御影屋

高須光聖がキク「高須光聖×宮藤官九郎」 第2話

冬の寒い日に、ルノアールで初対面のおふたり。舞台出身の宮藤さんは、いかにして放送作家になったのか?勝新太郎は何かどうすごいのか?など、ふたりしていろんなことを語り合ううちに少しずつ話は具体的になっていき、脚本を書くにあたっての方法論や、果ては松本人志が語ったという「ダウンタウンの漫才の作り方」にまで話は及びました。「おもしろい」に至る手法のヒントが、あちらこちらに詰まった対談です。
取材・文/サガコ

インタビュー

第1話

2004.01

劇団からテレビの放送作家へ

その日は2003年いちばんの冷え込みで、
外はまともに立っていられないほどの北風。

お昼少し前、地下の薄暗い談話室に入り、
二人は挨拶を交わして、椅子に腰掛けた。

私はもうすこし豪華な感じの場所を用意したつもりだったのだが、
電話予約だけで現場を確認しなかったのがよろしくなかった。
びっくりするほどその部屋は薄暗く、ボロく、
びっくりするほど店員はそっけなく、
入り口のレジカウンターには常時、誰も居ない。
呼んでもぜんぜん来やしない。

こんな貧乏くさい場所に、
「この人達、今、いったいいくら稼ぎ出しているんだろうか…」
という男二人が、普通の表情をしてちんまりと座っているのは、
ちょっとかわいらしい感じがした。
どうにもこうにもボロくさくて不完全な雰囲気が、
初対面の二人の緊張をほぐしていたようだった。

「御影湯」初の、初対面対談が幕を開ける。

高須

いやいやいや、はじめまして、どうもどうも。

宮藤

あ、はい。はじめまして。どうもどうも。

(二人して、ぺこりぺこりぺこりぺこり)

高須

始めちゃっていいですか?

宮藤

はいっ、もうどうぞ。はい。

高須

宮藤くんって凄いな~って最初に思ったのは
板尾さんの芝居の時なんだ。
倉本さんと3人でやってたよね?

宮藤

はい、やりました。

高須

あれはどういう経緯で参加したの?

宮藤

3年くらい前に、板尾さんと舞台でご一緒したんですよ。
『王将』っていう舞台で、名古屋とか大阪とかも
ハイエースに乗って旅してしばらく回ったんですけど、
終わってからはまったく連絡取ってなかったんです。

高須

その時、電話番号は交換したりしたの?

宮藤

してないんですよ(笑)。

高須

うわ、気持ち悪い関係っ(笑)。

宮藤

僕は教えたんですけど、板尾さんの番号は教わらなかったんですよね。
何故だったんでしょうか(笑)。
だいぶ経ってから、ある日板尾さんから電話がかかってきて、
ちょっと相談があるんで……という流れで
独り舞台のお話になりまして。
それで、倉本さんとかも紹介していただいたんですけど。

高須

なるほどなるほど~。
もちろん名前は前から知ってたけど
僕がちゃんと宮藤官九郎という人を認識したのは、そこからで。
今は歳、いくつなんですか?

宮藤

僕、33歳になりました。

高須

結婚もされてるんですよね?

宮藤

はい、全然食えてない劇団の頃に、もう結婚してまして。
24歳の時ですね。

高須

うわ~! 子供さんとかは?

宮藤

子供とかはいないんですけど、えぇ。

高須

すごいなぁ、若い時からえらいなぁ。

高須

もともとどうしてこの業界に入ろうと思ったの?

宮藤

たけしさんのラジオをすごくよく聴いてたんです。
それで、高田文夫さんの存在を知って、
「あー、こういう仕事がしたいなぁ」と思うようになって。

高須

やっぱりたけしさんかー。

宮藤

あの頃、ラジオを聴いてたリスナーってみんな弟子入りしたいとか、
そんな感じだったと思うんですよ。
僕もそのうちの一人で、たけしさんの側に行きたいけど、
でもどうしたら行けるのか分からなくて、
高田文夫さんみたいなポジションなら近くていいなぁと
憧れるようになって。
後からそれが「放送作家になりたい」ってことなのかなぁと
思うようになったんですけど。

高須

放送作家ってどういう仕事か、その当時って分かってた?

