御影屋

高須光聖がキク「高須光聖×鮫肌文殊」 第2話

作家デビュー以前の中島らもさんとの出会いから「電波少年」に至るまで。パンクバンドの大酒飲みは、いかにして放送作家になったのか? そして当時のテレビ、特にバラエティ番組が抱え始めていた数々のジレンマについて、深く、鋭く切り込んでいきます。狂いの先に見えるおもしろいを貫くことが、かっこよくも難しくなっていった時代の、とてもリアルなお話です。

インタビュー

第1話

2000.10

ほんまに酒好きよなぁ…。

高須

なんか、こうやって改めて「対談」っつっても、
自分の素性のようなものを話す機会って、初めてだねぇ。

鮫肌

これは素性を話すの? どんなことを話すの? 

高須

いや、もう、たらたらっと、自然に自由に。
放送作家になるまでの話とか、今の話とか、それから今後の話とか。

鮫肌

なるほどー。

高須

ところで、なんで「さめはだもんぢゅ」なの?

鮫肌

あ、まず名前ですか?

高須

俺、自分の名前が「みつよし」で、漢字をそのまま音読みすると
「こうせい」って読めるやんか。そしたら、時々
「あっ、構成と光聖でかかってるんですね、うまいなぁ」
とか言われて、がくっ、と来るのよ(笑)。
そんなひねりのないペンネームつけるか!でも、本名やし、
時々鮫ちゃんみたいなペンネームでやっといたら良かったなー、と思ったりするよ。

鮫肌

これね、漫画家を志した名残で。

高須

漫画家!?

鮫肌

なりたかったんですよ。絵書くの好きで。
で、『少年チャンピオン』に投稿したりしてて。
そしたら本名で投稿して、例えばちらっと名前が掲載されても
それはインパクト無くてダメだな、とか途中で思たんです。

高須

え。あのー、訊いたこと無かったけど、本名は?

鮫肌

いのうえひでき。

高須

あ、それはインパクト無い(笑)。

鮫肌

でしょ?(笑)それで、これは何か考えな、と思ってね。
たまたま当時読んだ『ブラックジャック』の中の話で、皮
膚一面鱗になった鮫肌の女がブラックジャックにどうにかしてくれ、
とやってくる話があって、なんかむやみに台詞に
「鮫肌が、鮫肌が」と出てきてたんです。
あー、これはまたインパクトのある言葉やなぁ、と思って
よしこれにしよう、と。
だけど名字「鮫肌」で、下が「ひでき」じゃ、それはまたあかんやろ、と思ったから、
広辞苑で言葉をいろいろ探して、結果「3人寄れば文殊の知恵」の
「もんぢゅ」を持ってきたという…。

高須

で、「鮫肌文殊」。
やっぱいいよなー、すぐ覚えてもらえるし、賢そうやし。
俺もそんいうのにしてたら良かった。

鮫肌

本名がだいぶひねってあるからええやないですか(笑)。

高須

そうかなぁ……そうなんかなぁ。

高須

さて、そんな鮫ちゃんが、放送作家に足を踏み入れたきっかけって何だったの?
そんなことから聴いていこうか。

鮫肌

えーと、きっかけは二十歳の時かな。
その当時、俺は『ビックリハウス』で賞を取ったり、本を出したりとかしてたから、
ある時大阪ローカルの若者向けの討論番組にそれがらみで出させてもらって、
そこで中島らもさんとお会いしたんです。そしたら、らもさんに
「今度オレ、自分の司会で新しく番組やんねん。
そこにブレーンで参加してくれへんか??」と言われたんです。

高須

いきなり?

鮫肌

そうそう、ホントにいきなりって感じで。
それが、よみうりテレビでやった『なげやり倶楽部』っていう番組で、
今思い出せば、それが最初の作家らしい仕事。
これは未だ伝説のカルト番組って言われてるんやけども(笑)。

高須

それって、どのくらい前になる?

鮫肌

1985年だから、もう15年前かな。

高須

その時は職としての「放送作家」は考えなかったの?

