御影屋

高須光聖がキク「高須光聖×鈴木おさむ」 第2話

SMAPとの出会いが放送作家としての運命を変えた?そんな鈴木さんの作家としての歩みは、同じくダウンタウンとの出会いによって放送作家としての運命を形作られた高須との奇妙な共通点がありました。『スマスマ』や『笑っていいとも!』など、芸人とアイドルが背負う笑いの境界線にかかる話題もたっぷり収録しています。

インタビュー

第1話

2001.09

『夢で逢えたら』が大好きで

高須

昨日何時まで仕事してたの??

鈴木

えーと、朝の五時までですね。

高須

俺と一緒か。おさむがCXに居たのは知ってたのよ。
会議してる時に、外で声してたから。
三時ぐらいには帰ってるのかなーと思ってたんだけど。結局、朝の五時までやってたのかぁ。

鈴木

あれから、まだ別会議があったんで。

高須

それは悪いことしたなぁ。
この対談がなかったら、あと1時間は睡眠が取れてたのになぁ。

鈴木

いえいえ、そんなそんな。
ところで、これは一体どのような対談なんですか??
僕、なんにも知らずにただ来ちゃったんですけど。

高須

俺のホームページで、未来を担う優秀な放送作家の人たちに話を聞こうという趣旨で…。

鈴木

優秀な放送作家。(笑)

高須

今までに中野くん、そーたにくん、おちくんにお願いして、
いよいよ鈴木おさむ先生にと相成りまして…。
やはり、このあたりでおさむを入れなければ、とね(笑)。

鈴木

何言ってるんですか。もー、どんなイヤらしい話を今までにしてきたんですか?

高須

してないよ!

鈴木

やらしい事ばっかり言ってきたんでしょ、きっと。

高須

真面目やっちゅーねん。なぁ!?

-----

……(無言)。

鈴木

否定せーよっ。(笑)

高須

とにかく僕のHPを見てくれてる人達には「俺も作家になりたい!!」って人も多くてね、
そういう人達に向かって、少しでも作家という職業の参考になるようなことを発信できれば、
と思って、いろんな話をみんなに聞いて載せてみてる。
まずは、みんなにも訊いてきたことなんだけどおさむがどうやって放送作家という職業に
辿り着いたのかを教えて欲しいわけですよ。

鈴木

僕は昔から、お笑いが大好きだったんですよ。
特に『夢で逢えたら』がすごく好きで、あれを見て、
ああいうコントを作るような仕事に就きたい、と思ってて。

高須

そんな世代かぁ…。いつの頃にそう思ったの?

鈴木

それはまだ、『夢逢』が深夜だった頃ですね。

高須

じゃ、俺はまだ(番組に)関わってない頃か。俺は23時台に上がってからだから。

鈴木

とにかくあの番組の存在ってすごく大きかったですね。
で、どうしたらいいかなー、と考えて、とりあえず、
当時お笑いのライブとかに力を入れてた太田プロに
「作家になりたいんですけど」と言いに行ったんです。
そうしたら、当時ドリフターズとか山田邦子さんの番組を手掛けてらした
前田昌平さんて方が会ってくださって、こんなことを言われたんですよ。
「最近、若い作家がある企画を書いてきた。
 そこには“まず、トレンディ俳優がたぬきの着ぐるみを着ます”と書いてあった。
 そういうことは確かに実現すればおもしろいかも知れないが、
 俳優が着ぐるみを着る、という発想自体が、演者自体のキャラクターとかを
 全く無視したことであって、演者がその場でどう思うか、
 その企画に対してどう考えるかっていうのを、全く分かっていない企画なんだ。
 だから、お前が作家になりたいって言うんだったら、演者の気持ちが分かる作家になれ。
 そして、そのためには、まず芸人として舞台に出てみろ」って。

高須

へぇ〜、なるほど。

鈴木

それで、半年間舞台に立ち続けることが出来たなら、
その時は作家にしてやってもいいよ、と言われまして。

高須

えっ、じゃあ実際に自分でネタを作って、舞台でやってたの?

鈴木

ええ、ピン芸人として。

高須

アラー……それはキツイなぁ(笑)。芸名は「鈴木おさむ」?

鈴木

ええ、もう、そのままで。
恥ずかしい話ですけど、教えましょうか、ネタのタイトル。

高須

差し障りなければ。

鈴木

ネタのタイトル…【メロンの独り言】。(笑)

高須

ワッ! ……もうアカン!(爆笑)

鈴木

タイトルだけで、もうやばそうでしょ?

