御影屋

高須光聖がキク「高須光聖×松井洋介」 第2話

大阪時代からの後輩にあたるチャダこと松井さんが対談相手ということで、いつもよりも砕けた関西弁が飛び交う元気な回です。ダウンタウン浜田さんとのドラマティックな再会がなければ、松井さんの作家人生は閉ざされていた? そして『ワンナイ』や『トリビアの泉』が高視聴率を叩き出していた時代のコントに賭けた熱い思いや、抱えていた矛盾とは? 真夏の対談は、熱を帯びました。
取材・文/サガコ

インタビュー

第1話

2003.09

級友 森脇健児くん

梅雨が明けたと思ったら、いきなりの猛暑。
太陽ジリジリ、風さえも暑い真昼。
都内にあるとある事務所で、この対談は幕を開けた。
エアコンが涼を運んで、じ~んという機械音をたてる中、
その男はただ一人
だらだらと汗をかき続けていた。

高須

あのさ……松井くん、始めていいかな?

松井

はいっ、もう、なんとか……汗も止まりまして。

高須

いや、止まってないよ。だらっだらやん、垂れてるやん(笑)。

松井

大丈夫です、大丈夫ですよ。

高須

どえらい汗ですけど(笑)。

松井

でも言うときますけど、外が熱かっただけで
この汗は太ってるからやないですよ(笑)

遅刻した松井さんは、地図を見間違え、迷子になっていた。
炎天下の中を走って走って、どうにかこうにかこの場へ
やってきたのだ。
頭のてっぺんからぼたぼたと落ちる汗、汗、汗。

高須

じゃあ、本人いわく大丈夫らしいので、はじめましょか。
松井くん、通称チャダ。いまや松井大先生ですよ。

-----

チャダっていうのは随分知れ渡ってるニックネームですよね?

松井

ですね~。
大阪でラジオの『ヤングタウン』のバイトをしていた頃に
毎日放送のチロリンさんに「インド人みたいな顔」って言われて、
そこから「インド人=チャダ」ってことで、
そのまま定着してしまったんですよ。
特にオチはないんです。パッと言われて、ずっとそのままなんです。

高須

そんなチャダですよ。大先生ですよ。

松井

いやいやいや。

高須

俺は、三木さん(作家の三木聡氏)と、
「作家で頂点に上りつめるヤツは誰だ?」って話をしたことがあって、
その時に
「やっぱり生き残るのは、チャダやな」という結論になりました(笑)。

松井

その根拠が僕にはまったく分かりませんのですよ。
それを聞いた時、
ああ、この先輩達はこうやって後輩をバカにしつつ~、
自分たちのポジションをしっかりと確認してはるんやなぁ~とばかり(笑)。

高須

そんなんじゃないって!
なんだかんだで、この過酷な業界を生き残っていくのは、
チャダのような人間であると。僕らは真剣にね。

松井

一個も根拠ないじゃないですかっ。

高須

それよ! それを今からはっきりさせていくわけじゃないですか。
さあさあ、遡って聞いていきますよ。

高須

まずはこの世界に入るきっかけから。

松井

きっかけですか。

高須

すごく有名なタレントさんと、友達になったところから…なんだよね?

松井

そうですね。大学に行ったらですね、
森脇健児くんがあ! いたんです(笑)。

高須

そんなでかい声ださんでも(笑)。

松井

僕もビックリしましたよ。ホントにたまたまなんですよ?
行ってみたら、森脇くんとクラスが一緒で……。

高須

って、ちょっと、汗だくすぎるって、も~!
したたってる、テーブルにしたたってるよっ(笑)。

松井

えっ? ああっ!
(ティッシュだけでは汗を拭えず、タオルを差し出される松井さん)
もう、これ…すんません~。
(ふきふき…ふきふき)
でも言うときますけど、外が熱かっただけで
この汗は太ってるからやないですよ(笑)。

高須

誰もそんなん言うてないって!(笑)

松井

それでですねー、えーと、当時はまだ森脇くんもタレント活動とはいえ、
ラジオのレギュラーを持ってる程度で、まだまだ若手で。
僕は、そのラジオ『ヤングタウン』をよく聞いてたんですよ。
それで「あぁ、ラジオやってる森脇くんや~」って思いつつ、
普通に仲良くなって、遊んだりするようになったんですね。