鮫肌

当時はまだ、物書きで食っていけたらええなぁ、という
漠然とした程度やったかなぁ。
そこまで明確には思ってなかった。とりあえず、大学行きながら
その番組でコントを書かしてもらったり、ネタ出しをやったりして…。
そのコントの台本も全部イラストで描いてみたりしてたなぁ(笑)。
4コママンガみたいにして描いて、それをみんながおもしろがってくれたり。
その『なげやり倶楽部』には、キッチュ(松尾貴史)さんも出演してはったり、
あと、ラジカルガジベリビンバシステムのメンバーが全員と、
いとうせいこうさんも出てたんですよ。
((注)少しですが、ダウンタウンも出演していました)

高須

今考えたら、すごいメンツやね。

鮫肌

ホントにびっくりするようなメンバー集まってて、
そんな連中でピーピーピーピーと放送禁止用語だらけの
コントをやってみたりとか、えらいことになってましてね(笑)。
また、これが深夜じゃなくて土曜日の夕方五時からやってたっていうのが、
もっとおかしな話で。
案の定、誰も見てくれなくて(笑)、1クール保たへんかった。

高須

そら保たんやろー。

鮫肌

でも、そこでいろんな人に知り合えてたんですよね……
後々お世話になるような、たくさんの人たちに。
だけど、そんなこんなで番組自体は十回ぐらいで打ち切られてしまったから、
知り合った人たちとも知り合っただけでそのままになってしまって。
で、後はもう、自由にふらふら〜としてました。
言うても、まだ大学生やったし。

高須

大学はどこ?

鮫肌

近大。

高須

四年制の大学に勉強して入ったんやから、
どっかちゃんと就職しようとか、展望は無かったの??

鮫肌

なんにもなかった!今でも覚えてるけど……
大学四年の夏休み明けてから、俺スキンヘッドにしてもーて、
それで学校行ったら、周りから
「お前、そんな頭で就職どーすんねん!」って言われて、
その時初めて、「あっ、みんな就職活動してたんか!」
と気づいたぐらいに、なんかのんきな人やったんですよ(笑)。

高須

丸坊主はあかんわなぁ(笑)。その当時はパンクバンドの方は?

鮫肌

やってました、やってました。
だから、大学生の頃はバンドの「捕虜収容所」ってのと、
地元のミニコミ誌のエッセイ書くのをずっと生活のメインでやってたかな。
バンドもすごかったんですから、今考えたら。
対バンの相手がボアダムスとか、少年ナイフとか…。

高須

すっげえ!

鮫肌

ボアダムスの流れの人たちからよく声かけてもらって、やったりしてたんですよ。
でも、いろいろやりつつも、全部がどっちつかずでね、
バンドのメンバーもそつなく就職していってしまって……。
またそれがパンクバンドなのに、
就職先がギターはNECで、ドラムは関西銀行やもん(笑)。

高須

(笑)。ええな、しっかりした安定人生のパンク(笑)。

鮫肌

で、大学出たら俺はフリーターやから、
なんっかバンド自体バランス取れずにギクシャクしはじめましてね。
フリーターとは言えど、最低限生活の分だけ働いて、後はもう何もせぇへん。
生活費と酒代だけを稼いで、家に居るーみたいな生活してたら、
アル中みたいになってしもて。

高須

鮫ちゃん、ほんまに酒好きよなぁ……。

鮫肌

酒は好きっ!

高須

鮫ちゃんが、夕方の会議に出てきて「おはよーう」言うたら、
明らかに酒くさい時あるからな。

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そんな飲まれるんですか?

鮫肌

毎日、大体焼酎のボトル一本あけるぐらい。
それでも減った方で。
最近はもう、酔っぱらうと自分が怖いから家に帰ってから一人で飲みますけどね、
昔は仕事帰りに外で飲んでてひどかった。二十代はひどかった。
ホンマ、しゃれになってなかった。
歌舞伎町で酔っぱらって、怖い人達と喧嘩になったりとか(笑)。

高須

やばいなぁ〜それ!(笑)

鮫肌

そんで、いよいよこれはやばいぞと思い始めて、とりあえず
家で飲むようにした。

高須

奥さんと飲むの?

