御影屋

高須光聖がキク「高須光聖×土屋敏男」 第2話

『電波少年』を大ヒットさせた後、日本テレビの編成部長に就かれた当時の土屋敏男さんと、高須さんとのガチトーク。テレビを愛してやまない男たちが、テレビがヤバい!死にそうだ!と焦りだしたリアルタイムの緊迫感が詰まった対談です。それはまるでかつて輝いていた愛する人が歳を取り、変わり果て、弱っていくのをそばで見るような絶望。作家として、編成部長として、なによりテレビマンとして何ができるのかを探り、語り合う姿は、まさしくドキュメンタリーでした。
編集/サガコ

インタビュー

第1話

2003.01

テレビ、ヤバクないっすか!?

今、テレビは迷っている。 そこで「電波少年的放送局」が、そんなテレビの明日を考えるために スタートさせた新企画。 テレビはいったい何を目指し、どこへ向かうのか。 T部長自らが現役のテレビマン・各界著名人を迎えてその答えを探る。 それが「荒野のテレビマン」。 あの閉ざされたスタジオに待ち受ける、T部長。 そこへ、あのブランコで降り立つ高須。 時間はすでに午前三時。居心地悪そうにソファへ座り、苦笑いする男たち。 時代を生き抜くテレビマンである二人が、やがてゆっくりと語り始める。

土屋

さて、放送作家の高須くんです。
僕はいつも「たかすちゃん」って呼んでるんですが、
付き合いが始まって、もう何年になるかな?

高須

『ガキの使い』がはじまって15年ですから、ちょうど15年になりますね。

土屋

その前に俺は『恋恋!ときめき倶楽部』っていう
DTのゴールデン番組をやってたんだけど、その時にはまだ大阪で仕事してたんだっけ?

高須

そうですね、大阪にいました。
当時僕は、吉本の大崎さんに選択を迫られたんですよ。
あ、大崎さんっていうのは、吉本のえらーーーーい人です。

土屋

そうそう、えらーーーーーい人ね。

高須

そのえらーーーーーい大崎さんに
「高須、ダウンタウンの番組を東京でやるんだけど深夜とゴールデン、どっちやりたい?」
って言われたんです。

土屋

ほう、すごい迫られ方だね(笑)。

高須

ええ(笑)。それで僕は、その当時ひよっ子だったにもかかわらず、
ゴールデンはいやな人がいっぱいいそうだからやりたくないなぁ、なんて思っちゃって、
「僕、深夜でいいです。っていうか深夜がいいです」って答えたんですよ。

土屋

うわ、交通費は出てたの?

高須

さすがに交通費は出てました。新幹線のクーポンが、吉本さんから渡されて……。
でも、ホテル代は出ないわけですよ。それで一回、その話をしに言ったら、
「あーっ! そうや、そうや、そうやったなぁ~」言われて、
それっきり連絡なしですよ……。収録と会議が終わって、
最終の新幹線で松本が大阪へ帰るって時には自分も一緒に泊まらないで帰ってましたけど、
少しでも収録が押して(遅くなって)しまったら、新幹線はない。帰れない。
泊まるしかない。新宿のグリーンホテルのカプセルがねぇ、臭かったですよ……。

土屋

臭いんだ(笑)。

高須

変な臭いして、たまらんかったですけどね、そこに毎週泊まって。

土屋

そんな日々を過ごしていたたかすちゃんに出会ってから今日まで、もう15年ですよ。

高須

若かったですよね。お互い変わりましたねぇ。

■テレビ、やばくないっすか!?■

土屋

いつだったかな。
この「荒野のテレビマン」が始まるちょっと前くらいかなあ。
君のラジオ番組にお邪魔したときに、高須ちゃんが
「テレビ……やばくないっすか?」って言ったのよ。
折りしもそんなタイミングで、そんな言葉を言った高須くんには、
ぜひここに出演してほしかったんだ。

高須

それは光栄ですねー。だって、もう、テレビ絶対ヤバイでしょ!?

土屋

まぁ、その……。いや、そうなんだけどさ。
君もだな、久しぶりに俺に会ってだよ?
いきなり人の顔見て「最近テレビやばくないっすか?」って言うのはどうよ?

高須

そうでしたっけ?

土屋

そうだよ、おひさしぶりですね~なんて挨拶もなしに、
前フリもなかったんだよ? それって、いったい何よ?

