御影屋

高須光聖がキク「高須光聖×藤井健太郎」 第2話

まだ入社1年目の新人ADが出した企画がまさかの採用。いきなり初プロデューサー&初ディレクターを兼務しながら他の番組では底辺のAD業務の日々。記念すべき初番組の作家にと白羽の矢がたったのが、なにを隠そうこの私。まさかのオファーに戸惑いながらも、なんか面白そうだったので引き受けることに。その時の縁が巡り巡って、一緒に番組をしている。今最も芸人に信頼されているディレクターになった彼とテレビの熱い対談が始まる。
※この対談は2016年9月7日に収録したものです。

インタビュー

第1話

2017.12.11

8年ぶりの御影湯。

高須

じゃあそんな事で。照れくさいけど。
距離感(二人が対面しているテーブルの距離)も気持ち悪いやろ。
でもこういう事もないとゆっくり話をすることないし、特に藤井とは年齢差もあるから深い話もあんまりしてないし、飲みにも行ってないしね。

一昨年亡くなった渡辺(真也)ともこの御影屋のホームページで話してたからよかったけど、年下だしあんまりそんな機会がないのよね。
渡辺も結構後輩作家なのに、そのまた下やからね藤井は。

渡辺真也

放送作家。代表作は『めちゃ×2イケてるッ!』『はねるのトびら』 『くりぃむナントカ』『志村&鶴瓶のあぶない交遊録』などなど。 藤井健太郎演出『クイズ☆タレント名鑑』『水曜日のダウンタウン』の 作家としても活躍した。

藤井

(高須さんからすれば)僕はもう孫世代ですよね。

高須

そうそう。
なんかいい機会だからまた話そうかなと・・・。
そう考えると、最近話してみたい人が結構テレビにいてね。
このウェブも暫くアップデートもしてなくて、止めてた。
まぁその頃はもういいかなって、あまり聞くこともないかな?って思ったけれど、いろいろな人に「もうやらないんですか?」って結構最近言われんねん。

藤井

そう思いますよ。僕も見ていましたし、やっぱり業界の人間としては面白かったですから。

高須

そう、ああいうまとめたサイトがなかったのよね当時は。

藤井

そこを高須リーダーが中心となって。

高須

別にリーダーちゃうけどね(笑)。
昔(2000年以前)は放送作家同士が喋る機会もあまりなかったしディレクターとご飯行くのも、自分が仲いい人と懇意にする事はあっても、誰でも彼でもって事なんてないし、じゃあそんなのもええか、と思ってやり始めたわけ。
一時は盛り上がって「温泉行こう!」ってなった事もあって数回行ったけど、何度かやってみて、自分の中でそういうブームがスッと去っちゃった。

昔は(放送作家の)上の人に聞くのも、面倒くさいな、イヤやな・・・と思ったけど、この年になると「そうかー、秋元(康)さんにも聞いてみたいことあるし」影山民夫さんの同世代の高田文夫さんにも「ひょうきん時代」のこととか絶対に聞かんとあかんなと思ってね。
もっと言えば永(六輔)さんに聞きたかったなって。
でもこの前、永さんもお亡くなりになられて。

永六輔

放送作家/タレント。今回の御影屋収録前に83歳で逝去。 18歳でNHKラジオ「日曜娯楽版」に投稿を始め、NHKの「夢であいましょう」の放送作家を勤める傍ら、番組内で中村八大と永六輔で発表した「上を向いて歩こう」は「スキヤキ・ソング」として1963年ビルボードで一位を獲得。ラジオ、テレビなどの創世記を大橋巨泉などと共に支えた。著書「大往生」は200万部を超え、「咳、声、喉に浅田飴」のCMはあまりにも有名である

高須

テレビが60年ちょっとの歴史があって、その歴史を知っている人がおらんようになる、それは聞いておいた方がいいかーって俺ももう(業界入って)30年近くなるからね。

そうなると半分知らないから、そういう人たちに聞きたいなと思うようになってきて。
よしっ、リニューアルしようと。

でも、制作の(最前線の)現場にいるのは自分より年齢が下の人やし現場の子にも、あんまりそういう話を聞いてないなと。
じゃあ今誰が面白いかなと考えて藤井だったら近い(※番組の会議で毎週会っている)し再開一発目としてはいいかなと思って今日はお願いしたわけですよ

藤井

それはありがとうございます(笑)

高須

いえいえ、こちらこそ長い前置きにつきあって頂いて(笑)
で、話を進めていくけどそもそも藤井って何歳だっけ?

