御影屋

高須光聖がキク「高須光聖×田中直人」 第5話

『電波少年』『ザ!鉄腕!DASH!!』など、ヒット番組に次々携わる田中さんは、高須さんいわく「理論派の放送作家」。田舎で育った経験から生まれた「DASH村」、ヒットを確信した瞬間は○がおりた時!? 幼い頃に見てきた原風景から導き出されるバラエティ企画のリアルな落としどころについての話など、ヒットの秘密がたくさんわかる話が目白押しの回です。

インタビュー

第4話

2007.09

高須光聖がキク「高須光聖×田中直人」

ネタを作りあげてゆく

高須

初めてきっちり採用された自分らしい企画ってどんな企画?

田中

う~ん……テレビって演出なり、他の誰かの色が足されていくから
きっちりとなると…あ、その頃フジテレビで
自分らしい企画っていうのとは違うかも知れないですけど、
『オールスター変装大賞』っていう番組があって、
タレントさんが動物とか物体に変装して、オチというかストーリーがあって、
スタジオで大賞を決めるっていうものだったんですけど、本物のお城のてっぺんで
「ヒップアップが金のシャチホコ変装」ってヤツが採用も展開もきっちりでしたね。
あの番組はやっていて自分に生理的に合ってる仕事のような気がしたんですよ。
ディレクターと一緒に考えたストーリー展開がまんまとハマって大爆笑という
パターンは好きですね。その頃に知った快感です。

高須

作り上げるものが好きなんやね。
ロコモーションってすごいなと思うのが、みんな仲良いねんけど、
ちゃんとライバル意識持ってるよね。緊張感というか。

田中

意識はね、みんなちゃんとあるんでしょうね。
でも、意外と一緒に番組をやることが少なかったんですよ。
とくに僕はあんまりないですよ。『電波少年』のときくらいですよね。

高須

そう考えると『電波少年』ってすごいメンバーでやってたよね。

田中

でも企画段階では、僕は正式メンバーじゃなかったんです。
たまたま土屋さんと局で会って、たまたま暇だったんで「じゃあ会議来る?」って。
本当にたまたまで(笑)。

高須

そうやったんや。
俺は土屋さんと仕事やったことがないのよ。
いろいろ声はかけてくれたんだけど、諸問題があって参加出来なかった
『ガキの使い』の編成に土屋さんがおったときも
編集所に行ったこともなかったから、土屋さんの演出論とか
実はあんまり知らんのよね。どうやって撮るとか、どういう会議をするとか。

田中

『電波少年』で言うと、基本的には伊藤さんと同じなんです。
総合演出ということで、ネタを一個一個読みながら、
作家に話を聞きながら見ていくっていう。
とくに「アポなし」の頃ってショートネタのオンパレードだったから、
僕らが挙げたネタに対して会議でやり取りをするんですよ。
こうした方がいいんじゃないかっていうよりも、
ネタに対してイメージを膨らます会議。

高須

それは演出のイメージ?

田中

その更に前段階ですね。
ネタとして面白いか、バカバカしく突撃できるかどうかっていう会議だから、
オチまでの展開については全体会議の場ではあまり出ないです。
会議でネタが盛り上がったときに、「よし、これはどうにかしてやろう」と。
細かいストーリーはそれからですね。

高須

企画としてちゃんと進められるかの確認だけで、あとは持って帰っちゃうっていう?

田中

そうですね。
あとは、作家がみんないる中で、そのネタが面白いかどうかの確認に近いですね。
反応が鈍かったりすると、ちょっと考えようかっていう。
雑談に近い会議でしたよ(笑)。

第5話へつづく

放送作家

田中直人 さん

1964(昭和39)青森県木造町(現・つがる市)生まれ。
青山学院大学3年在学中より伊藤輝夫(現・テリー伊藤)の下で放送作家に。
初めての番組『コムサデとんねるず』(フジ)
好きなもの:猫・温泉・演劇・ラグビー・アーモンド・辛くないカレー

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