『夢で逢えたら』『ごっつえぇ感じ』『笑う犬の生活』などを手がけてきたディレクターの小松純也さん。劇団そとばこまち時代のお話から、あの歴史に残る『ごっつ』最終回に至った急展開の真相まで。真剣に笑いを追いかけ続けた『ごっつ』時代のダウンタウン……その強い信念に基づいた彼らの素顔から、黄金時代を支えたディレクターの苦悩とこだわりと、そして何者にも代えがたい幸福の話をお届けします。
取材・文/サガコ
インタビュー
第2話
2002.01小松
フジテレビに入社する頃は、ドラマをつくりたいと
思ってたんですよ。
高須
えっ、ドラマ?
小松
だって、演劇で劇作やってたわけですから、
真面目な作り物をしたいと思ってたんですよ。
高須
あ、そうか。コントばっかり書いてたわけじゃないもんね。
小松
そう。で、新入社員の研修でドラマ班に行ってみたら、
これが全然思っていたのと違う。
「脚本家」と「ディレクター・演出」が
別の人間でやってるわけですよ。
高須
そらそうやろ(笑)。
小松
でもびっくりしたんですよ、舞台の作り方と全然違ったから。
僕は「まず本を書いて、どう撮るかも自分で決めて」
っていうのを思い描いてましたから、
「なんじゃ、そりゃ」ってなもんですわ。
そんな分業で思い描いたとおりの話が作れるか~っ、て思って、
すぐにドラマ班はイヤだ!と思っちゃったんですね。
研修がひととおり終わった後、自分が何をやりたいかってのを
紙に書いて提出するんですけど、コントだったら、せめて思った通りに
やれたりするんじゃないかなぁ、と思って
「バラエティ」って書いて提出したんです。
そしたらそれが通って、僕は佐藤さん
(佐藤義和さん・当時『夢逢』『笑っていいとも』のプロデューサー)
の班に連れて行かれて、
「よし、お前は今日からここだっ」て言われて、
そのまま『夢逢』のADになったんですよ。
高須
その現場では、実際にコント書いてなかったよね?
小松
いや、ほんまにただのADでしたよ。
っていうのも、僕はその時、コント書いてました、なんて
言ってしまったら絶対嫌われる!と思ってたんですよ。(笑)
ADっていうのがコント書いたりする仕事じゃなくて、
全然違うものだってことは
それなりに分かってましたからね。だから、黙ってましたね。
高須
えらいよなぁ、そのへんが。
俺は何にも小松の過去なんか知らんから、何にもADとしての
小松には、インパクトも印象も、当時感じなかったもんなぁ。
ただ、あー優秀なADやなぁって思ってた。
小松
本当にそれに徹してましたね。クリエイティブのカケラもない、
ただのADだったと思います。
高須
よぉ我慢したなぁ、俺はそんなこと絶対でけへんと思うもん。
小松
なんとなくテレビを作る仕組みが分かってから、
あ、ここはクリエイティブの気配を消した方が、
自分の思ってる位置で仕事するためには早いな、と思ったり
してたんですよ。
高須
策略家や(笑)。
小松
そんなんしてたら、ディレクターの星野淳一郎さんが
目をかけてくださって、
「『夢逢』が終わって、ダウンタウンの新番組始めるから、
お前をチーフADにする」って言うてくれはったんですよ。
高須
大抜擢や。
小松
僕、それまでフロアで秒読みとかもしたことなかったんですよ?
秒読みって、チーフがやるでしょう?
その星野さんの話があってから、『夢逢』の最終回の
ドラマの収録の時に初めて「五秒前!」とかってやったんですよ。
何秒前から数えたらいいのかも分かってなかった(笑)。
高須
あれっ。てことは、小松がチーフADだから……。
小松
そう、『ごっつえぇ感じ』初期のADって、僕がチーフですから、
必然的に下は僕よりも若い連中ですよ。
高須
北澤とか?
小松
そうそう。その頃、僕だって入社して半年ですよ?
その僕の下ですから、まだADにもなってないような、
くそ素人ばっかりですわ(笑)。
高須
ほんまやなぁ、どーしてたん?
小松
いや、どうもこうもないですよ(笑)。
どうしたらいいのか、さっぱり分からんのです。
こんなにつらい仕事が世の中にあるのか、ってぐらい
つらかったですね~。
高須
しかも、ダウンタウンやしな(笑)。
小松
そうなんですよねぇ……、いや、でもダウンタウンさんは
やさしく接してくれましたよ。
高須
えー…? やさしかったか?(笑)
小松
うん、かわいがってもらいましたよ。
……ダウンタウンさんはね、『夢逢』で最初に僕が現場行った時の
エンドトークで、松本さんがおもろいことをぽーんと言って、
それに僕が腹抱えて笑ってたんですよ。そしたら、松本さん、
「ほら、ADの小松くんも笑ろてるがな」って言ってくれたんですよ。
で、僕はもう、
「あー、この人についていこうっ!」って思いましたねぇ(笑)。
高須
分かるわ~。
そういうの、ちょっとどころじゃなく嬉しかったりするよな(笑)。
小松自身は、その頃のダウンタウンっておもしろいと思ってたの?