藤井

36になりました。いい年ですよ。

高須

36・・・俺が最初に藤井に会ったの26?

藤井

24ですね。ADの時。

高須

そうか。俺『放送室』でも言ってるけど、「若いADが高須さんの番組やりたいって言ってるんです」って聞いて「えー!そういう子がおるんや」って。
面白いからその仕事引き受けようと思って電話で返事したわけ。
だって24歳の子から会議やりましょうって言われる事ないから。
そういうのって経験やなーって思って会議に参加した訳やけど。
で、その時どう思ったの?

放送室

2001年~2009年までTOKYOFMをキーステーションに放送されていたダウンタウン松本人志と高須光聖のラジオ番組。2003年には「高須ちゃん生誕40周年祭り」と称した公開収録が日本武道館で行われるなど話題を呼び、番組が丸々収録されているCDBOXは週間アルバムランキングのTOP20に入り、20万枚が完売した

藤井

どう思った?(笑)

高須

だってそこそこ先輩の作家やで(笑)

藤井

まあ、仕事をする仲間という感じではないでよすね。

高須

どう考えてもそうやなー。テレビ(業界)入ってすぐやもんね

藤井

もう、だから出演者とかそっちのジャンルですよ。
テレビに多少出られてたりだとか、いち視聴者の時から、なんとなく存在を知っていた人だからこっちからすれば横並びのスタッフと言うよりはやっぱりこう・・

高須

そらそうやな!だって24歳のスタッフに横並びとかないからな普通24歳のADっていうたら、誰からも話なんて聞いてもらえへんし。
言ったって、雑用係やもんな。

藤井

雑用ですよ(笑)

高須

よく企画通してくれたよね。

藤井

だからスゴいですよTBSが。
僕、別にその時に何の実績もないですからね。
どんなもんが出来上がるかわからないのによくやらせましたよ。

高須

初めて会った時の、藤井の印象言っていい?

藤井

はい。

高須

「なんやコイツ・・・」

藤井

(爆笑)

高須

いやもちろん若いから気を遣ってくれてるなって言うのもあんねんけど、意外にガンコと思った。

藤井

へぇぇ・・・

高須

「コイツ、言いたい事はちゃんと主張してくるな」ってね。

藤井

でもまぁ2人で話しましたよね。基本

高須

そうそう。
でも「こういうのがやりたいって」言う気持ちは伝わった。
まぁ正直、企画はあんまり覚えてないねんけど(笑

藤井

ハハハ

高須

でも出演者が、渋めのキャストって感じがしたな。
そういうメンツ出してくるねやーって思ったな。

渋めのキャスト

『限度ヲ知レ(2004年)』 プロデューサー兼AD藤井健太郎が初めて企画した番組。 浅草キッド、板尾創路、ウエンツ瑛士、ドクター中松、蒼井そら ほか

藤井

やっぱやりたい事はあったんですよね。その時も。

高須

簡単に言うとどういう企画やったっけ?

藤井

えーと、『限度ヲ知レ』っていう番組で、「どこまで許されるか?」っていう世の中の物事の限度をドッキリ的に確認していくという。

高須

あーそうそう。思い出した。
だから今と近いよね藤井が好きなもの大抵わかるわ。
検証モノ好きやなーって思うのと、分野違いの対決は好きやなー

藤井

そうなんですよ。
結局今と好きな事が変わらないんですよ。そんなに。
だから「牛丼、〇〇抜きの限度」とか。
「ネギ抜きいける、肉抜きいける、米抜きいける・・・じゃあ丼抜きいけるか?」みたいな。

高須

そうそう。
テレビ入って1、2年のADにしたら面白いよね

藤井

この時、高須さんからクイズシステムの提案頂いたのをすごく覚えています。

高須

えーっ、なんやったっけ?

藤井

ロケ行った人がプレゼンターになって自分のロケからクイズを出題するっていう。
たぶん『Qさま!』より前にその形をやってたんですよ。

高須

それはありがたいねー。使ってもらった事もうれしいわ。

第2話へつづく

ディレクター

藤井健太郎 さん

1980年生まれ、東京都出身。立教大学卒業後、2003年にTBSに入社。『リンカーン』『ひみつの嵐ちゃん!』などの人気番組のディレクターを経て、『クイズ☆タレント名鑑』『テベ・コンヒーロ』等を演出・プロデュース。現在は『水曜日のダウンタウン』の演出を務める。

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