちゃうから」って。
「……それはどういうこと?」って、俺が尋ねると、
「ちゃんと冷静に考えて、答えを出したことやから・・・」って。
小松 …はい。
高須 「俺がお笑いに対して、どれだけ強い想いを持って
 毎週『ごっつ』  を作っていたか。
 それを、今辞めることで伝えられるはず」って。
「きっと何年後かには、この事件が過去のものになって、
 『あぁ、あの時、だから、こんな決断をしたんだ』って、
 思ってもらえるようになる日が必ず来る。
 だから、今辞めることは、必要やねん。
 これから何年かはどうなるか分からんけど、でも、
 今、必要悪やと思うから」って。
小松 ……うん。
僕はね、一方でその頃、あんまりいろんなことを客観的には
考えられなかったんですよ。
だから自分自身のことだけになっちゃいますけど、
正直……『ごっつ』が終わるってなった時には、
ホッとした部分もあったんですわ…。
というのが、当時、ほら、番組そのもののリニューアルプランって
いうのが出ていて、それを実行に移そうとしてたでしょう?
高須 あったな、リニューアルプラン!
いや、あれは正直、すごい不安やった。
小松 言うたら、あの当時のテレビの状況へ「合わせる」方向性に
リニューアルしようとしてたじゃないですか。
で、その方針は他ならぬ松本さん自身が言いだしたこと
だったんですよね。
高須 そう、うーーーん、まぁ、
今までにない合わせ方をするパターンではあったけどね。
小松 でもね、僕は松本さん自身がそんなことを考えて、
それを実行に移すって決断してしまうような、そんなテレビの時代に
なってしまったのかなぁ…って思ってたんですよ。
それが、すごくつらかった。
高須 確かに…。
小松 で、そのリニューアルプランにうまく賛成できずじまいというか、
こう、ビジョンが見えないままのつらさを感じつつ、
実行に移そうとしていた時期でしたから、 その転身の寸前で、
いざ番組が終わるって決まった時には、
「あー、これはこうなる運命やったんかなー」みたいなことは
思ったりしたんですよ、正直。
高須 うんうん。
小松 あそこでリニューアルプランを実行して、 消耗戦をやってしまってたら、
もっとおもしろくなくなってたと思うんですよ、番組自体が。
うちの会社、フジテレビとしてはその部分はあまり関係ないかも
しれません。
会社としては、騒動の後も番組を続けて、
それでしばらくしてから、数字が落ちてきたバラエティってことで
「はい、数字が落ちてきましたから終わりましょう」っていう、
いわゆる番組の死に方としては老衰の…正当な手続きでの
終わり方をした方が良かったんだろうと思います。
ダウンタウンとのしこりも、そうすれば小さく済んだでしょうから。
でも、そんなことしてたら、そのタイミングまでに番組と
スタッフが全部ボロボロになってたとも思うんですよ、きっと。
バラエティってそうじゃないですか。
いつもいつも、ボロボロになって終わるしかない。
これが僕は一番腹がたってることなんですけどね。
あのまま『ごっつ』を続けていたら、間違いなくその道を
歩まざるを得なかったと思うんですよ。
で、一方では突きつめ続けるのが宿命の番組だったから、
辛くなってた部分もあったと思うんですね。
視聴者は、 「今が好き!この状態、気に入ってるよ」って楽しんでくれてるのに、
僕ら作り手は前に進んで行かなくちゃいけないからって
そういうお客さんと足並みを揃えて仲良くっていうのは考えられなかった、
置き去りにしていかざるを得なかった。
高須 最後の頃の『ごっつ』って、確かにそんなんやったかもしれんなぁ。
小松 だから数字が下がっていく。
こうすれば数字が上がる、アレをもう一回やったら数字が上がるって
分かってるんだけど、でも、当時のあの番組は
「前に進んでいこう」っていう、それだけで
支えられてるチームだったから、進むのをやめるわけにいかなかった。
高須 それがプライドみたいなところ、あったからなぁ…。
小松 そうなんです。そのイメージがものすごく強くあった。
だから、前に進むことと、同じことを繰り返してひよっていくのとを
いよいよ選択しなくちゃいけなくなってしまったんですね。
高須 本来は、その部分をバランス取りながら
進んでいかないといけなかったんだよね。
バランス取れてたら
「選ばなくちゃならない」苦しさとか、
ギャップのしんどさを感じずに
もっと長く生きていられたかも知れなかった。
でも…それがでけへんかったからこその「ごっつ」やったしなぁ。