宮藤

いや、ぜんぜん!(笑)
知ってるのは高田文夫さんと景山民夫さんくらいで、
「この人達はずっと何をしてるんだろうなぁ」と思ってましたね。

高須

そうだよね。
俺もコントとかおもしろいことは、タレント本人が考えてるもんだと思ってた。
おもしろいことを考えるのも、やるのもタレント本人だとね。

宮藤

僕もそうでしたよ。ホントに。
で、とりあえず放送作家になりたいと思ってたら
そういう人達が多く出てる日大の芸術学部だ!
と思って、入学したんです。

高須

日大芸術学部いうたら、有名だよね。
バンドや音楽もやってるんでしょう?
音楽方面に進むつもりはなかったの?

宮藤

軽音部に入って、いろいろやってたんですけど。
月日を重ねていくと
最終的には友達がひとりしか居ないといった状況になりまして(笑)。

高須

あかんやん(笑)。

宮藤

そう、せっかく東京来たのにこのままじゃダメだなぁと。
それで演劇を積極的に見に行くようになって、
ワハハ本舗とかよく見たりして。
そのうち「ここ、おもしろいなぁ」って劇団見つけて、
手伝うようになったんですよ。
そこが、今所属してる『大人計画』ってところでして。
松尾スズキさんが書いてる台本もすごくおもしろかったので、
なんとなくそのままずっといるんですよ。

高須

なるほど。
でも劇団からテレビの放送作家って、近そうで実は遠いよね。

宮藤

そうですね。
でも、そこがないと今にはつながってなくて、
結果的に『大人計画』の芝居を見に来てた放送作家の人が、
テレビの仕事を紹介してくれて、今に至ってたりするんですよね。

高須

その人って?

宮藤

高橋洋二さんです。

高須

あぁ! 爆笑問題とよく仕事してらっしゃる高橋さん。
たしか『タモリ倶楽部』もやってるよね。

宮藤

そうですそうです。

高須

すごいねー。きっかけが、まず強いね。
放送作家として一番最初の仕事はなんだったの?

宮藤

最初の仕事は、TBSの深夜で『デカメロン』ですね。
竹中直人さんとスカパラとやってた番組です。

高須

はいはい、知ってるよ! あれやってたんだ。

宮藤

ですね。そして、その後はジョビジョバの『さるしばい』かな。

高須

いい番組からスタートしてるな~。
オレ、ジョビジョバの番組は、
当時番組のプロデューサーの徳光(フジテレビ)に
「高須さん、一緒にやりません?」って誘われたんだけど、
裏の番組がかぶっていたかなんかで、断ったんだよ、それ。
ひょっとしたらその時に会ってたかもね。

宮藤

ニアミスだったんですね(笑)。
『さるしばい』はたまたまジョビジョバと舞台をいっしょにやる機会があって、
それで声をかけてもらったんです。
そこで福原さんとか、松井さんと知り合いました。
ディレクターの伊藤さんともその時知り合ったんですよ。
で、伊藤さんにはその後、
「『笑う犬』やりませんかー?」と声をかけてもらって……。

高須

なっるほどなぁ~。
最初、放送作家の仕事ってどうだった?
想像してたのと同じ? 違った?

宮藤

僕、最初が『デカメロン』で、主演が竹中直人さんじゃないですか。
ゆるい……といったら言葉が違いますけど、
良い意味で自由な感じの現場だったんですよ。
だから、コント書いていけば、素直にそれをやるって感じで
仕事としてはすごく分かりやすかったんです。
『さるしばい』もジョビジョバは知ってるから、
やりやすいところがあったし。
その後『笑う子犬の生活』って、深夜時代の番組に参加した時、
はじめて構成会議ってのに参加しまして。

高須

どうだった?

宮藤

びっくりしましたね~。朝まで会議ってのにまず驚いて。
感想としては、
「オレ……ずいぶん喋ってないな……」と(笑)。
今日1日ここにいるのに、全然しゃべれてないわけですよ。

高須

うははは(笑)。
でも分かるなぁ~。

宮藤

帰りにタクシーチケット渡されるんですけど、
それすらももう申し訳ないわけですよ。
「何にも喋ってないのに、タクシーで帰っていいの!?」みたいな(笑)。

高須

最初って絶対しゃべれないよ。分かるわ~、それ。

宮藤

だけど、それも結構最近の話ですよ。
28歳くらいの時ですし。

高須

『子犬』時代っていうても、まだそんな歳の頃か……。
テレビの会議って変だよねぇ。
途中から新人として参加するとなおさらだけど、
既に変な空気ってできあがってるやんか。

宮藤

はいはい、会議の空気。

高須

中途半端な小ネタ乗っけて遊んでる~みたいな空気(笑)。

宮藤

ありますあります(笑)。

高須

あんなのやすやすと入っていけないでしょ?
オレも若い頃、大阪で、だーれも知り合いの居ない会議に
放り込まれた時、会議室の端っこで全然、話に入っていけなかったのよ。

宮藤

はいはいはい。

高須

で、先輩の作家達の話してることが、
これまた全然おもしろくなくて、会議のノリや冗談が理解できないわけ。
「意外におもしろくねぇな~、テレビの放送作家って」と
心の中で思ってたなぁ、生意気に(笑)。

宮藤

それって、どんな番組の頃ですか?

