御影屋

高須光聖がキク「高須光聖×かわら長介」 第9話

関西で叩き上げの大先輩。やすし・きよしや、いとし・こいしの漫才も手がけられた経験のあるかわらさん。たくさんの厳しい現場を経験してこられた先輩は、表現に対して、笑いに対して、どこまでも真摯でした。若手作家が次々と台頭してくる現場で、歳を重ねた自分にできるトレーニングとは? そしてこっそりと松本人志さんに宛てたという、ちょっと熱い手紙の内容とは……?

インタビュー

第9話

2001.04

高須光聖がキク「高須光聖×かわら長介」

松本人志へ伝えたいこと

かわら

そろそろなぁ、松本人志に何かやらかして欲しいなぁ~。

高須

長さん、こないだ松本に手紙書いてたでしょ?

かわら

え、嘘、松本なんか言うてた?

高須

いやいや、内容は知らんのですけど、長さんから手紙が来た、
というのだけは聴いてて。

かわら

そろそろやっとかんと、笑いの筋肉が衰えるぞっていうことを
書いて伝えてしまってんけどね。

高須

うわ、偉いっすね。長さん、それを松本に言ったんですか。
それはホントにそうなんですよ。
でも、俺もよう言わんかったんですよ。
笑いの筋肉って、駆使してなかったら絶対削げるじゃないですか。
僕ら放送作家でも、誰かのアイデアにパッと器用に乗っかって
もっとおもしろくするっていう「技術」だけなら、
それはなんぼでもできてしまったりするじゃないですか。
だけど、本当にゼロから新しいモノを創るっていうのだけは、
さぼってたら、それを取り戻すのにすごく時間かかるんですよ。
松本はもう、トーク上のそういう技術はあるんです。
天性のものとして、すごいものが備わってるんですよ。
今はほとんどの番組がそれを駆使する番組ばかり。
だから、長さんが少し警告をする意味も、俺は充分理解できますよ。

かわら

単純に見たいとも思うしね。心配だとかっていう、
おこがましい感じじゃなく。

高須

そして俺は、もうアートっぽいことはやらんで欲しいかな、と
思ってる方なんです。
くだらない感じの、単純に「おもしろいっ!」ていうのを
やって欲しいなぁ、て思う。

かわら

どっちにしても「やってくれ!頼むわ~」っていうんじゃなくてね、
ただ、このままでもいいかな、ていう感覚がもしあるんだとしたら
それは恐ろしいよ、という感じかな。それは違うと思う。思いたい。
松本人志って存在に対するエゴもあるけど。

高須

シュールなのもいいんですけど、そのシュールを飛び越えていく
骨太な笑いが「ごっつ」時代にはあったじゃないですか。
そして、それをあいつはやってしまえる。できる。
だけど、それが今、あいつの中で少しずつ
価値観変わってきてるんじゃないだろうか…っていう不安…。
やわらかくなって、落ち着いてきて、精一杯の百五十キロの
ストレートは投げないぞ、みたいな。そういうのを、感じてます。
確かにもう、ストレートなんて投げなくても、驚くほどの
球種を投げられるから、松本は。
だからすごいってのも、あるんでしょうけど。

かわら

高須もそんな、焦ってたんやなぁ。

高須

うーん、まぁ、僕らが焦ったところでどうなんだってのは
ありますけど。
だけど、それを直接松本に伝えた長さんは、やっぱりすごいですよ。
俺は、そのことが嬉しい。
だって、あいつを愛してるからこそ言いたいことですもん。

かわら

好きやからね。

高須

優秀な芸人であって欲しいと思うから、
こんな時代やし、もっと笑いを取って欲しいと思うから、
あいつしかいてないと思ってしまうから、言っちゃうんですよね。

かわら

そう思ってもらえれば…いや、別にそう思ってもらわんでも、
どう取られててもいいから、ただ芸人として、また何かやってほしい。
そればっかりやなぁ。
松本見て「頑張らんと!!」って思う、あの感じ……。

高須

あの感じ、ですよね。

かわら

また、是非ね。

高須

そうですね。

御影湯かわら長介の湯おしまい
かわらさん、お忙しい中、たくさんのお話をありがとうございました!!

おわり

放送作家

かわら長介 さん

1949年 岐阜県益田郡(現下呂市)に生まれる。
1956~1965年 悪癖に溺れる少年期。
1958年 初恋す。
1966~1968年 基本、恋狂い。
1968年 暗黒のサラリーマン時代。
1971年 某国立大学入学/社会を問わんとす。
1972年 杉浦千鶴子を知る。
1976年 結婚/漫才作家にならんと大阪へ。
1978年 島田紳助を知る。
1981年 月収100万円を超える。
1983年 吉永薫を知る。
1980年代後半 漫才と漫才作家に懐疑を抱く。
1987年 離婚~以後独身/高須光聖を知る/死刑3部作①『君は我が運命(さだめ)』やり直し公演。
1989年 死刑3部作②『殺さば死ぬる』赤字公演。
1990年 築本早栄美を知る。
1991年 かたつむりの会主催死刑反対イベント『寒中死刑大会』構成・演出。
1992年 死刑3部作傍流芝居『京阪神犯罪伝説』100万円赤字公演。
1993年 武井裕子を知る。
1999年 戦争芝居①『哀楽喜怒~私は子供が好き』200万円赤字公演。
2002年 戦争芝居②『祭りの極』500万円赤字上演
2004年 刺青/放送作家塾「魁塾」開始。
2008年 私刑芝居『牛馬頭のゲーム』大阪、東京700万円赤字公演。
2009年 主宰コントライブ『コント衛門第一回』開催。現在まで8回の公演にて中断中。
2014年 「魁塾」20期にて目出度く終了。
2015年 『週刊金曜日』に「かわら長介のコント工場の有機物」月一連載スタート。
2016年 (1月)銀座博品館のコントライブ『七転び八時起きの人々』にて作品上演。

ON
OFF