御影屋

高須光聖がキク「高須光聖×田中直人」 第9話

『電波少年』『ザ!鉄腕!DASH!!』など、ヒット番組に次々携わる田中さんは、高須さんいわく「理論派の放送作家」。田舎で育った経験から生まれた「DASH村」、ヒットを確信した瞬間は○がおりた時!? 幼い頃に見てきた原風景から導き出されるバラエティ企画のリアルな落としどころについての話など、ヒットの秘密がたくさんわかる話が目白押しの回です。

インタビュー

第9話

2007.09

高須光聖がキク「高須光聖×田中直人」

40過ぎても これからも

高須

田中くんは辞めようとか思う時期とかなかったの?

田中

辞めようとは思わなかったですね。

高須

それはやっていけそうと思ったから?

田中

楽しかったから、ですかね。辛いと思ったことがなかったくらい。

高須

そうなんや。俺は始めの頃、結構辛かったあ。
全然ネタが採用されへんし。

田中

採用っていうことは考えなかったですね。

高須

そのメンバーで温泉にもよう行ってるって言ってたよね。

田中

行きますね。そのメンバーに限らず、温泉にはよく行きますけど。

高須

また、カッコええ台詞出てるやん(笑)!

田中

いや違う違う(笑)。
「まだまだ素人だし、学生だし」って自分の敷居を下げといて、
ウケなくても自分だけ密かに面白がるっていうのがあるじゃないですか。
だから、例えば3つネタを書いていったとしたら、
3つ目に自分だけ面白がるクダらないネタを入れたりとか。
それがウケたりすると「ああ、分かってもらえたな」って(笑)。

高須

俺は全然できひんわ。
自分で面白いって思っても、思った分だけウケてくれへんかったら
ものすごいショックやもん(笑)。
それでも田中くんは3つ目に書いていくねや。

田中

そんなことがずっと変わらないですね。
40歳過ぎてバカなことを書いても許される仕事って
放送作家くらいのもんで、他にはないですからね。
自分もそんな大人になれるんならストレスなくていいなあ
って思いながらやってきたんで、別に辞める気はなかったですよ。

高須

ほら~。またカッコイイこと言うてる(笑)。

田中

でも実は大学の頃、体力に自信もあって警察官志望だったんですよ。

高須

そんな人間が放送作家やるっておかしいやん。

田中

そうなんですけどね、刑事になりたかったんですよ。
現場に行って証拠調べとかしたくてね。

高須

それで放送作家温泉でも何度も聴いたけど、
カラオケでいっつも『銭形平次』なんや!

田中

それは関係ないですよ(笑)

高須

なんや(笑)
今日は何年越しの対談が実現して、いろんな話も聞けて
本当にありがとう。
どんな風に仕事してるのか、本当の性格とか知ることができたしね。

田中

まあ、こんな感じですよ(笑)。
でも本当に理論派じゃないですよ、僕。

高須

理論派やん(笑)!

おわり

放送作家

田中直人 さん

1964(昭和39)青森県木造町(現・つがる市)生まれ。
青山学院大学3年在学中より伊藤輝夫(現・テリー伊藤)の下で放送作家に。
初めての番組『コムサデとんねるず』(フジ)
好きなもの:猫・温泉・演劇・ラグビー・アーモンド・辛くないカレー

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