小松 だから松本さんが
「前に進まず、客の望む場所で回ってく」っていうのを選択して、
リニューアルプランをやろうってなった時に、
「ああ、ひょっとしたら…」ってのは、
ほんの少しですけどあったんですよね、僕の中には。
だから、あの一件のタイミングで番組を辞める気持ちっていうのが、
ある意味すごく理解できてしまったんですよ。
だから浜田さんもきっと、それは感じてたと思います。
高須 そうやろな、うん。それはそうやと思うわ。
 
高須 以前、俺が『元気が出るテレビ』に『ごっつ』の数字が勝てない、
20パーセントが取れないって
すごく悔しがってた時、星野さんが、
「高須、それでいいんだって。
 ダウンタウンはブームになっちゃダメなんだよ。
 視聴率は15パーセントでじゅうぶん。
 20パーセント取って、ブームになっちゃったら、
 やりたいことできなくなってくんだから」
って言ったんよ。
当時の俺は若いから、その星野さんの言うてる意味が
分かれへんかった。
何を言うてんねん、そんなん負け犬の台詞やんか〜っ、って思って、
ただただ悔しかった。
ブームにならんかったら負けやんけ!って、ずっと思ってた。
……でも、今ぐらいになったら、その星野さんの言うてたことが
ちょっと分かるようになってきたんよ…。
小松 うん…そこらへんの星野さんの嗅覚は、ホントに
スゴイんですよねぇ。僕も、今なら、分かりますもん。
高須 あいつらをブームにさせてはいかんかったんかなぁ、とね。
小松 流行りもんにしてしまったらダメなんですよね。
飽きる客って言うのが生まれてしまうから。
高須 で、星野さんの言ってたこと、当たってたなあって。
後になって分かったなぁ。
小松 やっぱり「天下取りたい!」っていう意識、強くありましたからね。
僕ら周りにも、きっと本人らにも。
ほんで実際に15パーセントが20パーセントになっていって、
20パーセントがスペシャルで22パーセントになって、
それがレギュラーで18パーセントになったら
「数字下がった」って言われてね(笑)。
高須 なんやねんそれはっ、て話やんなぁ…。
小松 あの時にテレビってものを学びましたよねー、いろんな意味で(笑)。
18パーセント取って「数字下がった」って、
それで十分ええやんけっ、て思うんですけどねぇ…、
そうじゃないんですよねぇ、テレビの仕組みは。
高須 えらいもんやよなぁ…。
 
高須 突然打ち切り、ていう結論に対して、
小松は腹立ったりとか、そんなんゼロやったん?
小松 さすがにそこまで大人じゃなかったですねぇ(笑)。
エキセントリックのライブ、その後の総集編シリーズと、
僕一人で編集してたんですけどね。
その間はずーっと、なんか機嫌悪かったですもん(笑)。
高須 それは「ダウンタウン何してくれてんねん!」っていう怒り?
小松 いや、なんていうか、ダウンタウンに対して、というよりは…
ついてこない時代イコール視聴者と会社への怒りもあったし、
それに対する戦いを放棄する2人への憤りもあったし…。
憤りですから個人で完結するものではないでしょう?
でも、一方で客観的には個人に帰するものにならざるを得ないことも
わかってて…すごく複雑な心境でした。
でも、相当怒ってたんでしょうね、いろんな事に対して。
最終回のエンディングに南氷洋の、氷山の映像素材まで用意して、
「お笑い氷河期始まる」ってスーパーいれたろって 思ってたんですから 。
高須 そんなこと考えてたとは、松本も知らんのんと違うか?(笑)
小松 で、もう一つは、『ごっつ』第一回目のオープニングの
タイトルが出るところを、オンエアテープからそのままダビングして、
「この番組がいつか復活して欲しい」っていう気持ちを込める。
…結局は後者のパターンで、タイトルが出て終わるっていう
形にまとめたんですけどね。
僕なりに、希望を託したかった。
でも、その二種類をほんまに悩んでしまうぐらい、
僕の中では積み上げてきたものが壊れていく事への怒りと、
この破壊が未来への再生に向かうんだっていうところへの希望とで、
葛藤があったんですよ。
武内絵美
久保田智子
杉崎美香
中野俊成
そーたに
おちまさと
鈴木おさむ
鮫肌文殊
村上卓史
都築浩
三木聡
倉本美津留
かわら長介
海老克哉
小山薫堂
大岩賞介
佐々木勝俊
堀江利幸
町山広美
高橋ナツコ
松井洋介
宮藤官九郎
樋口卓治
渡辺真也
田中直人
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