『ウンナンの気分は上々。』や、一世を風靡した「未来日記」のディレクションを手がけた杉本達さん。高須さんとのタッグでドキュメンタリー要素を多分に含んだ企画を多く撮り、ヒットさせた彼はいかにしてディレクターへの道を歩んできたのか?若かりし日の苦労話、名優・松田優作さんとの思い出から、「人の心」を見せる演出へのこだわりまで余すところなくうかがいました。
取材・文/サガコ
インタビュー
第1話
2001.01高須
さあ、ディレクター対談1回目ってことで、まずは近所のお手軽な人から
済まそうかってなもんで、今日は杉本ちゃんに来ていただき……。
杉本
おいっ!(笑)
高須
あ、うそうそ。(笑)杉本ちゃんは、えーと今、未来日記とかで有名な
『ウンナンのホントコ』で一緒にやってて、演出家、ですね、肩書きとしては。
杉本
まぁ、そんな感じで(笑)。
高須
こないだの『映画版未来日記』では監督やったからね。調子こきすぎやな(笑)。
杉本
キミはゲストを迎える意志が無いのか!?(笑)
高須
ごめん、ごめん、うそうそ、ちゃんとやるって(笑)。
高須
う~ん、何から聞いていこうかな。
じゃあ、やっぱりまず、この業界に入るに至った経緯とか聞きたいかな。
杉本
そんな手前のことから話すの!?
高須
そりゃそうよ。
このHPを見てる人には「テレビの世界で頑張りたいっ」
て若者が多かったりするのよ。で、その人らが知りたいのは、
何をどう創ってるかって現状・裏話ももちろんあるだろうけど、
それよりも「どうやってこの世界への足がかりを得たらいいのか?」って
始まりのきっかけみたいなことに結構興味あったりするみたいでね。
杉本
まぁ、入り方のマニュアルなんてあって無かったりする部分、大きいからねー。
高須
そういう意味でも杉本ちゃんの経歴はだいぶいい加減だったり
うさん臭かったりするからさ?
杉本
うさん臭いって、どういうこっちゃ!?(笑)
まぁ、たしかに無茶苦茶やってるから、
そう言われても「そうかなぁ」て感じはするけど。
高須
とにかくそういう情報というか、
歴史みたいなものがこの世界を目指そうとする人達にとって
「なるほど、こんな可能性もあるんだ」と思ってもらえる指針に
なったらいいと思うんで。もうなんでもええから、早よ自慢せぇよ!
杉本
うっさいわっ、そんなん言うんやったらオレ帰るぞ!(笑)
高須
ああっ、待って待ってっ!(笑)
高須
まず出身は京都?
杉本
出生から話すんか!?
高須
ええから、もう! こっちで編集するから(笑)。
杉本
頼むで、編集。がんがん話していくからね。
そうそう、京都出身で、一人っ子よ。
中学生の頃とかは漫画家になりたかった。
高須
そうなの!?
杉本
そう。最初から映画とかテレビとかの映像に興味があったわけじゃなくて、
漫画家になりたかったんよ。手塚治虫になりたくて。
高須
手塚治虫!?
杉本
今でも家に手塚治虫の本、いっぱいあるもん。
で、なりたかったんだけども、だんだん時代が進んでくると結構いろんな
漫画家が台頭しはじめたわけ。
例えば『翔んだカップル』とか『マカロニほうれん荘』とか『ドカベン』とか
凄い漫画がいっぱいあって、こりゃ勝てないと思ったんやな。
高須
はやっ、もう挫折か!?(笑)
杉本
うん(笑)。
まぁ、子供の遊び半分の領域を出てなかったし、実際道具とか買って、
ペンとか墨汁とかで書き出すと、もう面倒くさくてね、実質の作業が。
そういうのに辛抱できるタイプじゃ無かったのよ。
で、方向性を変えて、高校生の頃から派手なバイトをはじめた。
高須
家庭環境がちょっと複雑で、自分で自分の生計を
既に立て始めないとダメだったのよな?
杉本
そう。水商売やりながら、高校通って、できたら大学にも行きたいなと
思ってた。でも四年制の大学行っても何にも身につかないかな、
というのもあった。だから専門学校に行こうと思ったわけ。
で、いろいろとパンフとか見て、どんなところに行こうかなぁと思ってたら、
映画とかテレビの映像の専門学校があるのを知った。
で、自分の能力とかをいざ振り返ってみたら、やっぱり美術とかイラストとかは
得意で好きだったし、映像関係ならそういうのを活かせるんじゃないか、
と考えたわけ。というわけで、18歳にして学校通うために上京。
「にっかつ芸術学院」ってとこに入ったわけですよ。
高須
そうか、一回東京に出てきてたんやな、その頃に。
杉本
でも東京に出てきたは良いけど、とにかく金が無かった。
だから学校行くために新聞配達をやったのよ、俺。
高須
マジで?
杉本
知ってる? 新聞奨学生、ていうシステム。
朝刊、夕刊の配達、折り込み作業から何から全部やって、
専門の寮みたいなのに住み込んだら、学費を全部新聞の会社が出してくれはる。
高須
いや、学費出してもらえるのはありがたいとしても、そんなハードで体力保つんか?