高須

『4時ですよ~だ』とか、そんな頃かな。
松本と浜田から
「大阪で一番おもしろい人達を集めた会議やから!」
って言われて行ってみたら、そのおもしろさが分からない(笑)。
もう困る困る(笑)。
独特の空気に入っていけないから、余計に反発心持つしね~。

宮藤

僕は、最初に福原さんとか松井さんがいじってくれて助かりましたね。
今でもよくいじられるんですけど、
それがあってからやっと入っていけるようになりましたよ。

高須

そうそう、いじられると入りやすくなるよね、すぅっと。
でも、宮藤くんっていじられキャラだっけ?

宮藤

最近はそうでもないと思うんですけど、
最初の頃って必死じゃないですか。
だから、いじられてでも何でもいいから、
とにかくこの場に必要とされていたい、と思うし。

高須

うんうん。

宮藤

だから、いじられてからは気が楽になったというか、
安心しましたよ。
それまでは、なんていうんだろう…。
自分が不安になるんですよね。
とりあえず今ここで、この会議の場で、
他の人達がおもしろい話をしてる、というのは見ていて分かるんですよ。
分かるんですけど、乗っかっていけないんですよ。

高須

分かる分かる。

宮藤

そういうおもしろさって、自分が参加してないと
つまんないじゃないですか?

高須

そうだね。

宮藤

だから、どうしたらいいんだろうってずっと悩んでて。
とりあえず、次の会議にも呼んでもらわなくちゃいけないから、
宿題だけはすごく頑張りました。
宿題だけは気合い入れてやって、それがよかったのか悪かったのか、
なんとか今までつながってるんですけど。
当時から、福原さんや松井さんには本当に良くしていただきました。

高須

福原が、何かって言うと「宮藤ちゃん、宮藤ちゃん」って
俺らに言うからね。
そういう経緯があったのかぁ、なるほど(笑)。
「宮藤ちゃん、宮藤ちゃん」って、さも後輩のように
軽い感じで言うから、俺らはびっくりするでしょ?
「えっ、なにそれ、今をときめく宮藤官九郎に、なんでそんな感じなわけ?」
みたいな(笑)。みんな、興味持つよね?
「えっ、なに、福原くんは宮藤くんと知り合いなの?」って言うしかない。
な~んか、つながってる感をめちゃくちゃ出してくるんよね(笑)。

宮藤

いやもう、最初の頃からお世話になってますから(笑)。

高須

そっかそっか。そんなつながりがあったんや。

宮藤

でも、今でもやっぱり会議の最初はどんな風に入っていこうかな、とか
考えてしまいますよね、どうしても(笑)。
それを考えるのがおもしろいっていうのもあるんでしょうけど、
自分の後に、若手の作家さんが入ってきた時にはじめて分かる。
「ああ、オレってば……こうだったんだなぁ」と(笑)。

高須

そそそそ!
絶対会議にいるよ? アホな小ネタふって、みんなでそれをいじくり回してる時に
「こいつらおもんないなぁ」みたいな顔で、こっちうかがってる若手(笑)。
そしたら、そいつがすっごく気になりだすのよ、オレ。
自分がそうだったから(笑)。

宮藤

それおもしろいっすね(笑)。
自分がその立場に立ってみて、はじめて分かるんですよね。
別に先輩の自分たちも、新人の人達に
「入ってくるな」って言ってるわけじゃないんですよ。
そんなつもりは全然無い。無いんだけど……そうなっちゃうっていう。

高須

あれは永遠に続いていくんだろうね(笑)。
でも、どうやって食い込んでいこうかって考え続けるのは大事。
いくつになっても「どんなネタから行こうかな……」って
オレも考えるもん。

宮藤

ですね、根本的にそうやって考えるのが好きなんでしょうね。
「どっからつかんでいこうかな」とか(笑)。

高須

そのへんが作家の付き合いとしては、大事やね。
じゃないと、先輩や周りとつながっていけないから。

宮藤

かもしれないですね。

第2話へつづく

放送作家

宮藤官九郎 さん

1970年7月19日生まれ かに座 宮城出身

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