当時のレギュラー18本……タレントを相手にするのではなく、演出家を相手にして仕事を選びたいという海老さんとは、過去の話よりも現在のテレビについての話が盛り上がりました。もはや放送作家ではなく、テレビコーディネーターと化しつつある己への疑問符。去勢された放送作家とは? タレントと放送作家の運命的なめぐり逢いとは? 静かで冷静な対談の向こうに、売れっ子作家の「凪」を垣間見るようなひとときでした。
インタビュー
第2話
2001.04海老
タレントが嫌いというか……企画をたてる立場として、
タレントがこうだからこの企画はこう変えてもらえますか、
みたいなことが腹たってしまうんですよ。
それだったら、タレントではなく素人でもいいじゃないかと。
『電波』の方針は、そこですからね。
企画、一生懸命おもしろいの考えてるんだから、
きちんと形にしてくれよ、というのが自己主張としてあるし、
そこにこだわりがある演出家とやってる方が、
俺自身、楽だったりもしますしね。
高須
確かにそれはあるねぇ。
こっちが寝ずに面白いもの考えてるんだから、その通りにして! みたいな。
でも俺は、やっぱりタレントってものの魅力も感じてしまう方やな。
このタレントで、あんな企画をやってみたい! とかって思ってしまう。
スマップだったらこんなことができるなぁ、とか、
久米宏だったら、こんなことできるなぁ、とか
ダウンタウンだったらあんなことができるぞ、とか思って
タレントのイメージから企画が浮かぶことがあるし、
それを創る快感っていうのも、俺は好きなんだよね。
海老
そういうの、あんまり無いですねぇ、俺は。
高須
そういう意味では『電波』での松本人志企画は、土屋さんとか
番組そのものの方針として、かなり異色やったんと違う?
海老
結局、それはもう、それだけのタレントさんだっていう
才能を見込んでるからだと思いますよ。
企画ってものに、自分の才能でもって色を塗れる人っていうのかな。
そういうタレントは、結局そうはいないじゃないですか。
思っていても、やれる人が少ない。
高須
そういう中でも、松本人志は「やれるし、やれてる」っていうことか。
ひとつの企画をもっとおもしろくしていけるチカラがある、と。
海老
その期待感と安心感があったから、始まった企画だと思いますよ。
高須
海老ちゃんは何歳やっけ?
海老
4月で、35才になります。
高須
働くのって好き?
海老
大嫌い。
高須
そうなのよ……働くのが嫌いなヤツほど
十何本もレギュラーやってしまうんよね。
それって、どっかで真面目だからじゃない?(笑)
無駄に働くのが嫌いだからこそ、真面目っていうか。
海老
そう。で、引き受けちゃったら「やらなくちゃ」って生真面目に
思っちゃうもんだからさぁ、ポジショニングがどんどん
作家っていう場所から外れてってんじゃないか、とも思うようになって。
高須
なるほどなぁ、確かにあるよねぇ。
最近、会議で演出的な意見言ってない?
海老
確かに半分プロデューサーみたいだったり、半分演出家だったり、
……それで結局ますます尻拭いの比率が高くなっていくでしょう?
高須
だって会議で、みんな海老ちゃんの一言を待ってたりしない?
海老
そうなんですよ。
高須
なんかそんな立場になっちゃうよね。
海老
番組のオフライン編集(撮ったVTRを編集する、ディレクターの作業)に
立ち会って、あーだこーだテイストに口出してってやってたら、
俺は一体何なんだ、てことになってくる。
更にそんな風に自由にやれちゃったっていう要素でもって、
番組が当たったりした日には、ますますワケ分かんなくなるもの。
俺はもっと、会議でバカなことを言ってたかったんだよね。
くだらないこと言って、きっかけだけ放り込んで、お疲れ~って(笑)。
高須
そうそう! 放送作家って、ある種そういう仕事のはずやもんなぁ。
そういう仕事でなかったとしても、俺はそんな感じでいたかった、
みたいなことやんか。
でも、仕事重ねて、立場が上になっていって「チーフ作家」みたいに
なってくると、どんどんポジションの重要性が変質してきてしまって、
真面目にならざるを得ないよね。
海老
いつのまにか(番組を)「外さない」ってことが、海老克哉の仕事に
なっちゃってるんだもん。(笑)
高須
やっぱりそこの視点からモノを作り始めちゃってるよね?
海老
そう。
高須
それってしんどいやんなぁ?
