御影屋

高須光聖がキク「高須光聖×加地倫三」 第2話

『ロンドンハーツ』や『アメトーク!』などのヒットで、テレビ朝日のバラエティに新風を吹き込んだ加地倫三さん。「やるキッス」や「ブラックメール」など、数々のひりつく企画はいかにして生まれ得たのか?そしてテレビ業界、バラエティ全体が元気を取り戻すべく、加地さんが抱いていた強い思いとは……?ナインティナインさんとの絆や、芸人とディレクターと作家のプロ意識にもグッとくるものがある対談でした。
取材・文/サガコ

インタビュー

第1話

2005.09

「超がつくほどテレビっ子」

高須

はい、久しぶりのディレクター対談。
5回めのゲストはテレ朝の加地くんです。
テレ朝バラエティの未来を担う、若手演出家、だよね?(笑)

加地

若手なんですかね?(笑)

高須

若手でしょう! 歳、いくつ?

加地

36です。

高須

若い若い。十分若手! これからやん。

加地

そうですね。尊敬する先輩たちは、みんなまだまだ現役で
おもしろい番組つくってるし、そういう意味では若手でしょうね。

高須

加地くんもそんな先輩たちと肩を並べるような番組を
つくってるじゃない。ゴールデンで『ロンドンハーツ』をここまで
続けてこれてるわけだし。それは戦えてるってことでしょ?

加地

いやー、そうはいってもまだまだですよ。
なんだかんだで演者さんや作家さんに助けてもらいながら
ここまで来たんですもん。チームだから、そこは。

高須

だけど、やっぱり番組において演出するディレクターが担う部分は大きいよ。
今日はロンドンブーツとともに成長してきた加地くんの話を、
あらためてお聞かせ願えれば、と。

加地

酒もないのに、うまく話せますかね(笑)。

高須

ま、甘いものでも食べながら(笑)。

加地

なんだかあらためてこういう場になると、照れますねー。
『アメトーク』で今田さんがゲストに来たとき、
「話すことないって~」って宮迫くんが照れてた気持ちか、今なら分かるなぁ。

高須

まぁ、気楽に行こ行こ。

高須

小さい頃の話をまず聞きたいんだけど。
加地くんってテレビっ子だったの?

加地

それはもう「超」がつくほどのテレビっ子でしたねぇ。

高須

お。そんな風には見えなかった。そうなの?

加地

幼稚園の頃、月曜から日曜までに見ているテレビの絵を、
「お絵かきちょう」にずら~っと描いてたりしてましたからね。
んで、ごはん食べてるときはテレビを消すのが、
親のしつけの方針だったので、基本的にごはん食べるのがわずらわしいほど、
テレビ見たくて仕方ない子どもだったんですよ。

高須

そんなにテレビ見たかったんか!(笑)

加地

好きだったんですよねー、ほんとに。
でも、あんまりバカみたいに急いで食べると、これはまた親に怒られるので、
食事にコツを見出したわけですよ。

高須

ほうほう。

加地

うち、3人兄弟で、おかず類は大皿にドカッと盛り付けるんですね。
で、ごはんと味噌汁は個別に盛られるでしょ。
だから、おかずは食べずにごはんと味噌汁をとりあえずたいらげれば、
メシをちゃんと食ったように見えるという…!

高須

……子供の頃からそんな知恵、身につけるってどうなのよ(笑)。

加地

その頃ちゃんとご飯食べなかったから、
こんなに痩せ体型になっちゃったんでしょう。(183センチ・58キロ!)

高須

俺もテレビっ子だったけど、うちは実家が果物屋だったから、
親が遅くまで店のほうにいたんで見放題だったんだよね。

加地

えっ!高須さんの家って、果物屋なんですか?

