御影屋

高須光聖がキク「高須光聖×中野俊成」 第2話

放送作家同士の対談「御影湯」の記念すべき第1回が掲載されたのは、2000年ごろのこと。高須自身も手探りのなか、中野さんと交わしたトークがすべての礎となりました。いかにして作家としてデビューしたのか、そして『大改造!劇的ビフォーアフター』などタイトルセンスの卓越ぶりなど、業界を生き抜くヒントがたっぷり詰まった内容です。

インタビュー

第1話

1999.06

実はホンジャマカの一員だった

中野

これは何を喋るんでしょーか。

高須

いや、特には決めてないんだけど、いろんな放送作家の人と
作家VS作家で対談をしていこう、という、ね。

中野

ほー、なるほど。

高須

そいでまぁ、一発目を中野くんにということで。

中野

はー、僕なんかで何かお話しできますかね。

高須

いやいや、作家になりたいーっ、と思ってる人たちにとって、
少しでも参考になるような話が、作家同士ならできると思うからさ。
ぼちぼち行こうじゃないですか。

高須

まず、作家になった、一番最初のきっかけって何やったん?

中野

僕は、ほら、渡辺プロですよ。

高須

えっ、渡辺プロってことは東京やんな。何を以て東京来たの?

中野

や、放送作家になろうと思って。

高須

あ、最初っからそうやったんやー。

中野

でもどうやったらなれるのかは全く分かって無くてですね、
そういう時にたまたま渡辺プロが放送作家のオーディションをやるっていうから、
それに応募をしたんですよ。そのオーディションを経て、座付きになって……。

高須

座付きって、誰の座付き作家になったの?

中野

ビックサーズデー(業界初のお笑いタレント養成機関)を経てから、
ホンジャマカの座付き作家になったんです。

高須

じゃ、しばらくはホンジャマカの座付きとしてやってたんや。

中野

ええ、まぁ、座付きであったり、ちょっと一時期組んだりもして……。

高須

組んだっ!?

中野

えっと…

高須

やってたの!?(笑)

中野

いやいや、まあまあ、少しの間ですけど…。

高須

えええー、ということはホンジャマカって一時期、中野くんを入れて
3人だったってこと!?

中野

いや、ホンジャマカってね、本来は10人ぐらいのグループだったんですよ。
僕は結局作家向きだ、ということでグループを抜けて、
それからまた田舎に帰ったりとか、いろんな理由で人の入れ替わりがありまして、
結果石塚さんと恵さんが組んで、今の「ホンジャマカ」っていう形になったんですよ。

高須

えー、その時、ホンジャマカで何をしてたの、中野くんは。コントとか?

中野

やってましたよ(笑)。

高須

あっらー。やってたのか、そんなことを。コントで台詞喋ったりしてたんや。

中野

いやいや、そんなに喋ったりはしてないですよ。
僕はもう、喋らなくてもいいよっていう役どころでしたから。
その時コントをね、いろいろ自分で書いたりしてたんですよ。

高須

そうなんやぁ……。
昔から自分で作って、演じるのも好きだったの? 学生の頃とか

中野

これがですねー…(渡辺プロの)放送作家募集に応募するときにですね、
ネタ見せがあるから、一分ぐらいのネタを作ってきてくれ、と言われて。
変な話だなぁと思って「あのー、放送作家志望でもネタ作んなきゃならないんですか??」
って訊いたら「はいそうです。お願いしまーす」で片づけられちゃって、
こりゃ作んなきゃいけないなー、と思って初めて作ったんですよ。

高須

まったく一人きりのネタ?

中野

ええ、一人で。それで、本選までいったんですよね。

高須

それでそれで?

中野

本選まで行って、そこでは落ちたんですけど、
その時に僕の恩師でもある当時渡辺プロにいらっしゃった篠崎さんという方が
オーディションを見てて、あいつはもう作家向きだから、
作家として取りましょう、という話になって……。
それで一年間ぐらい、(渡辺プロの中で作家の仕事を)やらせてもらってたんですよ。

高須

それはありがたい話だなぁ。

中野

ありがたかったですねー。

高須

普通、いろいろやったとしても、そんな渡辺プロの専属作家なんて、
やりたくたってできないもんね。

中野

そうなんですよ、だから僕が第1号だったんですよ。

高須

そう簡単には実現できないことだもんね。
中野くんはこの業界に、すごい入り方してたんやなぁー。
それで? コントとかやってはみたけど、やっぱり作家向きだという話になって、
その後は?

中野

その後は恵さんが番組を持つようになって、その番組を手伝わないか?
というのが、一番最初のテレビのお仕事ですね。

高須

それなんていう番組?

中野

えーっと……ダンスユニットのZOOが出てた、
ダンスブームの先駆けみたいな番組で『DA.DA』って言う番組でした

高須

あー、あったね、うん。

中野

あの番組がデビューだと思うんですよ。
ひとまず、流れとしてはそんなところですね。

高須

全然、知らんかったー。

中野

こういうことをお話しする機会もなかったですからね。

高須

じゃ、そうやって放送作家になりました、と。
その時って「食える」と思ってた?
「オレ、放送作家でやっていけんのかなー」っていう、不安とかなかった?

