放送作家として『カノッサの屈辱』や『料理の鉄人』などを手がけ、そこからあれよあれよと美食や文化を語れる人になっていった小山薫堂さん。若くして放送作家をとても上手に「卒業」していった感のある小山さんは、高須さんにとっても当時かなり興味深かったようです。多くの人が憧れてやまない「小山薫堂の生き方」とはどのようなものだったのか?なんともゆったりとした、上品な対談回となりました。
インタビュー
第1話
2001.09高須
俺、薫ちゃんと一緒に番組やった事って一回しかないよね。
小山
チロリンさん(現・毎日放送プロデューサー)の番組でしたっけ。
結構前の話ですよね。
高須
でも、それだけしか無いんよなぁ。
作る番組のタイプというか、毛色がお互い違うから、
当然といえば当然なんだけど。
その時に、少し話したぐらいだよね。
後はもう、廊下ですれ違うぐらい(笑)。
小山
「どうも~」ってお互い、頭下げるぐらいでね。
高須
だけど、もうそんなにテレビってやってないでしょう、薫ちゃんは。
小山
そうですねぇ。あんまりつくってない、かなぁ。
高須
なんでやらないの? 話はいっぱい来るでしょう?
小山
無いこと無いんですけどね。
高須
もう、おもしろくない? テレビという媒体は。
小山
いや、おもしろくないって言ったら違うんだけど……。
何て言うんだろう。あんまり自分に合ってない、
と思ったりするんです。(苦笑)
高須
でも、それ分かる気がする。
こないだ、アメリカ行く機会があって
機内で読むものいろいろ買っておこう、と思って、
『BRIO』っていう雑誌を買って読んだんよ。
したら、『小山薫堂の夏休み』とかって特集記事が
載っててさ。
小山
あぁ、やった、やりました。
高須
「どんな放送作家やねん!」と思ったよね~(笑)。
作家の中野くんが、その後、俺に言ったもん。
「高須さん、見ましたか?
雑誌のBRIOに薫堂さん、載ってるんですよ。
どうしてこんな事が出来るんでしょう!?」
って、一人でものすごい首を傾げてんのよ(笑)。
小山
どうしてこんなことと言われても(笑)。
高須
いや、他にもいろんな作家から、薫ちゃんのこと聞くよ?
そして、大概の作家が
「はぁ~、かっこよすぎるよなぁ、薫堂さんは……」って
溜息混じりで言っちゃうわけ。
あれは誰しもが、かなり小山薫堂のポジションに
憧れてるってことなんじゃないかなぁ。
小山
そんなことないでしょう!(笑)
高須
「いいなぁ。薫堂さんのこのスタイル。
ああ、あっち側っていいなぁ……」ってさぁ(笑)。
小山
その「あっち側」って言うのが変だもの(笑)。
高須
誰しもが放送作家っていう職業そのものに対して、
結構不安持ってるんだと思う。
それでどうしても、テレビの外で、他の表現をしっかりできてるって面で
薫ちゃんに倣いたい部分があるんだと思うよ。
小山
いやいや、僕は何もできてないですって。(苦笑)
高須
薫ちゃんは元々、どういう流れで放送作家になったの?
小山
大学時代に「文化放送」でアルバイトしてたんです。
高須
あ、もう学生時代からそういう現場にいたんだ。
小山
大学、関西に行きたかったんです。
京都の土地に憧れていて、日大芸術学部と同志社大学に
受かったんですけど、受験の時に「日芸」の
女の子の方がかわいかった。
高須
あらら。
小山
それでもう「やっぱり東京の方がいいぜ~」って
盛り上がっちゃって、それで東京の大学に来ちゃったんです。
そこでたまたま文化放送のアルバイト募集の話が
先輩からあって、受け継ぐ形で雑用係のバイトを始めたのが、
この世界に触れた最初のきっかけかなぁ。
高須
どんなことをするバイトだったの?
小山
番組の編集作業に立ち会ったり、番組にかかってくる電話を受けたり。
あとは出前頼んだり、コピー取ったり。
その時にコピー取ったりした台本を書いていたのが、
宮沢章夫さんとか、後は亡くなった加藤芳一さんとかで。
高須
錚々たるメンバーだ! すごい!
そういう人達と大学時代から付き合いがあったって、
すごいことだよね。
小山
その後、作家の長谷川勝士さんと仲良くなって、
当時長谷川さんは『11PM』をやってたから、
「君、やってみない?」ってことで関わった、ていうのが
作家としてのはじまり、ですかね。
高須
元々、テレビってものには興味があったの?
小山
最初は、コピーライターになりたかったんですよ。
高須
うっはぁ~らしいなぁ~、もしかして糸井さんとかに憧れた人?