高須

そんな生活がしばらく続いたのね。

松井

ですね。僕は中学高校と寮生活だったんで、
情報源がラジオしかなかったんですよ。
寮はテレビなんて自由に見られないから、
深夜のラジオとかだけが外界との接点、みたいなところがありました。
ラジオからタレントさんが喋ってる中に、『ヤンタン』とかだと
「今、バイトの○○くんが~」って会話がはさまったりするでしょ。
それはもう、すごく夢があるわけです(笑)。
「くぅ~、楽しそうやなぁっ」って……タレントさんに名前呼ばれて、
アルバイトできるなんて夢のような世界だったわけです。

高須

うんうん、わかるわかる。

松井

そうして大学いってみたら、実際に『ヤンタン』に出て喋ってる
森脇くんがいて、ここはひとつ、その『ヤンタン』のバイトを
紹介してもらえないか? ってお願いしたんですね。
そしたら、いいよいいよ~って言ってくれて、そのまま
『ヤンタン』の、たくさんいるバイトの中の一人におさまったんですよ。

高須

あれって、ラジオのADみたいなもんだよね?

松井

そうですそうです。
コピー取ったり、リスナーからの電話応対したり……。

高須

このへんから、チャダのドラマティック人生が始まっていくのよねー(笑)。

松井

はじまりましたねぇ(笑)。
そうして、いざバイト始まったら、もう楽しすぎて楽しすぎて。

高須

『ヤンタン』はアイドルとか結構来るもんね。
そりゃ楽しいよなぁ~!
芸能界がすぐそばにあるんだもん。
チャダが見た中で、今でも覚えてるアイドルって誰?

松井

印象深かったのは、原田知世ちゃん!

高須

原田知世! びっくりした?

松井

生で見て、びっくりしましたよ~。
彼女が飲んでいったジュースの紙コップが収録後に残ってたんですよ。
それを誰が自分のものにするか、っていうので……(笑)。

高須

そういうの、めちゃめちゃ楽しいよなぁ(笑)。
変な話、コップ舐めた?

松井

そうっすね……でも僕はやってないっすよ!
ジャンケン負けましたから(笑)。

高須

うはははは!

松井

まぁ、そんなミーハーな大学生でしたねー。
バイトが楽しすぎて大学あんまり行ってなかったから、
3年から4年に上がるときに、留年が決まったんですよ。
で、それを親に報告したんですね。
「すまん、留年した」と。
そしたらですね、父親がちょっと、激怒しまして。
「そのバイトを辞めるか、家を出ていくか、どっちかにせぇ!」と言われて。

高須

実家出て行け、と。

松井

そんなん言われたから、僕は
「じゃ、家出ていきます」ってことで、実家を飛び出したんです。

高須

かっこいいな~、これ~。決断したわけだ。
これがまず、最初のドラマティック、と……。
それでそれで、その後は?

松井

結局、学費も稼がないといけなかったんで、
昼間はレンタルレコード屋のバイトをして、夜は『ヤンタン』っていう
あんまり大学行かない生活を続けていましたね。
当時、既に『4時ですよ~だ』がはじまってたんですけど、
その番組の構成やってた岡崎さんに顔を覚えてもらってまして……。

高須

あぁ、岡崎さんは『ヤンタン』もやってたからなぁ。

松井

それで、岡崎さんとか上の人達で
「『4時』のADが足らんから、チャダはどうやろ?」
みたいな話があったのかな?
流れはよく分からないんですけど、それで僕は呼ばれて、
『4時』のADもやることになったんです。

高須

俺とチャダが出会ったのはその時代だから、
今更こうやって話してるのって、
なんか気恥ずかしかったりするよなぁ(笑)。

松井

ほんまですねぇ(笑)。

高須

あの頃は、よぉ買い出し行かされたよな~。
餃子買いに行かされたり、ハンバーガー買いに行かされたり。

松井

ありましたねぇ。

-----

お二人にもそんな時代があったんですね。

高須

あったのよー、これが。
餃子とか全員分買いに行かされるんやけど、
これがいざ現場に持っていくと、
俺らまで食べる分が回ってけぇへんねん(笑)。
上の人達が食べるのをずーっと見てて「早よ回せやぁ!」とか
心の中でものっすごい怒りながら、じーっと我慢してて……。

