高須さんに「もっとも一生懸命仕事してない作家」と言わしめた、初の女性ゲスト回です。『タモリ倶楽部』のウラ話から、ナンシー関さんとの思い出。そしてそーたにさんの車の助手席に乗っているのを高須さんに見つかった時の話まで……! あらゆることに執着しない空気が印象的な回でした。女性で放送作家を目指す方はぜひご一読を。
インタビュー
第1話
2002.09高須
今回は「御影湯」始まって以来、初の女性作家さんです。
仕事を一緒にし始めたのはホントに最近だよね。
町山
そうですねー、なかなか機会が無くて。
高須
『ちゃんネプ』がリニューアルしたときに、伊藤くんが
「町山さんに入ってもらいたいなーと思ってるんですけど」って言うんで、
「全然いいですよ、お願いしましょうよ」ってことに。
で、俺はこっそりとそーたにくんに「町山さんって、どんな人?」って聞いたら
「ちゃんとしてますよ~」って言ってた。
町山
「ちゃんとしてます」って、あのヒトに言われてもねえ(笑)。
高須
で、町山ちゃんが来たときに、会議の現場で中野くんがこそこそっと俺に
耳打ちしてきて「いやー、ちゃんとしてる人ですね~」って(笑)。
なぜかみんな「ちゃんとしてる」って言うんだよね、町山ちゃんのこと(笑)。
町山
どういう意味なんですか(笑)。
高須
いや、やっぱりちゃんと仕事のできる女性って、この業界少ないから。
で、実際に会議で一緒にやってみたら「ちゃんとしてる」って僕も思った(笑)
たしか初めて一緒になった会議だった思うんだけど。
町山
あー、いきなり私、ADをシメちゃったんですよね。(笑)
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ええっ!?
高須
シメちゃってたもんねぇ。
町山
会議中の言葉を、ホワイトボードに板書するADの子がね、
ちょっとぬけてたんですよね。
発言してることがボード上でぜんぜんまとまらないもんだから、
カリカリっときちゃいまして……。
高須
自分が前に出ていって
「それはだから、こう書けば分かりやすいんじゃない」って
ばばばっと板書して、仕切りはじめたのよ。
あれはすごかったねー。
町山
イヤなババァ。
高須
いや、あの時はもうみんなイライラしてたやん。
「何で分からんかなぁっ」って感じで、
イライライラ……となってたところへ出ていって仕切りだしてくれた。
そしたらこれがまた分かりやすかったのよ、板書も。
そこでまた「しっかりしてるなぁ」っていうのが
僕ら男作家に焼き付いた、うん。
町山
わたし、AD出身なんで、そのへんがもたつくといらいらしちゃうんですよ。
高須
ええっ、初耳よ!? 町山ちゃんって、ADやってたん?
えー、詳しく聞きたい。
町山
えっ、そこの話広げていっちゃうんですか。
高須
広げるよ! めちゃめちゃ聞きたいもん。
町山
このホームページを読んだら、
みんな結構、気持ち良さそうに語っちゃってるから
自分は乗せられないようにって思ってたんですけど。
高須
乗せていくよー、がんがん乗せていくよ~(笑)。
町山
海老先生、小山先生、佐々木先生、みんな10年以上前から知ってるから(笑)。
笑って読んじゃいました。
高須
僕ね、そんなみんなの微妙な変化(番組の会議と比べて)が大好きなのよね。
でも、海老ちゃんとそんなに前から、長い付き合いだったんだ。
町山
私が『タモリ倶楽部』をお休みする時に、代わりに入ってきたのが海老さんで。
高須
そうだったのかぁ。
町山
その時はまだ25、6だったかな、海老さん。
それなのに結婚して、子供がいるって聞いたときには、
「なんて男だ、放送作家なのに結婚して子供がいるなんて!」って、
びっくりしちゃったもの。おまけに目つきは悪いし(笑)。
だから、一コ年下なんだけど、さん付け。
高須
驚くほど冷静に喋るしねぇ、海老ちゃんって。印象悪かったんだなあ。
ところで薫ちゃんとはどういう流れで知り合ったの?
町山
小山くんとは『メリークリスマスショー』の時が最初かなあ。
高須
うわっ、すごい昔じゃん。業界、実際は何年目になるの?
町山
これが考えたくもないんだけど、17年目になっちゃって……。
高須
うわー、すごっ。
町山
まずいなあって思うんですよ、最近。
17年やって、私、何にも残してないなぁって気づいちゃって。
高須
俺よりずっと先輩。めちゃめちゃ「姉さん」やん。
すごいなぁ、17年も業界の荒波を生き抜いてきたんやねぇ。
町山
抜いてない、ただ生きてきただけー(笑)。
高須
この世界に最初に足を踏み入れたきっかけは?