高須

ここ何年かなんとなく、ずっと思ってることなんですよ。
今、土屋さんが現場を離れて、編成部長になりましたよね。
土屋さんが現場にいて、『ガキの使い』を作ってた頃って、
現場が本当に楽しかったじゃないですか。
作り手がすごく楽しんでいて、僕なんて
「こんな楽しいことやって、お金がもらえるなんてなんてありがたいんだ! すばらしいんだ!」
って思えてた時期がちゃんとあったんですよ。それが毎週毎週、思えていたんですよ。
なのに、だんだんそういう気持ちじゃなくなってきてるのが、
なんだかおかしいなぁと思えてきていて。

土屋

なるほど。

高須

土屋さんは『ガキ』の立ち上げ当時にも、『電波少年』を立ち上げるときも、
「まぁ、楽しいことしようよ」って言ってたじゃないですか。
笑いの神様が降りてきて、笑いすぎて腹が痛くなるくらいおもしろいことをしようよ、と。
僕としては、土屋さんって今でもそう思ってるのかなぁ? と。

土屋

ふむ。

高須

自分の中ではテレビマンといえども、その中でカテゴリーが存在してるんです。
僕としては、土屋さんは「最近、テレビやばくないっすか」って言葉を言っても、
きちっと受け止めてもらえる側の人だと思ったんです。
「テレビがヤバイ」と言っても、その領域で話をできる人かどうかってあると思うし。
人によってものづくりの方程式は違いますから。僕の言葉を受けて、
できれば「でしょお? それで僕は今はこんなことを考えてるんだけど~」って
今後に向けての話をしていきたいんですよ。
僕は作家の中にも、そういう話ができる人、できない人がいると思ってるんです。
どんな作家だって、その話をふれば何らかの話をするとは思います。
だって、そこで食べて行ってるわけだから。
だけど、うまく話せる人と、話せないような人がいると思って…。
僕は自分のホームページを持ってて、そこでいろんな作家の人たちと話をしているんですが、
今の不安な状況、テレビの現状を話す場として、対談企画をスタートさせました。
土屋さんの顔を見たとき、一瞬でその空気になってしまって、
「うおっ、言わなきゃ!」って焦ったんでしょうね(笑)

土屋

そういうことだったんだね。なるほど。

高須

今、土屋さんのいる立場の「編成部長」って、
テレビに対してすごい権限を持ってるわけですよね?

土屋

んー、まぁそうかも。

高須

そんな土屋さんだから、今言わなきゃ! 問いかけなきゃ!って思ったんですよ。
「テレビヤバくないですか?」って。

土屋

そういう意味では、この企画もそんな危機感から来てるんだよ。
第一回目に出演した海老克哉が、ものすごくこのコーナーをテレビでやりたがってね。
六月頃に、コピーライターの糸井重里さんが三日間、
この部屋にこもってくれた企画があったんだ。
三日間、毎晩俺が来てその度に二時間くらいしゃべっていたんだけど、
ずーっとテレビの話をしてたんだ。
(この対談は、糸井さんのホームページ『ほぼ日刊イトイ新聞』で
「テレビという神の老後」というタイトルでテキスト化されてます)
まあ、その経験と海老の持ってるテレビへの危機感とが合わさって、
このコーナーが始まったんだよ。
そのコーナーがスタートしようかって時にたかすちゃんから一言、
「テレビヤバくないっすか?」だもん。びっくりしたよ。

高須

ほー、すごいタイミングだったんですねぇ。

■テレビをあきらめがちになる■

高須

僕の周りにね、必ず「松本人志」っていう人間がいるんですよ。

土屋

うん、そうだね。

高須

小学校一年のときから、いつもあいつがいるんです。隣に。
『ガキ』で土屋さんと一緒にいた頃、僕らよく感動してたじゃないですか、二人のトークに。

土屋

あったねー、神が降りてきたようなトーク!

