関西で叩き上げの大先輩。やすし・きよしや、いとし・こいしの漫才も手がけられた経験のあるかわらさん。たくさんの厳しい現場を経験してこられた先輩は、表現に対して、笑いに対して、どこまでも真摯でした。若手作家が次々と台頭してくる現場で、歳を重ねた自分にできるトレーニングとは? そしてこっそりと松本人志さんに宛てたという、ちょっと熱い手紙の内容とは……?
インタビュー
第8話
2001.04作品にこめる魂
かわら
まぁ、これからもとにかく書いて書いて……。
今年はまた、芝居もやる。
そしてその芝居を小説にするように頑張るってことかな。
高須
それ、芝居ごとドキュメンタリー番組にしてしまったら
いいんじゃないですか?俺、前から言うてますやん。
かわら
そういう発想がなぁ、俺には浮かばへんことなんよなぁ。
そんなんでも、恥ずかしいしさぁ(苦笑)。
高須
いや、絶対できますって!
かわら
いやいや、自分のことは照れるし、そんなんええねん。
苦手やもん。
それに…こんな事を言うとあれやけど、
作家っていうものは、作家である限り言いたいことを全部
作品に込めるべきなんと違うかな、と思っててね。
高須
なるほど。
かわら
そのまま語るとかっていうんじゃなくて、
メッセージは全て作品の中に、ていうのが、作家の作家たる
宿命なんじゃないかなぁ、と思ってる。
高須
かっこいいじゃないですか。
かわら
だから、松本人志が『遺書』とか『松本』とか、
本で言うてる部分っていうのは…俺個人としては
少し残念やったりしてんのよ。
高須
はいはいはい……、うん、それも分かりますね。
かわら
いや、あそこで語られてることがコントで表現できるのか、
と言われたら、それもまた松本らしくはないやろけどもさ。
高須
でも分かりますよ。僕もどっちかと言うたら、そっちの考え方ですもん。
作り手である以上、神秘的な部分を持っといてほしいんですよね。
舞台上の松本人志と、本当の松本人志はどんな風に違うんだろ?
っていう本心というか、素の部分を隠しておいてほしいっていうか。
まぁ、我が儘なんですけど。
かわら
松本人志はどこまでいっても松本でしかないけどね、
裏も表もそんなになかったりするし。
でも、文字とか本にしてしまったら、なんかリアルに裏表が
くっきりしてしまうというかさ…。それよりも
「松ちゃん、あのコントでひょっとしたらこんな事を伝えたかったんじゃないの?」
っていう探られ方をする方がかっこいいような気がしてしまうんよね。
高須
僕はだから、明石家さんまさんはすごいと思うんですよ。
全く「素」が無いじゃないですか。だからこそ、
何かとてつもないことをこの腹の奥で考えてるんじゃないかな、って
深みを思わせるんですよね。ひょっとしたら、
あれが全てなのかもしれないし、もっと奥深い部分があるのかも知れない。
それは誰にも分からない。
それってすごく魅力的な表現者の在り方やと思うんですよ。
かわら
うんうん、分かるなぁ。
高須
だからこそ変な噂が出るし、それが伝説になったりもする。
僕も松本には、あまり本音の人間での部分を表して欲しくないなぁ
と思う方ですよ。たけしさんもまた、よく分かりませんしね。
何がホントなのか、何がウソなのか…そして、それが魅力でもある。
かわら
シャイな男のポーズ、てのもあるんやろしね。
高須
黙して語らず…っていうのも表現者としては、最高ですよね。
かわら
まぁ、レベルの差はもちろんあるけど、そういう意味では
自分の芝居の裏側なんかをドキュメンタリーで見せたりするのは、
おもしろいかもしれへんけど、恥ずかしいっちゅうかね。
ちょっと遠慮してしまうんよねぇ。
高須
そうですかぁ。分かるけど、うーん、残念な気もするなぁ。
かわら
どっちやねん(笑)。
第9話へつづく
放送作家
かわら長介 さん
1949年 岐阜県益田郡(現下呂市)に生まれる。
1956~1965年 悪癖に溺れる少年期。
1958年 初恋す。
1966~1968年 基本、恋狂い。
1968年 暗黒のサラリーマン時代。
1971年 某国立大学入学/社会を問わんとす。
1972年 杉浦千鶴子を知る。
1976年 結婚/漫才作家にならんと大阪へ。
1978年 島田紳助を知る。
1981年 月収100万円を超える。
1983年 吉永薫を知る。
1980年代後半 漫才と漫才作家に懐疑を抱く。
1987年 離婚~以後独身/高須光聖を知る/死刑3部作①『君は我が運命(さだめ)』やり直し公演。
1989年 死刑3部作②『殺さば死ぬる』赤字公演。
1990年 築本早栄美を知る。
1991年 かたつむりの会主催死刑反対イベント『寒中死刑大会』構成・演出。
1992年 死刑3部作傍流芝居『京阪神犯罪伝説』100万円赤字公演。
1993年 武井裕子を知る。
1999年 戦争芝居①『哀楽喜怒~私は子供が好き』200万円赤字公演。
2002年 戦争芝居②『祭りの極』500万円赤字上演
2004年 刺青/放送作家塾「魁塾」開始。
2008年 私刑芝居『牛馬頭のゲーム』大阪、東京700万円赤字公演。
2009年 主宰コントライブ『コント衛門第一回』開催。現在まで8回の公演にて中断中。
2014年 「魁塾」20期にて目出度く終了。
2015年 『週刊金曜日』に「かわら長介のコント工場の有機物」月一連載スタート。
2016年 (1月)銀座博品館のコントライブ『七転び八時起きの人々』にて作品上演。