高須さんをして「片岡飛鳥の秘蔵っ子」と言わしめた渡辺さん。作家デビューのきっかけがフジテレビの番組だったこともあり、話は必然と『めちゃイケ』のウラ話へ。裏番組に視聴率を奪われて、瀕死だったところからの起死回生の1打となった「数取団」企画は、いかにして生まれたのか?おもしろさをとるべきか、それとも番組の生き残りを選んで妥協するか?放送作家ならではのツラく苦しいせめぎあいがあったというドキュメンタリートークは必見です。
取材・文/サガコ
インタビュー
第3話
2005.08飛鳥会議の洗礼
高須
ま、そんなことで無事に代理店の試験に落ちて(笑)、
コントで賞金を獲って、作家の道がスタートしたわけですが。
『とぶくすり』に作家として入ったんだよね?
渡辺
そうですね。だけど、もう本編としては一度終了していて、
時々特番をやってる程度だったんですが。
高須
なんで台本を送ったのが、『とぶくすり』だったの?
すごく好きな番組だったの?
渡辺
当時、作り物のコントをちゃんとやってる番組って『とぶくすり』
くらいしかなかったんですよ。やっぱりコントが好きでしたし、
岡村さんの存在感が気になったっていうのもあったかなぁ。
たまたま同い年でしたし。
あと当時から、「この人、イヤな目をしてる」っていうのが、なんとなく……(笑)。
高須
あぁ、分かるような気がする(笑)。イヤな目、ね。
初めての会議は、じゃあ『とぶくすり』の飛鳥の会議だったってこと?
渡辺
そうですね。
高須
また過酷な会議から入ったね(笑)。
渡辺
なにも知らなかったから「テレビの会議ってこんなんなんだ~、へぇ~」と
思ってましたね。
高須
いやー、あんな会議、他にはない(笑)。
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どんな風に「他にはない」んですか?
高須
とにかく長い!
渡辺
そう、長いんです!
高須
夜の7時から始まって、明け方の4時くらいまで、ずーっと会議。
フジテレビは三宅さん時代から脈々と長い会議が伝統みたいになってるなぁ。
俺、若い頃は大阪でも仕事持ってたから、フジの会議がとにかくツラくて(笑)。
朝4時に会議終わったら、翌朝10時半の大阪での会議に出なきゃダメで。
会議終わったらサウナ行って、そのまま始発の新幹線に乗って、
死んだように寝て、目覚まし鳴らして起きて……みたいな生活してたよ。
渡辺
聞いたことあります(笑)。
『夢逢』とかは、会議の現場でコントの台本を書くから長くなってたって。
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今も飛鳥さんの会議は長いんですか?
高須
最近はだいぶ緩んできたけど、それでも長いなぁ。
コント台本書いたりして長いっていうんじゃなくて、雑談が多いんだよね(笑)。
渡辺
そうですね、おしゃべり多いですね。
高須
飛鳥はムダ話大好きなの。ぜんぜん関係ない話で何時間も盛り上がる。
そんな時間を過ごした上で「さて、さっきの話の流れですが……」と
数時間分を遡る(笑)。今の時間はなんだったんだ、と。
だけど、まぁ、そんな時間が必要なのかな、とも思えるんだよね。
渡辺
話しながら決めていくことで、ブレを修正してるような感じがしますね。
じっと考えるより、周りと意見を交わしながら詰めていくことで
「あっ、自分ズレてる?」っていうのを細かく確認していってるというか。
高須
そのやり方は、実はすごく正しいんだよね。ただ、時間がかかる(笑)。
まぁ、年々飛鳥の会議がまじめになっていってる感じはあるけど。
渡辺
さすがに外せないというのもあると思いますよ。
飛鳥さんも担うものが大きくなってきてるから……。
高須
昔みたいに遊び心ばかりではいられないっていうのも、ね。
なんだかよくわからないけど「副部長」らしいし。
渡辺
そうですね、副部長ですから。
高須
なにがどう変わったのかすら、しらないけど(笑)。
渡辺
でも、そんな飛鳥さんの若い頃の会議で洗礼を受けたのは、僕にとって
すごくラッキーだったと思ってます。
高須
そうだね、あの会議さえ乗り切ることができれば、
他の会議は怖くない(笑)。
渡辺
まったくです(笑)。
第4話へつづく
放送作家
渡辺真也 さん
45歳
1993年フジテレビとニッポン放送主催のテレビコント大賞で優勝
とぶくすりで放送作家デビュー、「笑っていいとも」「はねるのトびら」「クイズ☆タレント名鑑」「虎の門」「くりぃむンナントカ」を経て現在『めちゃイケ』、「バイキング(月曜日)」、「水曜日のダウンタウン」、「月曜から夜ふかし」(日「爆報theフライデー」「志村&鶴瓶のあぶない交遊録」などのレギュラー番組を担当