御影屋

高須光聖がキク「高須光聖×松井洋介」 第3話

大阪時代からの後輩にあたるチャダこと松井さんが対談相手ということで、いつもよりも砕けた関西弁が飛び交う元気な回です。ダウンタウン浜田さんとのドラマティックな再会がなければ、松井さんの作家人生は閉ざされていた? そして『ワンナイ』や『トリビアの泉』が高視聴率を叩き出していた時代のコントに賭けた熱い思いや、抱えていた矛盾とは? 真夏の対談は、熱を帯びました。
取材・文/サガコ

インタビュー

第2話

2003.09

台風と一緒に東京上陸

松井

僕、しばらく演歌番組やった後、
結局紹介してもらった事務所を辞めてしまったんです。
やっぱりバラエティやりたかったんですね、
どうしてもバラエティ! と思ってた。
で、ラジオの仕事一本だけを残して、仕事はなくなっちゃって、
貧乏生活してました。
やることないからパチンコ行ったりとかしてたんです。
その頃はもう、ダウンタウンさんが東京出てきてた頃だったんですけど、
その年ね、ものすごい台風が来たんですよ。

高須

ほうほう。

松井

台風がごうごう言うて雨風すごくて、
外に出られないから家でぼーっとしてたら電話がかかってきたんです。
ヤンタン時代にお世話になったディレクターの池田さんからで、
「台風で新幹線が止まって、ダウンタウンが東京から動けなくなった。
今日の深夜に大阪からオンエアする生放送に来られない。だから、急遽、
毎日放送の東京支社のスタジオからオンエアすることにした」と。

高須

あったあった、MBSの深夜でやってた『ダウンタウンの素』って番組。
たしか俺がチーフでやった初めての番組じゃないかな?

松井

そうやったんですか!
そんなこんなで、電話で言われたわけです。
「東京に居るスタッフは誰もダウンタウンのことがよく分からないし、
番組に直接関わってる人間は東京に誰も居ないから、松井、
ここはお前が行ってくれへんか?」って言われたんです。

高須

おおっ。

松井

僕はもう、すごく暇だったんで、喜んで「行きますよ」と返事をして……。
ダウンタウンさんに会うのは、1年半ぶりぐらいでしたね。
それがもう嬉しくて、雨の中、スタジオまで行って。
で、行ってみたら僕のこと、ちゃんと覚えててくれはったんですよ。
「なにしてんねん~?」みたいな話をしましたね。
その日は大阪からリスナーのハガキをFAXで送ってもらったり、
電話繋いだり。ディレクターみたいなことをやって、なんとか、
緊急の生放送を乗り切ったんですけど、その帰りに、浜田さんが
「お前、今どこ住んでんの?」って聞いてくれはって、
「世田谷のほうです」
「ほんなら方向一緒やから、送っていったる」って
言うてくれはったんですよ。

高須

おお、やさしいなぁ~。

松井

で、車に乗せてもらって帰って。
浜田さんのほうから「お前、仕事の方はどやねん?」って。
もう、訊かれたからには、ぶっちゃけトークですよ。
「いや、もう、なんっにもないです!」ってはっきり言いました(笑)。
あの頃はほんまに何もすることないし、あてもなかった。
親とケンカして家を出た手前もあるし、大阪戻るのもイヤでしたし…
それで、浜田さんには「何かあったらおねがいします!」と。
それでどうにかなるとは思ってなかったけど、
とりあえずそんなお願いをして、車を降りて別れたんです。
そしたら、その日から1ヶ月もしないうちに、
うちにフジテレビの水口さんから連絡があって、
「10月にダウンタウンの『ごっつえぇ感じ』っていう
スペシャル番組がありますから、その会議に来てください」
って言われたんですよ。

高須

おおお~。

松井

まず水口さんと星野さんにお会いして、それから会議に参加して。
そこです。そこからが、僕の放送作家人生のはじまりだったんです。

高須

もしもあの時、浜田に帰り道を送っていってもらってなかったら……。
チャダは『ごっつ』やってなかったかもしれないと?

松井

そうですそうです。後から聞いたら、浜田さんが水口さんに
「こんなヤツ居るから、コント書かせてみたらどうかなぁ」って、
言うてくれてはったんですよ。

高須

フジテレビとのつながりは『ごっつ』から、やんな?