高須

当時の『ガキ』って、僕らスタッフ全員も客席から収録を見ていて、
僕の隣はたまたま土屋さんでね。
天使ネタの話の時ですよ、びっくりするくらいに笑ったんですよ。
それでもう興奮して、「今日の一時間のトークは奇跡だ!」って二人して喜んで…。

土屋

うんうん、確かにあれは奇跡だった。俺もしっかり覚えてるもん。

高須

けれど、そういう現場や奇跡を知ってるが故に生まれいずるものもある。
あいつは……松本は本当にお笑いが好きですからね。
今の状況に対してどんどんフラストレーションがたまってくるわけです。
それで、周りにいる僕に愚痴が出てくる。
「今のテレビは……」「今のテレビは……」って。
おもしろいいことを思いつけばつくほど、奇跡を体感してて、
それを見せてやろうとすればするほど「でも、テレビでやってもなぁ」ってなって、
手前でブレーキがかかるようになってきたんです。

土屋

ふむ。

高須

会議の中でもそんなテンションで話が終わっちゃったりする。
今のテレビの企画会議って、作家がおもしろいことを考えて
その宿題を発表する場ではなくなってますよね。
この番組がオンエアされている時間にはほかのチャンネルでこんな番組がやっていて、
見ている層はこんな人が多くて、だからどんなことをすれば視聴率が取れるか…、
この状況にあった企画を作家さんお願いします、ていう会議になるんですよ。
もはや「革命を起こそう!」っていう会議ではないんですよ。
「おもしろいことやってやろう! 見たやつらが「やられたーっ」って
悔しがるようなおもろいことをやろう」っていう会議ではなく、
「まずは二桁の数字っ、終わらない番組をっ」ってとこからスタートする。
この状況では…おもしろいものは生まれないよなぁと。
だけど、ご飯は食べていかなきゃいけないし、
立場的に自分がチーフの作家になったりすることも増えて、
番組を維持していくために夢ばかりを語ってるわけにもいかなくなってくる。
それでどんどん削がれていくんですよ。自分が削がれていくのがわかるんですよ。

土屋

んーとね…。たかすちゃん、ごはん食べすぎ!

高須

うはっ…痛い攻撃…(苦笑)
けど、ここのところなるべくごはん食べるための仕事は請けないようにしてるんですよ。

土屋

あ、それ、海老もいっしょなんだよ、レギュラーいっぱい減らしたんだよ。

高須

あー、そうなんだ……。
終わらないものは続けてますが、僕も新しい仕事は請けないようにしてます。
そうやって考え方をシフトしないと、自分がこのままで終わっていくんや…
って思ったら、不安でもあり、いいのか! 俺! とも思えてきたんです。

土屋

そうなんだよなぁ。
海老が言ってた。「気持ち悪い番組の会議はもう行かない」と。

高須

ものすごく分かるな、それ。
でも、僕ら作家って不思議なものでおもしろい物を作る快感
っていうのももちろんあるんですけど、
人間にはまた別に「褒められる快感」っていうのもあるでしょう。

土屋

ある、あるね。

高須

例えば、視聴率の悪かった時間帯の枠がよみがえって、
「すごいねー、蘇らせたね~」って言われたりすると、この快感も忘れられないでしょう?

土屋

忘れられないね、確かに。

高須

それがあるとね、気持ち悪い会議だってまたやれるかな?と思ってしまうんですよ。
愚かっていわれれば、それまでかもしれないんですけどね……。

土屋

そのへんも含めて自分のバランスを自分で調整できないテレビマンは
一気に崩れていくよな。

高須

まさしくそうですね。その危機管理はめちゃくちゃ大事だと思います。
と、こんなことを話してはいながらも、
今、僕は少し希望が出てきてるんじゃないかと思ってるんです。

土屋

ほほう、それはまた、どういうことなんだろう?

第2話へつづく

プロデューサー

土屋敏男 さん

LIFEVIDEO株式会社 代表取締役社長 兼 日本テレビ放送網株式会社 編成局ゼネラル・プロデューサー
昭和31年9月30日静岡県静岡市生まれ(58歳)
1979年3月一橋大学社会学部卒。同年4月日本テレビ放送網入社。
主にバラエティー番組の演出・プロデューサーを担当。
「進め!電波少年」ではTプロデューサー・T部長として出演し話題になる。
このほかの演出・プロデュース番組
「天才たけしの元気が出るテレビ」
「とんねるずの生ダラ」「雷波少年」「ウッチャンナンチャンのウリナリ!」
「電波少年的放送局」「第2日本テレビ」「間寛平アースマラソン」
「岡本太郎『明日の神話』修復プロジェクト」「NHK×日テレ60番勝負」
など多数

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