『電波少年』『ザ!鉄腕!DASH!!』など、ヒット番組に次々携わる田中さんは、高須さんいわく「理論派の放送作家」。田舎で育った経験から生まれた「DASH村」、ヒットを確信した瞬間は○がおりた時!? 幼い頃に見てきた原風景から導き出されるバラエティ企画のリアルな落としどころについての話など、ヒットの秘密がたくさんわかる話が目白押しの回です。
インタビュー
第5話
2007.09『ザ!鉄腕!DASH!!』人気企画の生まれたきっかけ
高須
『ザ!鉄腕!DASH!!』で昔、アヒルみたいな人形が川から下ってくるのを
TOKIOが追っかけるっていう企画を「ああ、面白いな」って思って見てたのよ。
汗をかきながら達成感をえる、あれ系の企画がけっこう好きで、
「TOKIOVS100人の刑事」とか、「DASH村」とか…
番組の企画がちゃんと正しい進化をしてる感じするよね。あと
どれも田中くんらしい企画やなあ~って。
田中くん自身も大好きやと思うのよ?あの番組。
田中
そうですね(笑)。でもやっぱり、ものすごく時間は取られますよ。
高須
それはだって、田中くんのDNAがものすごい入ってるもん。
青森で育ったことも役立ってる?
田中
それはありますね。「DASH村」でもヤギを飼ってるんですけど、
僕の実家でもヤギを飼ってましたからね。
高須
そうなの!?
ヤギがアイテムとして、面白いっていうか使えるなあ、みたいなのは
前々からあったの?
田中
そうですね。ヤギは食欲でしか生きてない家畜だから、
見方によってはどうとでも撮れる動物なんですよ。
感情表現が激しいわけじゃないし。
ウサギだと分かりにくいけど、程良くデカくて大きさもちょうどいいし、
コミカルだし。
高須
ほんま、ようできてるよね。
昔『未来日記』が終わって『未来日誌』という新しい企画をやった時に
『北の国から』みたいな田舎生活ものをやろうという話になったわけ。
都会に住むどこかの家族に移住してもらって、1ヶ月間田舎生活を
実体験してもらおうっていう企画やったんやけど、会議で詰めていくうちに
画の変化がないし、ドラマにならないという結論にたっして中止になったわけ。
これまでは恋愛モノやったから人の気持ちが動いたけど、
田舎生活をしてもらったところで、いったいどんだけ気持ちが動くねんって。
田中
とれ高が分からないのに、結構なカネもかかるし。
高須
それにやっぱり田舎経験がない人間がいくら考えても
撮り方が分からへんのよね。
これは俺らが思うてるようにはいかへんでって。
結局、別の企画に変えたんやけど、そのすぐ後に
「DASH村」が始まって、見てたら面白いのよ。
ものすごい淡々と作ってるやんか。あれを見て、
「ああ!これでええのかあ~!」って(笑)。
俺らには分からへんかったのよね。
田中
『鉄腕!DASH!!』の立ち上げで総合演出だった駒木さんも田舎の出身なんですけど、
駒木さんが情熱と勝算を持ってプロデューサーを説得して、
最初にお金をかけられたのがすべてなんですよ。あそこを耕すぞっていう。
高須
なるほどね~。
でも連載モノっていい時はいいけど、しょっぱなでしくじると、
もともと数ヶ月で考えていたものだから、ダメな時はケツ拭かなあかんから、
エライ数字のダメージもくるやんか。
ダメやって思ったときには取り返しのつかへんときもあるし。
季節の移り変わりだけで保つとは思えへんかったもん。
それでも駒木さんって演出の人がGOしたのは偉いね。
田中
そうですね。小牧さんもそうですけど、僕らは田舎で育った分、
季節の移り変わりを実際に見てきてますからね。
あと、僕は小さい頃から農家である友達の家に遊びに行くのが好きで、
手伝ったこともある「稲刈り」は興奮の大イベントだったんです。
うちのヤギもうるさくて、家畜は大変だけど必ず愛着が出るものだし、
企画としてやったらやったで報告したり見せたくなることが
いっぱい出てくるだろうって。
これで農業の本物の素人であるTOKIOが行く企画だから、多分失敗の連続だろうと。
で、テレビで失敗を見せて視聴者が「あ~あ、コイツらしょうがねーな」
っていう気になったら、次にイケるだろうなと。
上手く作物を作ることが目的じゃなくて、何も経験の無い若いヤツがやったら
どうなるだろうっていうことで、季節の実感を持ってもらうのが目的だったから。
高須
なるほどね!
第6話へつづく
放送作家
田中直人 さん
1964(昭和39)青森県木造町(現・つがる市)生まれ。
青山学院大学3年在学中より伊藤輝夫(現・テリー伊藤)の下で放送作家に。
初めての番組『コムサデとんねるず』(フジ)
好きなもの:猫・温泉・演劇・ラグビー・アーモンド・辛くないカレー