御影屋

高須光聖がキク「高須光聖×かわら長介」 第6話

関西で叩き上げの大先輩。やすし・きよしや、いとし・こいしの漫才も手がけられた経験のあるかわらさん。たくさんの厳しい現場を経験してこられた先輩は、表現に対して、笑いに対して、どこまでも真摯でした。若手作家が次々と台頭してくる現場で、歳を重ねた自分にできるトレーニングとは? そしてこっそりと松本人志さんに宛てたという、ちょっと熱い手紙の内容とは……?

インタビュー

第5話

2001.04

高須光聖がキク「高須光聖×かわら長介」

ちゃんとした初仕事

高須

で、一緒にやったのは『ダウンタウンの…!?』でしたよね。

かわら

あの番組はおもしろかったなぁ……。

高須

いや、ほんまおもしろかったですよね。
作家がやりたい企画をダウンタウンにやらしてましたからね。
あの番組から松本が吸収していった事って多かったと思いますもん。
「写真で一言」もあの番組からですし、
「ごっつ」へ流れていった企画も多かったじゃないですか。
長さんの考えた「ヘッドボウリング」なんて、いきなり東京で
企画出しても、絶対受け入れられへんかったと思いますもん。(笑)
大阪での実績があったから「ごっつ」でもやれたと思いますよ。

かわら

おもろかったよねぇ。

高須

でも裏の番組に数字負けて、終わっていったんですよね。

かわら

あれは哀しかったなぁ。

高須

大阪の笑いの土壌ってものを疑うきっかけでしたよね、アレは。

第6話へつづく

放送作家

かわら長介 さん

1949年 岐阜県益田郡(現下呂市)に生まれる。
1956~1965年 悪癖に溺れる少年期。
1958年 初恋す。
1966~1968年 基本、恋狂い。
1968年 暗黒のサラリーマン時代。
1971年 某国立大学入学/社会を問わんとす。
1972年 杉浦千鶴子を知る。
1976年 結婚/漫才作家にならんと大阪へ。
1978年 島田紳助を知る。
1981年 月収100万円を超える。
1983年 吉永薫を知る。
1980年代後半 漫才と漫才作家に懐疑を抱く。
1987年 離婚~以後独身/高須光聖を知る/死刑3部作①『君は我が運命(さだめ)』やり直し公演。
1989年 死刑3部作②『殺さば死ぬる』赤字公演。
1990年 築本早栄美を知る。
1991年 かたつむりの会主催死刑反対イベント『寒中死刑大会』構成・演出。
1992年 死刑3部作傍流芝居『京阪神犯罪伝説』100万円赤字公演。
1993年 武井裕子を知る。
1999年 戦争芝居①『哀楽喜怒~私は子供が好き』200万円赤字公演。
2002年 戦争芝居②『祭りの極』500万円赤字上演
2004年 刺青/放送作家塾「魁塾」開始。
2008年 私刑芝居『牛馬頭のゲーム』大阪、東京700万円赤字公演。
2009年 主宰コントライブ『コント衛門第一回』開催。現在まで8回の公演にて中断中。
2014年 「魁塾」20期にて目出度く終了。
2015年 『週刊金曜日』に「かわら長介のコント工場の有機物」月一連載スタート。
2016年 (1月)銀座博品館のコントライブ『七転び八時起きの人々』にて作品上演。

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