小松
いや、大阪で大ブレイクしてた頃のダウンタウンさんって、
僕はちゃんと見てなかったんですよ。
しかも、心のどこかに「アンチ吉本」みたいな気持ちもありましてね。
高須
なるほどな。
小松
学生時代、テレビつくってましたけど、
どこか吉本の笑いに拠らないものを作ろうとしてましたからね。
高須
吉本の芸人芸人したものを、あまり認めなかったってことやんな。
小松
そうそう、そんな気持ちがありましたね。
実際、『夢逢』を初めて見た時って、僕は
「あ、これ『テレビ広辞苑』のパクリやんけっ」って
思ってたんですよ。
ショートコントをつらつらと紹介するっていう形式は
広辞苑でやってたし、そこに関わっていただけに、特に思いましたね。
だからぶっちゃけて言うと、僕はダウンタウンさんを知らない上に、
どっちかっていうと、認めてないぐらいのことだったんですよ(笑)。
でも、仕事場が一緒になるっていうとねぇ、
仲良くしてもらわなきゃっていう気持ちもありましたから……(笑)。
高須
でも、そんな気持ちも綺麗さっぱり無くなるくらい、
どんどんダウンタウンを分かってきたんや?(笑)
小松
そうですね。仕事場で一緒にいればいるほど、
この人達はなんておもしろいんだろうって、ねぇ……。
高須
じゃあ、初めてコントを撮ったのは?
小松
初めてディレクターとしてコーナーを仕切ったのは、
『ごっつ』での「おかんとマーくん」のコーナーでした。
えっと、ゲストが志村けんさんの時の。
高須
あれかぁっ!
小松
今でもよく覚えてますねー。
高須
谷村新司さんがゲストの回もあったよな?
小松
うん、志村さんの後にありましたね。
高須
その時、俺は谷村さんのネタ出しをしたの、覚えてるわ。
小松がディレクターとして、谷村さんの回を撮るんで、
どんなことをやったらいいか、ネタを出してくれっていう
宿題が会議で出たのを覚えてる。
小松
あの頃は、まだ半分ADみたいなもんでしたけどね。
星野さんっていうのは本当にえらい人だなぁって、
この時思いましたよ。
だって、半人前の僕とかにコーナーを撮らせるって決断を
出来る人だったんですから。
高須
確かになぁ。
小松
ADにゴールデンのコーナーを撮らせたんです。
人を育てるっていう意識を持って、仕事してはったんやなって。
それはすごいなぁ、と。
高須
ところが、その星野さんがいろいろあって、突然CXをやめた。
小松
そう、いきなり『ごっつ』っていう番組は、
船頭であるディレクターを失ってしまったんですよね。
高須
さあ、どうしようかってなった時、小松しか居なかった。
小松
で、ダウンタウンさんのどちらがそれを言うてくれはったんか、
僕は分からないんですけど、星野さんが居なくなって、
ディレクターをどうしようか、って話をプロデューサーが
ダウンタウンさんにした時に
「小松がやったらええやん」って言ってくださったらしいんです。
その一言で、僕はディレクターをやることができたわけで、
そこには本当に恩義を感じてるんですよ。
高須
あ、それは松本が言ったと思う。俺、その場に居ったわ。
それまで、コントのほとんどを星野さんが撮ってた。
「おかんとマーくん」みたいな企画ものは、他のディレクターで
撮れるとしても、コントだけはどうすんねん、みたいな話になった。
やっぱり、コントを撮るっていうのはすごく大変なことやからね。
当時の『ごっつ』の肝でもあったし、コントは。
「どうしよう、コントを撮れる人って……」って
俺らが悩んでるところへ、
松本は「小松が撮れるんちゃうん?あいつで大丈夫ちゃうか」って
さらって言うたんよ。
で、浜田も「うん、俺もいいと思う」って即答した。
小松
そうでしたか……。
お二人で言うてくださったことだったんですね。
高須
今にして思えば、状況が急やったとは言え、かなりの大抜擢やんなぁ。
小松
そうですねぇ。
コントを撮るって、当時とんでもなく重圧ありましたから…。
あの頃、コントは全部、一人のディレクターが
演出せなあかんってことになってたんですよね。
高須
そうそう、複数の演出が入ると、コントが並んだ時にテイストが
ぶれてしまうからってことでね。
小松
怖かったですね、本当に。
高須
そりゃ、怖いよなぁ。
しかも、ほら、当時ってダウンタウンがダウンタウンとして、
一番ピリピリしてた時期でもあったから(笑)。
いつでもどこでも、気にかかることがあったら
すぐに噛みついていくぞ! みたいな頃だったしね(苦笑)。
だって、ちょっとのことでも許せない二人やったやんか、当時は。
小松
そうですねぇ、牙を常にむきつづけてるような(笑)。
高須
特に松本は、作り物に対して厳しかったからね。
それを仕切れって言われたんやから、そら重いわなぁ。
小松
もう、一所懸命やりましたわ、ホンマに。
高須
その時って……小松が演出って事になった時期って、
まだ数字が20%とかは取れてなかったよね?