松井

そうですね~。
だから、台風がなかったら、今の僕はいないんです。

高須

うっわ~……。
そのへんもなんていうか、すごいよなぁ~、すごい。
奇跡の綱渡り人生というか、なんかのタイミングがひとつでもズレてたら、
今のチャダは無かったかもしれへんってことでしょ。
台風が無かったら、ヤンタンの池田さんから電話が無かったら、
世田谷に住んでなかったら、そして浜田の車で送ってもらえなかったら……。
ほんまギリギリの人生や(笑)。

松井

ええ、もう、ギリッギリですよ(笑)。

高須

まぁ、そうはいっても、チャダは真面目だからな~。
そこから先はダウンタウンの番組に、必ず居ったやんか。

松井

そうですね、居させていただきましたね。

高須

当時のダウンタウンの番組には、
長さん、倉本さん、三木さん、俺、チャダの5人が、
だいたい固定で必ず関わってたのよ。なんとなく歳も近いから、
俺の下にいつもチャダっていう形が出来上がってきて、
他の3人が上に居て、っていう感じだったよね。

松井

そうですねぇ。

高須

あの頃って毎日のようにネタ出しがあって、
なんかどの会議もずーっと一緒にいたよなぁ(笑)。

松井

そうですねぇ。

高須

そんなこともあって、
俺が違うタレントさんの番組もやるようになった時に、
ディレクターやプロデューサーの人に
「下の作家を入れるとしたら、誰入れたい?」
とか聞かれたら、俺は必ず「チャダ」って答えてたのよ。

松井

ありがとうございます。

高須

こんな言い方すると失礼かもしれないけど
「チャダ、ちょっと番組手伝ってくれへん?」って持ちかけると、
内容も聞かぬ間に「はいっ、なんでもやります!」って、
快く引き受けてくれてさ、その謙虚さと真面目さが
今日の成功を産んだわけですよ(笑)。

松井

よぉいいますわ!(笑)(汗ふきふき)

高須

何でもやりますの精神で、仕事量的にはめちゃくちゃ大変なはずなのに、
そのへんがさすがチャダですよ~。
しかも、しっかりと別の所では、自分の足場を着実に固めていっておられ……。
なんと! 今や『ワンナイ』のチーフ作家。
押しも押されぬ松井大先生ですよ(笑)。

松井

ほんま、よぉいいますわ!!(爆笑)

高須

その後、自力でどんどん、松井ワールドを展開していってですね……!
もう今や、CXは松井帝国ですよ。

松井

そんなことないですって!(笑)

高須

会議でのトークと来たら、
小粋に「うちの嫁はね……」のオノロケネタからスタートやからね(笑)。

松井

そんな作家、キチガイじゃないですか!
勘弁してくださいよっ、ほんとっ!

高須

(聞いてない)
ここの奥さんは、めちゃめちゃ出来た人で。
とにかく財テクがすごいのよ~?
外貨預金とかしてるからね。

-----

わー、やり手だー(笑)。

高須

松井帝国の影に、嫁アリ!!
あっと、話題それたな(笑)。

松井

言いたいだけじゃないですか、もう。
いいですから、もう、話を戻しましょうっ。

高須

んで『ごっつ』の作家になったわけで、そこからの広がりって
どうやって得ていったの?

松井

やっぱり『ごっつ』の先輩作家の方に誘われて、
「いいともやれへんか~?」とか、「TBSどうや~」とか、ですね。
他の番組に紹介してもらうことが度々あって、
それがどうにかたまたま、うまいこと繋がっていっての今ですね。
お話をいただいたら、もうそこはすがりつくしかなかったですから。

高須

くあっ! かーっ! 聞いた? 今聞いた?
さり気なくかっこいいフレーズ、混ぜてくるよ。
「すがりつくしかない」だなんて(笑)。

松井

そこ、反応せんでも(笑)。
でも、当時は本当に忙しかったんですよ。
思い返してみたら、32歳くらいの頃ってめちゃくちゃムチャしてましたね。
最近になってようやく、自分のスケジュールで会議の時間とか
わがまま言わせてもらったりできるようになってきましたけど、
その頃はあり得ませんでしたからね。
会議も行く、現場も行く、宿題も多い……。

高須

放送作家のその頃って一番ツライんだよなぁ。
こまかいこと、なにからなにまでやらされるし。

松井

ほんまに、寝る暇ないみたいにしてやってましたねぇ。

高須

けど、そうやってチャダの人脈は広がっていって、
フジテレビだけじゃなく、他の局の番組とかも持つようになっていったんやね。

松井

はい。ホントに、皆さんの世話になってばっかりです。

高須

今やもう『ワンナイ』の要、彼こそ知恵袋ですよ。
ゴリエに、くず……もちろん、ワンナイは作家だけじゃなくて、
ディレクターやプロデューサーたち、スタッフみんなで
いろんなキャラとか世界観を作り上げてるってのは知ってるけど、
だけど! そんな『ワンナイ』を生み出した~っ、
今や飛ぶ鳥を落とす勢いの、松井大先生ですよ(笑)。