鮫肌

いや、時間も遅いから勝手に一人で、自分の番組のオンエアチェックと、
お気に入りのパンクのビデオを見ながら……。
だから結局自分の番組のオンエア、いまいち覚えてないんよ(笑)。

高須

あかんやん!(笑)

鮫肌

ほんまにあかんのよ〜。
おとといなんか、あまりのパンクのビデオの出来の良さに
見ながらしびれてしまって、ついついボトル一本半あけてもて、
久しぶりに昨日一日、使いもんにならんかった(苦笑)。
会議行っても頭が回れへんのよ。肝臓が肝臓の形に痛むのよ(笑)。
で、昨日は『からくりテレビ』の会議やってんけど、そこでまた、
同じ飲んべぇの高橋さんって作家に「鮫ちゃん、行こうよー」と誘われて。

高須

行ったの!?

鮫肌

行ってしまいました……。でも抑えたよ? 焼酎の水割りを三杯程度で。
で、飲みに行こうが何しようが、普段は家に帰ったら絶対飲むねんけど、
昨日はさすがにそのまま寝ました。

高須

あかんよ、死ぬで。
俺、最近自分でも感じるもん、回復力無くなってきてること。
以前は、明け方まで飲んでも昼過ぎにはどうにか頭はっきりしてきて、
飯も食える状態まで戻せてたけど、最近は抜けないもん。
明日休み、と分かってなかったら、まず飲めない。

鮫肌

それでも、若い頃はもっとひどかったよ。
昔「キングトリス」っていうウィスキーの、でっかいボトルあったん知ってます? 
2リットルとか、それ以上あるでっかいとっくりの安ウィスキー。
金がないから、ああいう安くて量のある酒に流れて、
「これやったら一ヶ月保つだろ〜」と思ってホッとしてたら、
3日で空っぽ。(笑)

高須

マジかい!?

鮫肌

で、こんなんやったらアル中で死んでしまう!と、自分で自分が怖くなってね。
でも、それでも他にやることないから飲むしかない…の毎日。
二十歳から二十五歳で東京に出てくるまでの5年間は、ほんとにそんな感じで。

高須

その間、嫁さんは?

鮫肌

半同棲って感じで、二十歳から五年、一緒に住んでた。
食わせてもらってた感じです。

高須

奥さんも、それ偉いなぁ……。

鮫肌

「王将に飯食いに行くから、250円くれ」言うて、
そんなことだけで大ゲンカしてたりしてた。(笑)
迷惑かけっぱなしやったなぁ。
当時住んでたアパートが「幸福荘」って言うんですけどね、
家賃14000円で、明らかに廊下とか傾いてたんですよね。

高須

14000円じゃ傾くね〜。

鮫肌

サッシも外れてて、雨とか吹き込んだりして。今でこそ笑えるけど。

高須

そんな鮫ちゃんも、今や東京に一軒家を買って!奥さんも幸せなわけやね〜。

鮫肌

いやいやいやいや…。

高須

いや、なかなか居らんでぇ、家を買ったパンクなんて(笑)。

鮫肌

持ち家パンク!

高須

究極の安定パンク!でも冗談じゃなく、立派だと思うなぁ…。

鮫肌

あ、その「幸福荘」の話なんですけどね、まだあるんですよ。

高須

どんなん?

鮫肌

そこはポストが無くてね、これじゃ郵便物が届く時に困るなぁ、と。
だから自分の部屋の扉に、表札代わりに画用紙に「鮫肌文殊」って書いて、
イラストも描いて貼っつけようと思いたったんです。
そしたら郵便屋さんもここだな、と持ってきてくれるだろうと。

高須

ええアイデアや、うん。

鮫肌

で、早速画用紙に書いて、誇らしく画びょうで扉の表の真ん中に留めつけて
「よし!」と思って、部屋の中に入ったらね。
画びょうの針の先っちょがドア突き抜けて、部屋側にちょろっ、と飛び出してて。

高須

薄っ!!(爆笑)

鮫肌

ドアちゃうやんけ!ベニア板やんけーっ!! っていうね。

高須

さすが14000円の「幸福荘」やね。すっごいなぁ〜。

鮫肌

例えば、朝。みんなが仕事や学校に出かけそうな時間に
じっと聞き耳を立てても、「幸福荘」中、誰も出かけるような
音がせえへんのですよ。し〜ん、としてて。
つまり仕事に行ったり、学校に行ったりするような連中一人も住んでへんねん(笑)。
年金生活のじいさんばあさんとか、どうしようもない若者とか、
そんな住人ばっかりで、結果誰一人「幸福」ではなかったらしい(笑)。
もちろん俺もその一人で、ホントに二十五歳までそこに住んでた三年間は
「なんとなく生きてる」って感じでした。

高須

幸福荘の時代、たまのバイトって何をしてたの?