海老
でも、自分の意識もどこかで変わってきちゃってて、
例えば「この深夜番組立て直してもらえませんか?」って
声をかけてもらっても、自分が関わって、その深夜の視聴率が
2%から4%に上がったところで素直に喜べない自分がいるっていうか……。
それだったらやっぱりゴールデンで20%取りたい、って
思っちゃう自分があるんですよね……。
くだらないことをテレビでやりたくて放送作家になったはずなのに。
なんて言うんだろうな……テレビコーディネーターに
なっちゃってる自分がいるんですよね。
高須
ああ~、分かるなぁ。
でも、それはもう「ならされてる」んやって!
自分の意志なんか無視して、染められてるんやと思うよ。
そこしか求められないようになってしまってってるやんか、特に
ここの「御影湯」の対談に出てくれてる人達は、ほとんどが
イニシアチブ取ることを求められてしまってる。
テレビの最初の部分を創るのは、演出家でもなく、ディレクターでもなく、
作家だと思ってる現場、今すごく多いもの。
海老
うーん、そうですねぇ。
高須
いや、そうじゃない現場もあるよ。
土屋さんは、俺は優秀な演出家でありながら、作家の部分も
持ち合わせてる人やと思てるからね。そういう風に主導権をガッと
示してくれて
「俺はこういうテレビをつくりたいんだ、だから知恵を貸してくれ!」
みたいなスタンスでのテレビづくりが、本来「放送作家」という考え方と職業を
生みだしたはずやねん、きっと。
でも、今やみんな待ってしまってるもん、作家の言葉を(笑)。
さ、何か教えてくれるんでしょ、みたいな会議や現場、多すぎるし。
これって自分が作家やから、被害妄想で思ってんのかなぁ……。
高須
自分が今、ドラマの脚本やってみて思ってるのは、
結局コーディネートしながら台本書いてしまう、てこと。
本来「脚本家」っていうものならば、「こういうものを撮って!」と
思いっきり主張できる立場やんか。絶対的なイメージを押しつけて、
そういうカラーで行ってください!ということを示す立場やから
「先生」って呼ばれたりするわけやん。
でも、バラエティで染みついた感覚が俺にはあってね、
この局の色、この監督の色、この出演者の色、いろんな人の
いろんな要素を考えて、それだったらこれぐらいのテイストが
合うだろう、という合わせ方を知って、それでもって脚本を書いてしまうのよ。
海老
それができちゃうからね、また。
高須
そう、バラエティの器用さを身につけてしまう。
海老
結果的に「客」に合わせるドラマが出来上がるから、
決定的に数字を外すっていうことが無い。
高須
安全なんよね、テレビ番組として。
ただし、それが果たして「ドラマ」としていいのかどうか、と
いうのは別の判断やし。
海老
そういう意味では、放送作家は既に【去勢】されちゃってる。
「やりたいこと」なんてどこかへ行ってしまって、
ただ「やらなくちゃならないこと」をやるしかなくなってしまって…。
高須
でも、俺は変えようと思って。変わりたいと思ってんのよ。
それだけじゃ、あまりに淋しいと思うし。
本来、いいかげんな立場の作家から作り出さなきゃ、やっぱり始まらない。
テリー伊藤さんが言ってたように、「これで革命が起きるのか!?」
という、ちょっとかっこいいことを目指したくて、最近。
海老
でも、数字取っていかなくちゃダメじゃない。
高須
それはそう。もちろん。
海老ちゃんは、それができる。
どうやったら、どういう数字が大体出てくるのか、分かった上で
全ての要素を組み合わせることができてしまう。
海老
確かに。これやって、あれやって、あのタレントで、この時間帯、
こういう演出、はい、15%の番組ができました、と
皿に料理並べるようにできてしまう部分がある……なぁ。
高須
そんなことでいいのかなぁ、と思ったりしない?
ただただ、要求に応じるだけの器用さでさぁ……。
海老
だけど、それをやっていかなくちゃ、とも思ってますよ。
ほら、スピルバーグ監督が『シンドラーのリスト』を撮らせてもらうためには、
『バックトゥザフューチャー』をシリーズで作り続けなくちゃ
ならなかった、みたいな(笑)。そういうことってあるんじゃないかなって。
高須
俺からすれば『バックトゥザフューチャー』も凄いけどね……。(笑)
ああ、難しいなぁ……。
第3話へつづく
放送作家
海老克哉 さん
1965年 東京生まれ
プロレスラーへの夢破れて放送作家に
主な担当番組は「進ぬ!電波少年」「雷波少年」「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」「どっちの料理ショー」「ピカイチ」「モー。たいへんでした」「あいのり」「サタ☆スマ」「メントレG」「タモリ倶楽部」「出没!アド街ック天国」等
年上の妻と娘と、ラブラドールリトリバー(オス)との4人暮らし
趣味:カジノ、麻雀、雑誌乱読、スニーカー収集