町山
大学に入学して、通ってたんですけど、しばらくすると
「こりゃだめだ。自分はどうも通い続けられないな」と思ったんですよ。
かといって、当時、実家が公団住宅に引っ越したばっかで、
行き帰りの電車は混むし、同じような箱がズラーッと並んでる
外観にすごくイヤな感じを覚えて、家にも帰りたくなくて。
で、男の人と一緒に住んで、大学を辞めたんですよ。
高須
おお、いきなりきたね~、これ。
町山
けど、何か仕事をしなくちゃ食べていけないから、
何の仕事をしようかな、と考えたときに
「テレビはゆるいから入れるだろう」と思って(笑)。
それで普通にとらばーゆとか新聞を見て、テレビ関係の会社を探して
面接に行ったんです。
そこっていうのがモンティパイソンの代理店になってる会社で、
考えてみたら「代理店」だから制作とかとは全然関係ないんだけど、
バカだからよく分からなくて、とにかく「モンティパイソンの会社だ!」
っていうので受けに行きました。
もう一つは『タモリ倶楽部』を作ってる会社。
当時はフルハウス、今はハウフルスですけど、
事務のお姉ちゃんのバイトを募集してたんで、それも受けたんですね。
高須
事務のお姉ちゃん出身やったんや。
町山
そうなんですけど、3ヶ月の試用期間の間に
「挨拶ができない」とか「応対の態度が悪い」って
先輩に言われてしまい……(笑)。
高須
あらららら(笑)。
町山
お姉さんたちに「あの子はダメっ、全然ダメよっ」と言われまくったんです。
そしたら、フルハウスの菅原社長が
「事務としてはダメだけど、ダメ故に、現場だったらいいんじゃないか?」
と言ってくれて。
高須
よ~く考えると、変な理屈だけどね(笑)。
町山
私も他にアテがなかったですからねえ。
高一からずっとバイトしてましたけど
バニーガールやら水商売しか経験なくて。
高須
うわっ! ドンドン新事実が出てくるっ!(笑)
町山
それでとにかく、ADにしてもらったんです。
ちょうどテレビ東京の音楽番組を立ち上げるときで、
若い子の情報が必要だからって言われてその番組に付きました。
高須
それはどんな番組だったの?
町山
大貫憲章とデビュー間もないNokkoが司会の番組。
それで…結局二年ぐらいはADをやってたんですけど、
その間にディレクターの内職仕事の企画書を書いたりして、
作家の真似事みたいなことはやってたんですよ。
あと、番組資料を集めたり、作ったりする能力はそこそこあって。
そしたら菅原社長が、「お前は、作家の方がいいかぁ」って(笑)。
高須
なんか、正しいのか、いい加減なのかわからんなぁ(笑)。
町山
いい加減でしょう。
私としては、作家がADよりは楽そうに見えてたもんで飛びつきました。
ディレクターが何日も徹夜ぶっこいたりしてるのを目の当たりにしてきた
2年間だったわけですから、そこまでしないで済むかと思うと……。
高須
おぉ、それは実体験としてあるからねぇ(笑)。
町山
死体みたいになって床に転がって寝てる
先輩ADやディレクターを朝起こすことから、
仕事が始まったりするわけですよ。
暗幕にくるまれて、こっちにごろん、あっちにごろん…とかって仕事場だったんで、
作家だったらそんなことにはならずに済むだろうと思ったから、それで作家に(笑)。
高須
それがいくつぐらいの時?
町山
二十歳。
高須
早いよねぇ。
その頃から「ディレクターより作家の方が楽」って分かっちゃったんだ。(笑)
それはすごいね。
町山
自分がディレクターは無理だ、ていうのはもう分かってました。
だって、体力無いし、楽な方へ楽な方へと流れちゃうから、絶対に(笑)。
高須
撮りたいなぁ、ていう願望は湧いたりしないの?
町山
高校の時に8ミリの監督をやったんですよ。
それで、「人を動かせない」ってことが骨身に染みて分かりましたね。
カリカリっと来ちゃうから、どうしても。
作家になるってとりあえず決めたところで、
日野原幼紀さんって作家に不肖の弟子としてついたんです。
『探検レストラン』という番組で菅原社長と
ラーメン屋再生の企画とかをつくった人。
菅原さんや景山民夫さんとは大学で一緒で、
学生時代から『ヤング720』なんかで民夫さんたちと仕事してたそうです。
で、その師匠が甘いというか、あきらめ半分によく面倒見てくれたもんで、
この仕事が続いたという感じですね。
楽な方に流れた結果の、作家なんですよ~。
選んでなったワケじゃなくて……。
高須
なんとなく、流れで流れで来ちゃったのねー。
町山
流れてますねえ、今も。
高須
今の肩書きって言うのは?