松井

ところがですね……ところがですよ、高須さん。
『ワンナイ』いいね~、『ワンナイ』いいね~、と
世間からあたたかい目で見守られてきましたけれども、
……上の時間帯にですね…
『トリビアの泉』が来ましてですね……(苦笑)。

高須

出た! 驚異の視聴率を誇る『トリビアの泉』!
ええやんか~、『トリビア』→『ワンナイ』って、
そのまま見てもらえて、ええやんか~。

松井

確かにありがたい話ですけど、上で27パーセントあるのに、
『ワンナイ』は未だに20パーセントを超えたことがないですから、
もっともっとがんばらないとダメなんですよ。

高須

そうね、必然的にそうなるね……。
自分が『ワンナイ』やってて、上にあんな高視聴率番組来たら、と
考えてみたら、そりゃ確かに複雑だ(笑)。
でも、すごいよなぁ、『トリビア』は。

松井

すごいですね~。

高須

でも、それが出てきたからちょっと霞んでるかもしれないけど、
ちゃんとよくよく見たらさ、今の時代に作り物とコントの番組で、
18%なんて数字をちゃんと取ってる『ワンナイ』って、すごく優秀やん!
それも俺はすごいって思うよ。

松井

ありがとうございます。
そんな風に言ってもらえると、すごく嬉しいです。

高須

『ごっつ』時代に、俺がチャダの作品や! って覚えているのは、
「お前が歌うんかぇ!」シリーズかな(笑)。
浜田と今ちゃん出てきて、BGM流れてきたら今田が歌い出して
「お前が歌うんかぇ!」ってツッコむ、あのコント。
あれはチャダのコント。それは、俺、ちゃんと覚えてる。

松井

あんなん好きなんですよ~、僕。
「ハートカクテル」的なフリと、オーソドックスなオチ……。

高須

あれはチャダのコントやーって、ちゃーんとインプットされてるよ。
基本が、80年代のスマートな
「ポパイ的恋愛」が大好きやからね、チャダは(笑)。
まっ、それも突き詰めると基本が「ILOVE嫁」、
テーマは全て「嫁愛」やから(笑)。

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興味本位な質問ですけど、
奥様とはいつ頃、ご結婚されたんですか?

松井

32歳の時ですね。1年半つきあって、結婚しました。

高須

ここの夫婦はね、お似合いなのよ。
性格も合ってるし、未だに二人で手をつないでデートするんやって!

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ふぁ~、いいですね!(笑)

松井

いや、高須さん高須さん。
それは、好きな人と手をつながない方がおかしいじゃないですか。

高須

そんなん恥ずかしいよっ、俺にはありえへん!
誰も居なくて、知り合いに会わない土地っていうんやったらええけど、
そんな誰に会うかも分からないようなところでは無理。
だって、誰か知り合いに会ってみ?
餌食にされるよ?(笑)

松井

いやぁ~、そんなこと気にしてどうするんですか。
手をつなぐっていうのは楽しいですよ!?

高須

アメリカンやなぁ~、君ら夫婦は。
俺は、もうそんなのダメ。恥ずかしくて。手とかつなげない。

松井

だって、そんなに言うほど二人でいるときに
知り合いに会ったりとか……。
……会いますねぇ、そういえば(笑)。

高須

でしょ~?みんな目撃してるよ?
そんな時に手をつなぎっぱなしで
「どうも~、おはようございます」なんて挨拶できる?

松井

いや、そういう時はさすがに離しますよ。
でもね、それは「恥ずかしいから」離すのではないんです。
「相手に失礼だから」離すのです。

高須

もう外人夫婦かよっ!(笑)
これは、いよいよ「僕のワイフです」的に、
腰に手とか回す日もそう遠くないな!

松井

だから話がそれてますってば!(笑)

高須

うん、それたね(笑)。

第3話へつづく

放送作家

松井洋介 さん

1965年生まれ
現在の担当番組
・「さんまのお笑い向上委員会」
・「ぐるぐるナインティーンナイン」
・「ネプリーグ」
・「ナニコレ珍百景」
・「マンフト」
・「さまぁ〜ずのご自慢列島ジマング」
・「PS純金」

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