杉本
保つことは保つけど、ひたすら眠いねん!
朝早いし、でも18歳ぐらいやから夜更かしするし、遊んでしまうし……。
結局それでだんだん学校に行かなくなってしまって。
高須
本末転倒や。(笑)
杉本
そう。んで、これではあまりにもやってること全てが無駄やから、
専門学校の先生の所に行って
「もう、こんなんやったら無理なんで、学校辞めようかと思います」って言った。
そしたら先生に止められて「僕が割のいいバイトを紹介してあげるから、
そっち頑張りなさいよ」とか言われて、実際に紹介された仕事が、
大道具さんのバイトでね。
"なぐり"(かなづち)でトンカントンカンやって、
テレビのセットに使うような木の輪っか(平台と呼ばれるもの)作ったりとか、
木材削ったりとかしてた(笑)。
高須
それでキミは今でも「美術」関係のモノを、一向に捨てられへんのやな!?
杉本
そうそう(笑)。どうしてもこだわりがあってね。
高須
いろんなものを保存してんのよ、杉本ちゃんは。
もう終わってしまったのに『ウンナンの桜吹雪は知っている』の看板とか、
ずーっと持ってる。
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愛着ですね(笑)。
杉本
そうやってずっと大道具のバイトやってたらさ、
もう別にこのままこれを仕事にしてもええんちゃうかなぁ、と思い始めたのよ。
別に学校行き続けることも無かろう、と。
実際、バイトしてる時に美術さん、という立ち位置で
いろんな映画監督さんとも知り合いになったりしたし。
当時、根岸吉太郎監督とか、森田芳光監督とかと話ができたりしててね。
悪くない仕事だなぁ、と思ってた。
でも、とりあえずまた先生が学校辞めるな、と俺を引き留めたから、
じゃあ学費をもっと稼ぐから、この大道具よりもっと割のいいバイト
紹介してくださいってお願いしたんだよね。24時間働きますからって。
そうしたら、映画「探偵物語」の助監督のバイトの話が来たのよ。
高須
すげぇ。「探偵物語」。
杉本
松田優作に薬師丸ひろこが出て、根岸監督の作品や。
その助監督。ま、そうは言っても助監督の中でも一番下っぱ。
1STから始まる助監督のランクづけで、俺は5THの助監督。
もちろんクレジットなんか出ない。
高須
うわぁ、しんどいな。
杉本
でも、俺のずっと憧れの、あの松田優作と仕事ができる! って思ったら、
それが何であろうとも「やります!」ってなもんで引き受けたわけ。
いつか高須にも話したやろ? 優作さんがその映画のスタッフたくさん連れて、
新宿のゴールデン街に繰り出して飲んだ時のこと。
俺はスタッフの中で一番若かったし、ちょっと小生意気なキャラやったから
珍しがられてさ……あの松田優作さんご本人に話しかけてもらって
「ほら。飲め」とかってがんがん飲まされたんやで?
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おお~、すごい! 夢のような話ですね。
高須
なにそれ、ちょっと「俺って凄いでしょ」みたいな、自慢話か?
杉本
あったり前やんけ!(笑)
高須
もうこれ、凄いとか褒めたらダメよ! 調子乗るパターンや。
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だって、松田優作と酒を酌み交わす若者なんて、
すごいドリーム感じますよ。
高須
褒めるな褒めるなっ!
杉本
言うて言うて、もっと言うて!(笑)
松田優作主演『家族ゲーム』
『探偵物語』
第2話へつづく
ディレクター
杉本達 さん
京都市出身。にっかつ芸術学院卒業。ウイルスプロダクションを経て、bladeinc.を設立。バラエティ番組を中心にドラマ・PVなどの演出家として活躍。
TBS『ウンナンのホントコ!』内の企画『未来日記』を企画・演出し、『映画版未来日記TheFutureDiaryOnTheFilm』では監督を務めた。
「俳優塾」なる新人俳優ユニットを率い、毎週ワークショップを開催している。
代表作(バラエティ)
『カノッサの屈辱』(フジテレビ、1990)
『TVブックメーカー』(フジテレビ、1991)
『ウンナンの気分は上々』(TBS、1996)
『ウンナンのホントコ!』(TBS、1998)
『フードバトルクラブ』(TBS、2001、2002)
『マジック革命セロ』(フジテレビ、2006、2007、2014)
『写真物語』(フジテレビ、2006、2007)
『CHOICE』(フジテレビ、2012)
代表作(PV)
SMAP「この瞬間、きっと夢じゃない」
代表作(ドラマ)
「世にも奇妙な物語春の特別編」『そして、くりかえす』(1998内村光良主演)
「世にも奇妙な物語春の特別編」『奇数』(2000柳葉敏郎主演)
「世にも奇妙な物語春の特別編」『これ……見て……』(2008戸田恵梨香主演)
『課長島耕作』(日本テレビ、2008高橋克典主演)