高須

そう、御影屋って果物屋やねん。

加地

あー、それでHPの名前が御影屋なのか、なるほど。全然知らなかった(笑)。
それにしても、僕の立場とはまったく逆でうらやましい環境だったんすね。

高須

うーん、まぁ、親にかまってもらえない寂しさをまぎらわすって意味では、
商売人の子どもはどうしてもテレビっ子になっちゃうんじゃないかなー。
最近ではネットとかパソコンになっちゃってるかもしれないけど、
俺らの世代はやっぱりテレビやんね。

加地

そうですね、二十代前半くらいまではテレビっ子世代ですよ。
とにかく毎日毎日、必ず楽しみな番組があって。

高須

そうそう。テレビと深夜ラジオはもう、王道でさ。
俺、高校の時は自分の部屋にテレビあってさ、ミニテレビ。
先輩からもらってテレビで、これがもう至福の時を生み出すアイテムでねぇ。
部屋でずーっと深夜のエッチなテレビとか、おもろいバラエティ
一所懸命見てたわ。

加地

あーっ、俺もその口かも。さすがに部屋にテレビはなかったですけど、
親父がね、すごいもの買ってもってたんですよ。
知ってます? ラジカセならぬ「ラテカセ」っていうのが、昔あったの。

高須

あーっ、あったねぇ、そんなの!

加地

ラジカセにすごく小さいテレビ画面がついてて。
親父のだったんですけど、しょっちゅう俺使ってたんですよね。
何に使ってたかったというと、漫才番組の録音に使ってたんですよ(笑)。

高須

そっか、ちょうど漫才ブームの頃か。

加地

で、それ録音するでしょう。ラインから直接入力してるから、
雑音がまったく入らないんですよ。当時録音っていったら、
マイク使ってテレビから撮るのが一般的だったから、
その事がすごく嬉しかったというか、優越感がありましたね。
で、撮ったテープを繰り返し聴いて、漫才覚えて、真似して……。

高須

俺、尼崎だけど、加地くん出身は?

加地

僕は横浜です。

高須

横浜でも漫才とかって、子供たちがやってたりしたの?

加地

やりましたねー、学校の休み時間とかに。

高須

マジで? 決まった相方とかいたりしたの?

加地

いましたよ、一応。きっと尼崎ほど本格的ではないですけど。
僕らは文化祭とかで漫才大会とかはなかったですし(笑)。

高須

一所懸命見てたのは、ちなみにどの芸人さん?

加地

やっぱりB&Bと、紳助竜助、ザ・ぼんち。あとはさんまさんかな。

高須

あー、わかるなぁ。
加地くんはとんねるずも大好きなんじゃなかったっけ?

加地

もう大好きでしたね。
『お笑いスター誕生』で、「タカアキ&ノリタケ」の名前ででてきた時から
ファンでしたもん。「なんだ、この見たことない感じは!」って衝撃的で。
それが四週目で落ちた時なんて、ものっすごいショックで
「来週から、もう見る必要がない……」って落ち込んだくらいでしたよ。
その半年後に「とんねるず」になって再挑戦して10週勝ち抜いた時には、
「来た、やっぱり来た!」って大感激でしたね。

高須

やっぱりお笑い好きの血って感じやなぁ(笑)。

加地

でも、高須さんたちと違うところは、
好きは好きでもちょっとミーハーってところかな。
僕、お笑いは好きでしたけど芸人になりたかったわけじゃなくて、
タレントとか俳優になりたかった。

高須

ええっ、タレントになりたかったの!?

加地

そう、高校の頃、オーディションとか受けたりしたんですよ。(笑)

高須

おっ、オーディション!
裏方に興味があったんじゃなくて、演じるほうが先だったのか。
ちなみにどんなオーディション?

加地

えっと、菊池桃子の映画で『テラ戦士ΨBOY』っていう(笑)。

高須

わーっ、あったなぁ!

加地

あれの相手役オーディションで、結構いいところまでいったんですよ。
たしか残り15人くらいのとこまで。

高須

うお、それ、かなりすごいよね。結構な応募総数だったんじゃないの?

加地

だと思うんですよね。当時の菊池桃子っていったら、
そりゃもうかわいくて人気すごかったですからね。
ただのファンで、仲良くなりたかったってのが理由でしたけど。

高須

かわいかったよなぁ~確かに。
それにしたって……加地くん、意外な過去の持ち主やったんやな。
いやー、聞いてみないと分からんね。
そんなタレント志望が、なんでどうやってディレクターになったのさ?

加地

いや、まぁ、最終的には諦めきれず、
ホントにテレビが好きだったっていうのがあるんですけどね。

第2話へつづく

ディレクター

加地倫三 さん

1969年生まれ46歳
ロンドンハーツ・アメトーークの演出兼ゼネラルプロデューサー
他に三村&有吉特番、キリトルTVなどの特番も担当。

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