高須

なに? それはひょっとして、メロンのかぶり物して喋っていくの?

鈴木

観光物産展のメロンと化して、独り言を言うっていう…。

高須

あらー…これはまたシュールな(笑)。

鈴木

もー、えらくシュールな…(笑)。

高須

それで、その約束を、結局半年間やりつづけて、果たしたの??

鈴木

そうです、きちんと半年やりました。
で、その間僕は松村さんにすごくお世話になったんですよ。

高須

それって、バウバウの松村くん?

鈴木

はい。まだ松村さんが『電波少年』の司会に抜擢される前で、
高田文夫のモノマネが巧いって話題になってたような、ブレイク寸前の時期ですよ。
そんな松村さんが僕のことを何故かすごく面倒みてくれて…。

高須

飯おごってくれたりとか?

鈴木

飯どころか、遊びに連れて行ってもらったりもして、
太田プロの稽古場で最後にはネタ見せにつき合うっていうポジションで。

高須

あっ、それはそういう事のための必要要員やってんな。

鈴木

そうなんです。
松村さんのネタを一番最初に見て、似てる似てないを判断しながら
「おもしろいです、おもしろいです〜」と言うぞ、乗せていくぞーっていう。
でも、ホントによくしてもらってたんですよ。ご
飯もいつも奢ってもらって、すごく助かってました。
そんな風に芸人のひよっことして可愛がってもらいながら、
半年後には作家にしてもらったんです。

高須

そうして芸人をやりきって、作家になったわけだ。
でもなったからって、すぐに仕事が舞い込む訳じゃないよね?

鈴木

そうでもなかったですね。わりとすぐに最初の仕事はいただきました。
僕は二月に作家になったんですけど、その時にそのタイミングで、事務所が仕事をくれて、
それはTBSでやってた『加トケンテレビバスターズ』っていう、
『ごきげんテレビ』の後番組でした。
A群にはしっかりと実績のある作家さん達、B群には若手の作家達、という形で、
番組の作家陣が二組に分けられてて、僕はB群に入れていただいたんですよ。
それで毎週コントを何本か書くんです。で、それらを上の方がチェックする。
もしもそのチェックを通って、A群の方と志村さんや加藤さん等が参加する
本会議まで行ったならば、そのコントに対して一本2万円のギャラが出ます、っていう、
とてもシビアな環境だったんですけど、B群からコントが通るってことはもちろん、
そう簡単にはなかったですね。
とりあえずその仕事が一つと、あとはLF(ニッポン放送)で山田邦子さんの番組がありまして、
そのラジオ番組をやらせていただいて。最初の仕事はその二つでした。

高須

それは、滑り出しとしてはかなり恵まれてるんと違う?

鈴木

いや、でもラジオの方はもちろんノーギャラでしたし、
テレビの『バスターズ』は参加してから四ヶ月で終わっちゃいましたからね。
あとは、少ししてから『槇原敬之のオールナイトニッポン』を一年間、
こっちもノーギャラで手伝わせてもらって、てぐらいです。

高須

でも、そういうのってお金以上に大きかったりするよなぁ。
いろんな人に会わせてもらえるし。

鈴木

それは絶対そうですね。
おかげで、LFとの繋がりがすごく密に組み上げられましたもん。
後々の仕事の繋がりを、このタイミングで得ていたんですよね。
それって、金銭以上のことでしたよ。

高須

でも、そのノーギャラ期間中、生活はどうしてたの?

鈴木

僕はその時期まだ大学生で、親を騙し騙し、生活費は確保できてましたから…。

高須

あー、それもそれでノーギャラ仕事に専念できるいい条件と状況が揃ってたんやなぁ。

第2話へつづく

放送作家

鈴木おさむ さん

1972年千葉県千倉町(現・南房総市)生まれ。放送作家。
“パートナー・オブ・ザ・イヤー2009”受賞。
ドラマや映画の脚本、舞台の作・演出、ラジオパーソナリティ等、各方面で活躍。
著書に「ブスの瞳に恋してる1~4」「妊活ダイアリーfromブス恋」(マガジンハウス)
「芸人交換日記~イエローハーツの物語~」(太田出版)「美幸」(KADOKAWA)
「名刺ゲーム」(扶桑社)等。

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