鮫肌

ビルの清掃とか。

高須

あっ、俺もやったやった。ポリッシャーの使い方とか、手慣れたもんよ(笑)。

鮫肌

俺もやりました、やりました。
放送作家でポリッシャー使える人って、多いですよね。

高須

とにかく時給のいいバイトに流れてたなぁ、学生時代は。
あ、俺、ファッションマッサージの店長候補になったこともあるな(笑)。

鮫肌

なんですか、それ?

高須

大学の先輩から受け継いだ伝統の高額バイトでさ、当時で時給1200円。
めっちゃ高かったの。その店はのぞき部屋とファッションマッサージが
一緒になったようなお店で、そういうのは当時大阪では珍しかったんよ。
だから、お客さんもいつもいっぱいで、女の子も結構かわいい娘が揃ってたし、
かなりの人気店だったなあ。

鮫肌

店長候補は、具体的にどんな仕事をするんですか?

高須

コースの案内係。それとたまに、ライバル店の調査。
近くの、別の風俗店に客として行って、どんな店内で、
どんな女の子が居て、んなサービスで…というのをチェックすんのよ。
その時間も時給は出るし、おまけにそのライバル店に入る金も経費で出て。

鮫肌

それ、すごくいいじゃないですかー。

高須

いや、でも、やっぱりイヤなことも多いんよ。
もちろん自分がどっかの店のバイトで潜入調査中ってことがばれたら、
それなりに怖〜い人が出てくる時があるらしいし、案外大変。
気ぃ遣いっぱなしよ。
おまけに自分の店では女の子の使いっ走りみたいなことやらされて、
それがたまらなく恥ずかしいのよ。
それこそ「お客さんに下着売っちゃったから、買ってきて〜」って言われたら、
それはご希望通りの下着を買いに行かなダメだし、
「生理用品買ってきて〜」って言われたら、
男一人で薬局に買いに行かなきゃだしで、もー恥ずかしいったら無かった。

鮫肌

時給が高い分、それはそういうことはあるでしょうねー。
つらいなぁ、ちょっと。

高須

で、そのうちもう一件、姉妹店を出すから「高須君、店長どうやー」って、
そこの店長さんに言われて「儲かるでぇ」と笑顔で言われてしまって。
それでもう、こんなんで一生終わるのはやばい! と思ったから、
その話を断って、そのバイトも辞めて、『カンテグランデ』に移って、
まともなことで一生懸命稼ごうと思ったわけ。

鮫肌

そのカンテグランデで、いろんな出逢いがあったんでしょう?

高須

そうそう。トータスやケイスケ、ジョンBらの
ウルフルズメンバーにはじめて会ったのもあの店だしね。
彼らに限らず、プロを目指してるバンドの連中や、ダンサーや役者くずれ、
それにデザイナーやカメラマンのタマゴとかがあの店にはたくさん集まってたから、
それに刺激されたってのは確かにあった。
俺もすごく「映画撮りたい!」って思ってたし、
同じように映画を志してる芸大のお客とかも多かったりして…、
とにかくあてのない夢だけが膨らんでた。
でもそれが、いつか実現できそうな根拠のない自信だけは、なんかあって…。
いずれにしても、その夢を実現させるのにカンテって存在は俺にとっては大きかったなぁ。

カンテグランデ

大阪にあるチャイとケーキ、他諸々がおいしいお店。 ウルフルズの「大阪ストラット」の歌詞にも出てくるステキなお店です。

第2話へつづく

放送作家

鮫肌文殊 さん

1965年神戸生まれ。放送作家。
『世界の果てまでイッテQ!』(日テレ)などを担当。
『テレビ裏語録』(毎日新聞)などTV関係のエッセイ連載も多数。
昭和歌謡全般のディープな知識を活かして
『決定!レコ歌ベストテン』(毎週木曜20時・中央エフエムにて生放送)
パーソナリティや、
レギュラーパーティー
『輝け!日本のレコード大将』(毎月第2金曜・渋谷オルガンバー)
『歌謡曲主義』(毎月第3火曜・恵比寿頭バー)
をはじめ、DJとしても神出鬼没に活動中。
関西伝説のパンクバンド捕虜収容所の無冠のボーカリストでもある。

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