小山
糸井重里、仲畑貴志……。
そういう人達になりたかった……かなぁ。
『萬流コピー塾』に投稿したこととかありました。
一回しか採用されなかったですけど(笑)。
何だったかなぁ…テーマはスコップだったと思うんだけど。
『掘るな。埋めろ。』とかっていうんだったかなぁ。
高須
でも、採用されたの、一回だけだったんだね(笑)。
小山
全然ダメだった(笑)。
高須
話を戻すと、『11PM』に入った最初の頃って
どんなことしてたの?
小山
最初はもう、台本の書き方も分かりませんから
見て、覚えましたね。
高須
あ、やっぱり誰でも最初はそんな感じでしょう。
台本の書き方なんて、教えてくれる人いないもんね。
弟子で誰かに師事してた、てことでもなかったんでしょ?
小山
そうですね、師匠っていう師匠は居ませんでした。
文化放送アルバイト時代も、台本のコピー取ったりする時に
「ふーん」って感じで読んだりしてましたから、
それで少しアドバンテージあったような無かったような、ぐらい。
高須
で、見てたら、これなら俺にも書けるぜ、とか思った?(笑)
小山
あ、それ、ちょっとあった(笑)。
じゃないと、こっちの世界へ飛び込んでないでしょうね。
高須
あるよね、そういう生意気な感じって。
で、台本の書き方を覚えながら、
いったいどんな新人作家時代を?
小山
俺、当時バイトで稼いだ金でしょっちゅう遊び回ってたから、
少し「小山は流行に詳しいヤツ」みたいになってたんですよ。
だから、『11PM』の中での最初の立ち位置は
「君、大学生の立場で意見してよ」みたいな感じ。
高須
うーっ、あるよねぇ、そういうのって!(笑)
言われる言われる、学生作家は絶対言われる。
だけど、薫ちゃんって、意外とその雰囲気を
維持したままで、ここまで来てるでしょう?
小山
って言うと?
高須
今でも、流行りもののことが情報として欲しい時、
しかも流行の中でも、とくに上質のものを、とかって時には、
そうだ、薫ちゃんに訊こう! って俺、思うもの。
明らかに、純粋な放送作家とは別の位置に立ってると思うのよなぁ。
マーケティングを理解している人間というか、
世の中の流れを見ることができる人、て感じがする。
その能力を使う場所として、たまたまテレビでしたっていう感じかなぁって。
だって、テレビ以外のことをすごくたくさんできてるやんか。
雑誌といい、ラジオパーソナリティーといい……。
それでも、自分の肩書きは「放送作家」でいいの?
小山
そうですね。一応は(苦笑)。
あ、だけど近々、ちょっとおもしろいこと始めるつもりです。
それをやりだすと、また肩書き違ってくるかもしれません。
高須
どんなことやるの?
小山
「どうすれば、僕たちの暮らしはより快適になるのか?」
をテーマにしたライフスタイルラボ、なんですが。
高須
ラボ!? 研究するってこと?
小山
そんな感じですね(笑)。
高須
すごいなぁ。
ライフスタイルコンサルタント、みたいなことかぁ。
小山
そんな感じで長ったらしく言い出すと、
放送作家よりもアヤシイ感じしますから、
ちょっと考えるところかな、肩書きって。
高須
まぁ、放送作家ってのも、世間から見れば
だいぶアヤシイんだろうけどね。(笑)
高須
子供の頃は、テレビっ子だったりした?
小山
んー、そんなにばりばり見てたって程でも無かったかなー。
高須
一番好きだった番組って?
小山
やっぱりドリフ、かも。
高須
あー、どうしてもそこはあるよなぁ、この世代には(笑)。
小山
半端じゃなかったですからね、当時の勢いが。
みんな見てましたし。
だけど、その笑いが今の自分自身に影響しているとは思わないです。
高須
じゃあ、影響を及ぼしてるような何かって、具体的にあるの?
小山
影響、ですか。
……あ、倉本聡ドラマの「間」とかって、あると思います。
高須
なるほど。
薫ちゃんの番組見てると、それもちょっと分かる気がするなぁ。
小山
あとはNHKの『未来への伝言』の
ナレーションタッチ、かな。
空気って言うか、流れって言うか……。
そういうので「いいな」と思ったものは、
意識してたりする。
高須
なるほどなぁ。
その後、糸井重里さんの『萬流コピー塾』の本を探してみたところ、
ありました。
「シャベル」の回に、小山さんのお名前が。
『今週の佳作』
211p ページ右下
小山薫堂
『掘るためだけのシャベルじゃない。埋めることだって……』
第2話へつづく
放送作家
小山薫堂 さん
放送作家。脚本家。1964年熊本県天草市生まれ。
「料理の鉄人」「カノッサの屈辱」「世界遺産」など、数多くのテレビ番組を手がける。
初脚本の映画「おくりびと」では、第81回米アカデミー賞外国語映画賞を受賞。
作詞や雑誌でのエッセイ連載など幅広く活動している。
執筆活動の他、企画プロデュースやアドバイザーなども行っている。