先日、復活特番となった『学校へ行こう!』をはじめ、『ガチンコ!』など、アイドルが全力で取り組むバラエティを数々成功へと導いた合田隆信さん。彼は芸人バラエティを潰した戦犯だったのか?その背景にはTBSが抱えていたジレンマや、芸人に対するコンプレックスや憧れなどがたくさん渦巻いて……!?本音で語られる失敗談も含め、胸を熱くするお話がいっぱいです。
取材・文/サガコ
インタビュー
第1話
2002.01合田
これは、高須さんのH Pの中での対談なんですか?
高須
僕のH Pの中で作家と話してるのと、
ディレクター、演出の人と喋ってるのと2種類あるんだよ。
作家はまあいろいろとやってて、演出家との対談はまだ始めたばっかり。
最初に杉本ちゃんに聞いて。
で、飛鳥にこないだ、その後聞いて。
んでまあ誰がええかなって。
ここはいっちょゴウちゃんに、とね。
合田
いやもう……僕も偉なりましたね、そんな並びの人達とご一緒できるなんて(しみじみ)。
高須
そんなこと、よう言うなあ(笑)。
昔からこんな感じなんだよ、合ちゃんって。
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昔からこんな感じとは?
高須
あのねえ、ゴウちゃんは放送作家のことを先生って言うのよ。
もう今は言ってないと思うけど。
合田
いえいえ、言ってますよ、僕まだ。
いや、僕、今でもおちさんとか都築さんとかみんな、先生って呼んでますよ。
高須
マジで?
合田
おち先生、都築先生って言うてますよ。もう全部ですよ。
高須
すごいねえ、その徹底してるのは。
全員、先生?
合田
「先生」か「さん」か、必ず。まあ、先生って呼ぶことのが多いです。
高須
マジで?
もう今じゃおかしいやろ。合ちゃんが先生って言うのは。
合田
でも、相手の方はみんな年上でキャリアも長いですからね。
高須
でもさー。
合田
年下の人には先生って言わないですよ。
高須
「おい」とかって、あごで呼ぶ?(笑)
合田
「おい」とは言わないですよっ。
でも、僕まだ年下の人少ないですからね。
高須
合ちゃんいくつになったの、今?
合田
僕、34です。今一緒にやってる人、
ほとんどが35か6か7かそれぐらいの人が多いんで。
今、仲のいいおちさんとか都築さんとか鮫肌さんとか、
あと、樋口さんとかみんな上ですからね。
だからすずきBとかですかね。あのへんはもう下ですから。
高須
まあBは下やね。ホリタも下やね。
合田
うん、ホリタはホリタ先生とは言ってないですね、
ホリタちゃんって言ってますね。
そのへんは微妙な線がありますね。
高須
ホリタちゃんは、なんか微妙なとこがあるんだ(笑)。
合田
そうですね、ちゃんと分けてますね、そういうとこ。
高須
そこらへんは、かっちりした男なんよなぁ。
まあ、34になった、そんな合ちゃんにちょっと話を聞こうかな、と。
合田
はい、よろしくおねがいします。
高須
実は俺、合ちゃんとの仕事は
昔の『生生生生ダウンタウン』以外やったことないんだよなぁ。
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そうなんですか?
高須
『生×4』の時に、合ちゃんが、初めてディレクターをやったんだよ。
そのときの担当作家が、俺と三木さんだった。
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うわあ、すごい二人組と組まれたんですね……。
合田
僕はものすごいかわいがっていただいてたんですよね。
嫌な思い出もいっぱいなんですけど(笑)。
高須
そのへんはおいおい聞こう、おいおいで(笑)。
もともと合ちゃんはなんでこの業界を目指したの?
合田
いや、僕どこでもよかったんですけど、とにかくテレビ局に入りたくて、
まあ、関西の方含めて
全局受けてて、CXと日テレは1次で落とされたんですよ。
高須
あら。
合田
僕、CX受ける時には OB訪問したんですね。
僕の兄貴の先輩で東大出てる人がCXにいるから、
とりあえず OB訪問っていうて行って。
(その人は)報道の人だったんですよ。で、
「報道だからあんまり、バラエティが志望だったら同期の奴を紹介するよ」
って言われて、連れて行かれたのが、片岡飛鳥さんだったんですよ。
高須
へえ~っ。
合田
僕が大学4年生のときですから、
飛鳥さんはまだたぶん2年目ぐらいのときじゃないですかね。
高須
へえー。
合田
ほいで、1回挨拶をしたら、明日収録があるから見においでって言われて。
『お笑い朝まで生テレビ』っていうパロディみたいな番組の
フロアディレクターを飛鳥さんがやってました。
前説とかもやってました。それを見た記憶がありますね。
もう今から12年前ですか。
高須
12年かぁ。
合田
そこまでしても落とされたんですよ、結局。1次で。
高須
飛鳥の前説まで見たコネも効かず(笑)。
合田
で、落とされて、日テレも1次で落とされて。
TBSとテレ朝だけ、最終面接までいったんです。
高須
どっちも通ったの?
合田
で、最終的にTBSが先に決まったんで、ならTBSでいいかーと思って(笑)。
テレ朝が社長面接っていう日に、TBSから内定が出たんです。
しかも、うちの親父がTBSの方がいいって言ったし。
高須
お、先見の明があったんや、オヤジさん。
合田
親父はテレビ局反対やったんです。
「TBSってなんや?」って言うから、
「『水戸黄門』つくってる局だよ」っていう説明の仕方をしたら、
「それはわかる、それはいいんじゃないか」となったんです。
高須
めちゃくちゃや……。
合田
だって地元、フジ系とTBS系の二局だけでしたから。
高須
もともと(出身は)どこ?
合田
金沢です。
高須
あ、そっか。俺、ずっと関西だと思ってた。
そんで、大学で京大だったっけ?
京大行って、関西に4年いたんだよね?
合田
そうですそうです。
高須
そん時に関西弁がしみついたんやな。
合田
少し。
高須
そんで関西の血もすこーし入ってるのか。
俺すっかり関西やと思ってた。
合田
大学の時はかなり勉強したんで、関西弁。
高須
そうやろ? アクセントが、ちゃうのよ。
東京の人が喋る関西弁のアクセントじゃないのよ。
完璧な大阪弁やから、俺もう絶対関西の人間やと思ってた。
京大って聞いたときも、ああ、たぶん関西で
もともとそういうところに育って、まあTBSに入ったんやろうと。
合田
昔は「うまいうまい」って言われました。
「お前うまいなあ」って、関西の人に。
「まあ、オーストラリア人の英語くらいまではきてるわ」って。
高須
あ、わかるわかる。(笑)
合田
微妙にこう、オーストラリア人の英語のレベルくらいまではきてるわって。
高須
なるほどなるほど。
合田
って言われてたもんですけど、今じゃもう、
年に何回かしか喋らないですねえ。
高須
「おい」とかって、あごで呼ぶ?(笑)
合田
年下の人には先生って言わないですよ。
高須
「おい」とかって、あごで呼ぶ?(笑)
第2話へつづく
ディレクター
合田隆信 さん
1967年石川県生まれ
1990年TBS入社
学校へ行こう、ガチンコ!、さんまのからくりTVなどの演出•プロデュースを経て
現在バラエティー制作二部長