中野

んー……どうでしょう……。
高校の頃はね、大丈夫、自分は放送作家で食っていけるーと思いこんでましたけどね。

高須

オレはね、放送作家をやる時に、正直……ほんとに正直言うと、
東京で番組何本かやって、大阪で何本かやってたらええかー、と思ってたのよ。
そんなにね、10本以上(の番組)やるつもりも無いし、出来るとも思って無かったし、
ゴールデンの番組をやれるとも思ってなくて……。
だから、どこかで「そんなもんでいいや」と思ってたのよ。
当時はこの業界に長く居る気も無かったし、
んー…なんかあるとしたら、強いて言うならフジテレビのゴールデンがやりたかったのよ。
『ひょうきん族』が好きやったからさー……。

中野

あー、それあります。僕もそうでした。

高須

そう、だからああいう番組を土曜日とか日曜日とかに、
ああいう時間帯でやれたらなぁと思ってて、それは『ごっつえぇ感じ』で実現できて、
『めちゃイケ』で土曜日の8時もやれたから、それでもういいやーと思ってたんだけど、
その頃かな。作家としてやっていけるかもーと思って東京に来たんだよね。

中野

俺は、(やれると思い始めたのは)ここ数年ですよ。

高須

またまた!!

中野

いや、マジで!(笑)ほんと、ここ4、5年ですって。

高須

イケる! と思ったのが?

中野

いや、イケる! とかって言うんじゃなくて……。
まぁ何とかなる、かなぁ。生きていけるかなぁ、ぐらいの。

高須

うそー? (←もっと「イケる」と思ってるでしょう、の顔と声)

中野

いやいや、高校の頃こそイケるイケると思ってましたけど、
実際に仕事はじめてからは、やればやるほど不安になっていくばっかりで。

高須

ふぇー……そうは見えないけどなぁ。

中野

いやもう、ほんと、ここ4、5年ぐらいっすね。
何とか、やっていけそうかもなぁ……ぐらいの。

高須

今後どうするー?

中野

どうしましょうかねー。
この事はね、高須さんともすっごくよく話すんですけどねぇ。

高須

とか何とか言いながら、いろいろやってんちゃうの!?(笑)

中野

や、それなりにやってはいますよ。
やってはいますけどね、この先どうなるのか、どうするかっていうのまではなかなか。
だから高須さんが言ってたように「分岐点」なんですよ、そろそろきっと。

高須

そうそう、分岐点。年齢的にもね。

中野

ですね。

高須

でも、ほら、いつ種を蒔くか、ってことがあるでしょう。
昔蒔いた種の分の畑はいっぱいになって、そこはもう、次から次へと収穫できる。
そこの畑の野菜を求められてるから、
今はそれをほい、ほいっ、と求められた分だけ出荷できてる。
毎年毎年「そこ貰うよ」ってオファーがあって、その畑は目一杯使えてる。
でも、逆に言えばその畑はもう出来上がってしまってるわけやんか。
なんか新しいことをしようと思ったら、別の新しい畑を作って、種を蒔く以外にない。
今の畑は、今を生きていくために空けられないからね、どうしたって。
だから、合間を縫って新しい畑を作っていくしかない。

中野

でねー、今はまぁ野菜獲れてるからいいとしても、
そのうち畑の土自体の勢いもなくなってきますからね、絶対に。

高須

そうそう、土地が痩せていって、相手側から
「ちょっとー、最近野菜の生育悪いんじゃない?病気がちよー?」
とか言われ出したりして。だんだん野菜が安売りになってー、質も悪くなってー……。

中野

評価が下がっていきますよね(笑)。

高須

そうそう、それもきっつい話だよ。
細々と安売りにしていくのか、この先自分が作家としてあり続けられるのか、って
本気で悩んでる。
だからね、どこかで種を蒔こうと。
俺は、今年「種蒔きの年」と思ってる。

中野

いろんなことしてますもんね。

高須

う。もういろんなことをして、いろんなトコロに種を蒔いて、
何年後かにでも、その種が芽吹くように、実るようにってね。

中野

んー…ホント悩みますよねぇ……。

高須

めっちゃ売れてるタレントが30歳中盤で「どうしようかなぁ」
って悩む世界よ?
勢いあるし、全然食えてるし、全然金持ちなのに。
それでも次の一手を考えてたりするんだよ。人生の先を見越して。

中野

そう、だから、僕もすっごく不安ですよ。
あと、周りの同じ年代の人たちが、ぐぐっと前に出始めてるじゃないですか。

高須

表舞台、テレビに限らず、いろんな分野でね。

中野

そうなんですよ、それがまた不安を煽りますよね。
いつか、ふっと「あらららら?」って傾いてしまいそうで……。

高須

でも、俺、中野くんは全然大丈夫だと思うよ?

中野

いやいやいやいや……。

高須

そうかなぁ。大丈夫だと思うけどなぁ。

第2話へつづく

放送作家

中野俊成 さん

65年生まれ。放送作家。
20歳の時にラジオ番組の放送作家としてデビュー。
現在、『大改造!劇的ビフォーアフター』『ロンドンハーツ』『アメトーーク』『みんなの家庭の医学』
『こんなところに日本人』『プレバト!』『題名のない音楽会』等、十数本の番組に関わる。

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