松井

そうそう、そうでしたねぇ。

高須

まぁね、会議室に持っていく前に、
買い出し連中はみんな食べてんねんけどね(笑)。

松井

食べてました(笑)。
これは、もう今だから言えますけど…
みんな会議戻るのめんどくさいから(笑)。

高須

めんどくさい、めんどくさい(笑)。すっげぇ戻りたくなかったもん。

松井

だから餃子とかは……持ち帰りにする間に、
定食にして食べてましたもんね、店で(笑)。

高須

えええええ~っ!
って、俺もマックでハンバーガー食ってたけど(笑)。

松井

あははは!

高須

戻るのめんどくさいから、みんなでダラ~っと、店で時間潰すのよ。
買い出しの分とは別に、ハンバーガーとか追加で注文して、
各々食べて、経費でまとめて落としてね(笑)。
「なぁ、どうする~?」
「んー、さすがにそろそろ戻らんとあやしまれるんちゃう?」
とか言いながら、かったる~く戻ってたりしたなぁ。

松井

ほんで、2丁目の上に上がるエレベーターの中で
みんな口周りをお互いチェックするんですよね(笑)。

高須

あーっ、やったやった!(笑)

松井

息をハーってやって、「ニンニクくさないか?」
歯をこうやって……口ひらいて見せて「ネギは挟まってないか?」
アホでしたよねぇ~(笑)。

高須

あんなん、絶対ばれてたよなぁ!?

松井

ばれてたでしょう、そりゃあ(笑)。

高須

本番の前に、必要な小道具とかも
買い出しに行かなあかんかったりするやん。
そういう時は、必ず百貨店の地下行って、メシ食ってたもん(笑)。
んで、領収書はいっしょにまとめてもらう。

松井

うははは! まじっすか、そこまで(笑)。

高須

やってたなぁ、若かったもん。懐かしいわー。

高須

で、『4時』という番組が終わって。その後ってどうしてたの?

松井

そのあと半年くらいは、いろんなテレビのADのバイトを
したりしたんですけど……なんていうんでしょう。
やっぱりおもしろいこととかを考えることの方が
楽しいなぁと思ったんですね。

高須

その頃に、何かのタイミングでチャダは俺に
「高須さん……僕、作家になろうと思ってますねん」って
一言、聞いた覚えがあるのよ。

松井

ほんまっすか、僕、そんなん言いました?

高須

言った言った。ちょうど『ごっつ』が始まる前くらいかな。
ちょうどチャダ自身が、東京出てくる決心をしたくらいの頃じゃないかな?

松井

あぁ、大阪から東京に向かうときに、
確かに何人かの方にそう言ってご挨拶しましたね。
その頃は僕、越前屋俵太さんの番組のADを大阪でやっていて、
その現場でツマガリさんって方にお世話になってたんですけど、
その方にいろいろ相談してるうちに
「東京に出た方が、おもしろいこと考えるにはいいかもなぁ」って
思いだして、ツマガリさんにも勧められて……。
それで東京出てきたんですよ。

高須

東京では最初、ラジオ? テレビ?

松井

ツマガリさんの所属してる事務所が東京にあって、
そこへ紹介してもらったんですけど、
音楽番組をたくさんやってる会社だったんですね。
それで、最初は演歌番組とかやってましたねぇ。

高須

へえ、音楽番組! 演歌かぁ。

松井

ぶっちゃけ、ここまでの道のりだって、言うたら「運」だけですよ。
大学に行って、森脇健児に会ってなければ、
そんなことで東京来たりはしてなかったでしょうし。
ここからは、更に「運」がまた…
すごい「運」がやってくるわけですけども。

高須

そうやねん、チャダドラマティックは、ここからがすごいんだよねぇ。

第2話へつづく

放送作家

松井洋介 さん

1965年生まれ
現在の担当番組
・「さんまのお笑い向上委員会」
・「ぐるぐるナインティーンナイン」
・「ネプリーグ」
・「ナニコレ珍百景」
・「マンフト」
・「さまぁ〜ずのご自慢列島ジマング」
・「PS純金」

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