町山
放送作家ですよ。
高須
でもコラムとか書いてるやん。
町山
あ、うん(笑)。
高須
でも「放送作家」でいいの?
町山
うーん、まー、よく分からないから放送作家でいいやー、と思って。
高須
放送作家ってさ、パターンが分かれるやんか。
そーたにくんたちをはじめとする作家予備校みたいなのに興味津々で
「よぉぉし、テレビを作るぞーっ」ていう思いに燃えた人達と、
なんとなーくこの業界に入りました、流れでした、ていう人と。
でも、何となく入った人達も、テレビつくるの楽しんでたり、
おもろがったりしてるやん。
町山ちゃんはなんとなーく、で入ったけど
「あ、テレビって作るの楽しいな」って思い始めたのって、
どのくらい経ってからだったの?
町山
わりとすぐこの仕事が面白くなったんですけど、
『タモリ倶楽部』に自分が作家として入れるってことになったときは、
自分が見ていた番組ですから、それはもう、素直に嬉しかったですよね。
高須
『タモリ倶楽部』が大好きだったの?
町山
好きだったですね。
高須
あ、もう今はキライ、と(笑)。
町山
そんなことないですよ(笑)。
高須
俺は俺であったよ。吉本の大崎さんに
「ダウンタウンの『タモリ倶楽部』を作ってくれ」って言われて、
そんな思いで、『ガキの使い』の企画書を書いた。
番組自体のテイストは全然違うのよ?
全然違うんだけど、ダウンタウンの濃い部分を出す深夜番組を
持ってなくちゃいけないってことの意味で
『タモリ倶楽部』だったと思うんだよね。
町山
うんうん。
高須
で、俺はその時に作家として二択を迫られてた。
当時、ゴールデンで始まる『全員出席笑うんだってば!』に
入るか、深夜で『ガキの使い』に入るか。
俺はそれでゴールデンを断った。
深夜の方が濃いことをやれるし、くだらなそうだと素直に思ったから。
町山
ふんふん。
高須
大崎さんはもう『タモリ倶楽部』が大好きだったから、
ダウンタウンにもそういうフィールドをって熱望してた感じやったなぁ。
ホントに好きだったみたい。また、そう言うファンを生み出す番組でも
あったからね、『タモリ倶楽部』は。
町山
そうですね~。
高須
あれっ、町山ちゃん?
町山
はい?
高須
なに、その、もう気持ち入ってませんよ、みたいな受け答えの数々(笑)。
町山
そんなことないですよー。
でも、私はもう『タモリ倶楽部』やめちゃってだいぶ経ちますからね。
高須
どれぐらいまでやってたの?
町山
辞めて、7年ぐらいは経っちゃってますよ。
高須
そうかぁ……。
にしても、不思議な存在なんよなぁ、町山ちゃんって。
町山
ええ?(笑)
高須
不思議や~。
作家として、というバリッとした立ち方をしてないっていうかさ。
こないだお亡くなりになったナンシー関さんとも仲良かったりするでしょう。
彼女のような立ち位置に憧れとかがあったの?
町山
いやいや、私、本当に未来に向かってビジョンとかがないので(笑)。
高須
えー、ビジョンがないの?
町山
無いですよ! 全然っ、ぜんっぜん無いんですよ!
高須
あっそう、でもそういうのもいいかもね。
町山
ヤバイですよ、無さ過ぎるのも問題ですよ。
それにせっかくのこんな場で、こんなことばっかり言ってたら、
憲兵にまで「あ、やっぱちゃんとしてない」って
気づかれちゃうじゃないですか(笑)。(※憲兵=そーたにさんのこと)
もっとまともなことしゃべんないと~。
高須
じゃ、少し真面目な話にしていきますかぁ。
第2話へつづく
放送作家
町山広美 さん
『有吉ゼミ』『一億人の大質問!?笑ってコラえて』(日本テレビ)
『ミュージックステーション』(テレ朝)
『マツコの知らない世界』(TBS)
『BAZOOKA』(スカパー)。
『幸せ!ボンビーガール』ではナレーターも兼務。
『ナンシー関原寸大!生ハンコ集』ワニプラス)を監修。