『めちゃイケ』をはじめ、芸人バラエティを牽引し続けるイメージが強いディレクター・片岡飛鳥さん。その硬派なまでの「笑い」に対する強いこだわりがガッツリ詰まったインタビューです。テレビ番組を作る際に必要なパッケージ感の話、若手を育てる技法についての話などは、業界のみならずさまざまなビジネスや企画にもあてはまるヒントが詰まっています。笑いを愛する、すべての人へ。
取材・文/サガコ
インタビュー
第4話
2001.01片岡
『めちゃイケ』のおもしろさって、【過程】じゃない?
こんなこと言うと変に聞こえるかも知れないけど、
最初からきっちり出来上がったものだけを見せても、
それは絶対おもしろくなかったと思うんだよ。
今ならまだしも、番組始まった頃って、
メンバー全員のお笑い体力低かったから。
高須
そう思えば『夢で逢えたら』って違ったよね。
片岡
『夢逢』は、最初からお笑い体力持ってる人達ばかりが集まってたんだもの。
本当に、全員が全員すごかった。
でも『めちゃイケ』は、『夢逢』とは違うでしょ。
高須
同じでもしょうがないしね。
『めちゃイケ』は、もっと別な要素で組み上げられてる。
片岡
僕がそういうメンバーを集めたし。
だから、滑ったら滑ったでいい。
なぜなら、若いんだから。
それはいろんな意味での「幅」なんだよね。
笑いへの過程を見せていくのも、全部、幅。
その番組そのものの許しの部分は『夢逢』とは完全に違うものだと思う。
片岡
僕があの番組でいつも見てるのは、
「誰が元気ないかな~?」ってこと。
11人、いつもしっかり見るわけさ。
高須
もう先生やな(笑)。
片岡
でも、当然岡村くんには一番時間をかけなきゃいけない。
高須
そういう意味じゃ、飛鳥先生の秘蔵っ子やからな。
岡村も思ってると思うよ。
「最終的に信頼できる演出家って片岡飛鳥だ」って。
片岡
いやぁ~、それはどうか(苦笑)。
高須
ナイナイも今や、たくさんの番組持つようになって、
いろんな時間帯に出て、ファンも多いけど、
それでもナイナイのお笑い偏差値みたいなのを
きちんと上げていけてるのは、俺『めちゃイケ』が一番やと思うのよ。
片岡
でも、「ぐるナイ」とかもいいじゃない。
高須
確かにあの番組もナイナイの看板番組やで?
でも視聴率も確実に取りながら、
笑いがとれる企画を毎回考えるのって大変やん。
例えば、ぐるナイの「ゴチになります!」のコーナーは確かに良くできてる。
夜7時からって時間帯を考慮した、いいソフトだとも思うのよ。
それゆえに取れ高が多くて、数字も安定している。
そうなると、制作者的には人気コーナーを続けざるを得ない。
生き残っていくためにはしょうがない。それはそれで正しい。
どうしても7時台という魔物の前には
俺ら作家もみんな臆病になってしまうから……。
でも自らを”お笑い番組”と公言した
『めちゃイケ』はそうはいかんでしょ。
片岡
確かに新しいことを次々に産み出す方が何倍も苦しいし、
何倍もキツイし、とにかく危険。
だけど『めちゃイケ』はそれをやってきたし、
それをやり続ける。チャレンジし続ける。
そうじゃないと、誰も見てくれなくなっちゃうもの。
高須
毎週毎週じたばたしまくってるもんなぁ~、うちらの定例会議は(笑)。
高須
『めちゃイケ』が始まった頃って、
スタッフみんな、片岡飛鳥信者だったでしょ。
作家にしても、タレントにしても、
みんながみんな飛鳥に世話になって、育ててもらって、
上がって来れた、みたいなことがあった。
でも、同時に「片岡飛鳥不審」の波もやってきた。
片岡
番組が8時台に上がってからでしょ?
最初の1クール、そうだったみたいだよ。
高須
岡村がね、俺に言っただんよ。
「……高須さん、これでいいんですか?」
ものすごい不安だったんだろうね。
「え。どういうこと?」って俺が訊いたら、
「いや、これで、この形で『めちゃイケ』は進んでいっていいんですかね?」
って言うのよ。
岡村が俺にそういうことを言うなんて、それまで無かったことだから。
今はもう、どっしりしたもんだから、そういう話にもならへんけどね。
多分、俺に岡村が言ってきたのは、
俺が飛鳥側のスタッフではない、ってのがあったからなんじゃないかなぁ。
他の『めちゃイケ』スタッフは、
飛鳥によって力をつけた部分が大きかったけど、
俺はほら、育った場所が違うからね。
片岡
いやぁ、そんなことないよ!
一緒に青春過ごしたじゃない!
『渋谷系うらりんご』とか『猫だまし』とか(笑)。
高須
(笑)。
過ごした過ごしたっ、確かに過ごしたよ(笑)。
でも、どっちかと言えば、ほら、途中参加やから。
片岡
う~ん……。まぁ、そう言えばそうだね。
ただ、僕は尊重はしてるよ、その点では。
高須
どういうこと?
片岡
高須さんって言う世界観を尊重している。
もう少し言えば、
「この、一定の枠の中から離れたことを言っててね」っていう期待がある。
違うなら違うって言っていいよ、てこと。
それが絶対に必要なの。
しかも、今や僕のことを「飛鳥」っていう人は少ないわけ。
高須
あぁ……そうやなぁ。
片岡
いないんだよね、呼び捨てにしてくれる人なんて。
こないだ『めちゃイケ大辞典』作った時に、
どこかの雑誌の取材を受けたんだよ、本の流れでね。
そしたら、「飛鳥さんが一番年長なんですか?」って訊かれて、
「いや、ちょっとだけ年長さんがいます」って答えた(笑)。
「えー、この何十人というめちゃイケスタッフの中で、
俺のことを呼び捨てにするのはですね…」って
本の最後のスタッフ一覧を指さしながら、
「この高須っていう作家さんとー、美術プロデューサーの
小須田さんって二人だけは、僕のことを名前で飛鳥って
呼んでくれる、非常に貴重な存在なんですよ」って(笑)。
だって、否定されないことほど怖いことはないでしょ?
否定されないっていうのは、つまりヤバイってことだもの。
それは、自分のことを呼び捨てにしてくれるような人でなければ
はっきり言ってくれなかったりするでしょ。
だから僕は、高須さんのどこか外側みたいな位置からの
「違う」っていうのには、素直に耳を傾けるよ。
高須
「違う」っていうことに関係してくると思うんだけど、
芸人ほど「違う」ってことに敏感になってなきゃダメな生き物って他にないよね。
片岡
それは、作家とかディレクター以上にね。
高須
こないだ、新宿のルミネってところに吉本の劇場が出来たのよ。
そしたら、もうテレビで結構やってるような芸人が出たりしてる。
それって実は、自分を再確認する場としての舞台なんよね。
片岡
なるほどね。
高須
人間ドッグみたいなもんでさ、自分より若手の芸人の
ファンとかがいっぱい詰めかけてる場所でネタをやらないとダメで。
例えば、品川庄司とかのファンの前で、
ロンドンブーツやココリコがネタをやるってのは、
ある意味で過酷なわけよ。
でも、それをやっていかなければ見えてこない。
自分たちのお笑い体力とかってものの、リアルな移り変わりがね。
第5話へつづく
ディレクター
片岡飛鳥 さん