御影屋

高須光聖がキク「高須光聖×かわら長介」 第7話

関西で叩き上げの大先輩。やすし・きよしや、いとし・こいしの漫才も手がけられた経験のあるかわらさん。たくさんの厳しい現場を経験してこられた先輩は、表現に対して、笑いに対して、どこまでも真摯でした。若手作家が次々と台頭してくる現場で、歳を重ねた自分にできるトレーニングとは? そしてこっそりと松本人志さんに宛てたという、ちょっと熱い手紙の内容とは……?

インタビュー

第6話

2001.04

高須光聖がキク「高須光聖×かわら長介」

企画脳を鍛え続ける。

高須

長さんのすごいところってね、
今でもきっちり、番組の会議に「ネタ」を持ってくるところ。
それってすごいことなんですよ。

かわら

いやいやいやいや(笑)。

高須

長さんぐらいのクラスになったらそんなこと
しなくたっていいんですよ、そんなん若い作家のやることなんだから。
ところが、長さんは下手したら若手よりもたくさんネタ持って
くるからね、それはホントにすごい。
「なんでそんなことするんですか?」って訊いたら、
「これは、自分がまだイケてるかどうかを測るために必要なんや」って
言われて…例えば、リトマス試験紙みたいな。
作家としての客観的な「活き具合」を測るっていうか。
小さなネタを出して「おもしろいですねーっ」て言われたら、
まだ大丈夫。言われへんかったら、ずれてるんや、と理解できるっていう。

かわら

いや、それでも気ぃ遣うんやで?
ネタがうけたとしても、果たしてそれが本当かどうかと思うもの。
「かわら長介だからっていう遠慮でうけてるだけなんじゃないの?」とか思うもん。

高須

いや、全然そこらの若手のネタよりおもしろいですもん。
僕が長さんと同い年になった時にそういうネタが書けるかって言われたら、
それはもう自信がない。
書いておかなくちゃ、とは思いますけどね、やっぱり。
筋力トレーニングしとかなくちゃ、これは鈍るぞと。

かわら

そう、企画考える脳みそがね。

高須

人が出した企画によりおもしろく色を付けるっていうのは、
もう技術じゃないですか。それはもう、できるじゃないですか。

かわら

脳のそういう引き出しは、もうたくさん作り付けたからね。

高須

ただ、新しい引き出しを作っていくっていうのは、恒常的に
やってないと、どんどん錆び付いていってしまうんですよね。

かわら

そう、で、これだけやってても絶対錆び付いていってる部分は
否めないわけやから、必死で毎日やっていくしかない。

高須

僕もそういう焦りありますもん。絶対やっとかな、と思いますもん。
夜でも、夜中でも、番組の企画ってやっとかな、と思いますもん。

かわら

企画脳の筋トレ、やっとかなと思うよねー。
コツを忘れてしまったら、そしてずれてしまったら、もうおしまいやから。

高須

僕ね、自分の企画のたて方って追い込み型だと思ってたんですよ。
例えば、いきなり会議で「こんなん考えて欲しいんですけど」
と言われたら、「はい、わかりました」と今すぐポンッと考える方が
良いのが出てくるし、かっこいいかな、ともちょっと思ってたんですよね。
でも、最近は脳みその使い方が変わってきたみたいなんですよ。
以前長さんは、企画とかは夜、自分の家に帰って「さあ、考えるぞ」と、
きゅぅぅぅって密に考えるって言ってたでしょ?
最近、それが理解できてきたんですよ。
それの方が考えられるようになってきてるみたいなんですよ。
集中力が薄れてきたんですかねぇ。

かわら

結局、筋肉とか運動能力に例えると分かりやすいねんけど、若いときは
やっぱり瞬発力があるからさ、そこに任せても何とかなるやん。
何とかなってたやん、実際。
でも、年齢を重ねたり、経験積んでくると、じっくり筋肉ほぐさんと
うまく効率よく働かなくなってきたりすんのよ。
もう絶対、どこかしら使い切って無理してたりするってのもあるんやろけど。
企画脳って、ホントにそういう筋肉みたいなもんよ。

高須

40歳目前にして150キロの球を投げようとしてる、
巨人の工藤みたいなもんですかね。
筋肉をじっくりじっくりほぐして、ビックリするぐらい時間かけて
ほぐして、それで肉体改造してるんですって。
経験積むと、そうするしかないんですよね。
じゃないと、力出すときに壊れてしまうから。

かわら

最近は僕、「はいっ、ここから考えるの開始っ」と思ったら、
ぎゅっと考えられるようになってきたかな。

高須

進化してますね~。

かわら

後は、経験によってディレクターとか番組との相性を把握して、
コツをバッ!! と掴める一瞬とかあるよね、番組によるけど。

高須

ああ、そういうのもありますね。

かわら

でも、結局努力するしかないんよね、維持しようと思ったら。

高須

進化しようと思ったら、なおさらそこは怠れませんもんねー。
そこから更に、っていう、上乗せしかないんですよね、
きつくてもつらくても。

第7話へつづく

放送作家

かわら長介 さん

1949年 岐阜県益田郡(現下呂市)に生まれる。
1956~1965年 悪癖に溺れる少年期。
1958年 初恋す。
1966~1968年 基本、恋狂い。
1968年 暗黒のサラリーマン時代。
1971年 某国立大学入学/社会を問わんとす。
1972年 杉浦千鶴子を知る。
1976年 結婚/漫才作家にならんと大阪へ。
1978年 島田紳助を知る。
1981年 月収100万円を超える。
1983年 吉永薫を知る。
1980年代後半 漫才と漫才作家に懐疑を抱く。
1987年 離婚~以後独身/高須光聖を知る/死刑3部作①『君は我が運命(さだめ)』やり直し公演。
1989年 死刑3部作②『殺さば死ぬる』赤字公演。
1990年 築本早栄美を知る。
1991年 かたつむりの会主催死刑反対イベント『寒中死刑大会』構成・演出。
1992年 死刑3部作傍流芝居『京阪神犯罪伝説』100万円赤字公演。
1993年 武井裕子を知る。
1999年 戦争芝居①『哀楽喜怒~私は子供が好き』200万円赤字公演。
2002年 戦争芝居②『祭りの極』500万円赤字上演
2004年 刺青/放送作家塾「魁塾」開始。
2008年 私刑芝居『牛馬頭のゲーム』大阪、東京700万円赤字公演。
2009年 主宰コントライブ『コント衛門第一回』開催。現在まで8回の公演にて中断中。
2014年 「魁塾」20期にて目出度く終了。
2015年 『週刊金曜日』に「かわら長介のコント工場の有機物」月一連載スタート。
2016年 (1月)銀座博品館のコントライブ『七転び八時起きの人々』にて作品上演。

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