小松
そうですね。まだ、良くて14%ぐらい。
高須
当時、プロデューサーのコッスー(小須田和彦氏)が言うとったわ。
「なんで、15%取られへんねん……」って、
悔しそうに何度も何度も。
小松
僕はもう、数字を上げるというよりも、最初の頃は
とにかく今ある数字を落とさないようにって必死でしたね。
松本さんに食らいついていって、ただそれだけに必死になってて。
……高須さん覚えてますかね?ちょうどあの頃、僕、高須さんに
誘われて、ラーメン食べに連れて行ってもらったんですよ。
高須
え? そんなことあった?
小松
僕は良く覚えてますよ~。
ラーメン食べながら、高須さんが言ったんですよ。
「松本になぁ、演出が小松に変わってから、どう?って訊いたら、
『うん、ええんちゃうかなぁ。イヤなとことか気にいらんとか、
特にないしなー』って言うてたで」
って言ってもらえたんですよ。
それで僕は、もう、すごく安心したんですよ。
高須
えっ、俺、そんなん言うてた?
小松
言うてた言うてた(笑)。
やっとそれで、あぁ、大丈夫なんや、って安心できたんですよ。
だって、松本さん、そんなこと一個も言うてくれませんでしたし(笑)。
高須
まぁなぁ、言わないよなぁ、あいつは(笑)。
俺、そんなん多いらしいんだよなぁ。
前に、倉本さんにも言われたよ。
ラジオの『ヤングタウン』を大阪でやってた頃に、
俺は松本に「あの倉本さんって人、どんな人なん?」って訊いたら、
「うん、結構面白いこと考えるおっさんやで」って
答えが返ってきた。
で、次に倉本さんに会った時に
「松本がこんなん言うてましたよー」って何気なく言うたら、
「ほんまに! うわ、嬉しいな~っ」って、
びっくりするぐらい喜ばれて。
倉本さんが言うには
「松本は自分にそんなこと全然言わないから、俺はあいつに
認められてないんじゃないかって、ヒヤヒヤしててん」って。
それを倉本さんはずっと覚えてるって、こないだ対談した時に
言われたのよ、俺。
小松
高須さんって、そういうのを今までに
たくさん人に与えてるんですよ(笑)。
高須
いや、たまたまそばにいたからだって。
小松
いやいや、たまたまかもしれませんけど、僕にとっては大きかった。
倉本さんにとっても、そうなんだと思うなぁ。
僕は、高須さんから「松本さんがこう言ってたよ」って聞いてからは
「あ、大丈夫なんだ」って思えて、松本さんに対しても
それを言ってもらえる以前よりずっと
ものが言えるようになったんですよ。
少なくとも、提案が出来るようになったんです。
もちろん、提案自体は蹴られることも多かったですけど、
そこに対する畏れが減ったというか…。
だって、提案しつづけていかないと、
聞いてもらえないじゃないですか。
提案さえしていけば、いつか何かどれかを受け入れてもらえる日が来る
可能性があるでしょう?
芸人さんとの付き合い方ってそういうもんじゃないですか。
たくさん提案しつづけて、同じ目標に向かって
歩いていけるようになる。
そのシンクロする可能性に向かうきっかけっていうのをね、
高須さんの「松本がな……」って情報からもらったと思うんですよ。
ああ、やっと学生時代にコント書いてたことが
活きてくるなって思えたのも、
それがきっかけだったように思いますし。
高須
そうなんや。
小松
学生時代のコントのテイストで考えたような企画とか、
コント案を松本さんにぶつけたら、
ちょっと笑ろてくれたりして、それが嬉しくて。
そこの喜びが生まれたから、やっていけてたのかもしれない。
だから、高須さんはそういうポジションやきっかけで
感謝されてる事っていうのが、
僕や倉本さん以外にも、きっといっぱいあるんでしょう。
高須
いやぁ、意識したことないねんけど……。
小松
だから、いいんじゃないですか? きっと(笑)。
第3話へつづく
ディレクター
小松純也 さん
1990年 株式会社フジテレビジョン入社 第二制作部=バラエティ制作センター
2010年 バラエティ制作センター企画統括担当部長
2012年 株式会社スカパーJSAT 編成担当主管
2014年 フジテレビ バラエティ制作センター部長
2015年 現場復帰を願い出て、株式会社 共同テレビジョン 第二制作部部長・プロデューサー(現職)
演出
2001年 2005年 FNS27時間テレビ総合演出
ダウンタウンのごっつええ感じ
一人ごっつ・松ごっつ
笑っていいとも!
初詣爆笑ヒットパレード
他多数
企画した番組(兼ねて制作・チーフ演出含む)
フジテレビ現行
ホンマでっか!?TV
IPPON グランプリ
THE MANZAI
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