御影屋

高須光聖がキク「高須光聖×小松純也」 第2話

『夢で逢えたら』『ごっつえぇ感じ』『笑う犬の生活』などを手がけてきたディレクターの小松純也さん。劇団そとばこまち時代のお話から、あの歴史に残る『ごっつ』最終回に至った急展開の真相まで。真剣に笑いを追いかけ続けた『ごっつ』時代のダウンタウン……その強い信念に基づいた彼らの素顔から、黄金時代を支えたディレクターの苦悩とこだわりと、そして何者にも代えがたい幸福の話をお届けします。
取材・文/サガコ

インタビュー

第1話

2002.01

そとばこまちからフジテレビ入社まで

高須

小松って今いくつ?

小松

今年、34歳になりました。

高須

初めて会ったのって、『夢で逢えたら』の頃。

小松

僕が会社入って間もない頃ですよ。

高須

でも、俺はずーっと小松が関西人やって知らなかったのよ。
だって、ちゃんと標準語喋ってるしさ。

小松

そうですねぇ(笑)。

高須

関西から、なんでまたフジテレビに入社したの?
だって、小松は学生時代、十八歳の時に放送作家やってたんやろ?
京都大学に居った頃から、やってたよね?

小松

十八歳で京都大学入って、劇団の「そとばこまち」に入って……。
その頃、そとばこまちってラジオやってたんです。
『おっと!モモンガ』っていうんですけど。

高須

ダウンタウンも出てたなぁ。

小松

そとばもやってたんですよ、あの番組。

高須

じゃあ、そこで構成とかやってたの?

小松

それもやってたんですけど、
最初は僕、役者でやってたんですよ。

高須

えええぇぇっ!?
そんなん、俺全然知らなかったわ。

小松

言ってませんからねぇ(笑)。
役者として、そのラジオ出てたんですよ、僕。
そしたら「お前、なかなかおもろいなぁ」っていう話になって、
「本もちょっと書いてみたら?」って言われて、
ふあ~っと書いてみたら、割と受けが良かったんですよ。
ラジオのコントをそうやっていっぱい書いてたら、
テレビの仕事もちょくちょく来るようになって。

高須

そこで、もう、倉本さん(倉本美津留氏)や長さん(かわら長介氏)と
仕事してたんでしょ? 作家として。

小松

『週刊テレビ広辞苑』っていうお笑い番組で、
一緒にやらしてもらってました、はい。
昨日も倉本さんに会って、喋ってたんですけど、当時から
倉本さんも長さんも、今みたいな感じやったんですよ。
僕はそれを見て
「なんや、テレビって変な人達多いなぁ」って思ったりしてて(笑)。
当時、倉本さんは巨乳の話をしてて、
昨日も収録の合間で、巨乳の話をしましたね。(笑)
なんや、16年間変わってないんかぃ、みたいな。

高須

それはヘンやわなぁ(笑)。

小松

で、そんなこんなで他にも関テレの番組で仕事さしてもらったりとか、
いろいろと、幅広ーく。

高須

その頃って、作家やりながら、そとばこまちで役者やって……って感じ?

小松

そうです。とにかくコントの台本ばかり書いていて、
舞台の脚本をちゃんと書いたのって、
20歳ぐらいになってからでしたけど。

高須

だけど、まぁ作家としてはコント書きまくって上々な感じで、
ほんなら、役者としてはどんな感じやったん?

小松

芝居の方は、18から舞台に出てたんですけど、
いざ舞台に出てみるとですねー、演出のヤツがどうのこうのと
芝居をつけるでしょ?
いちゃもんつけてくるわけですよ、自分の演技に。

高須

そんなん当たり前やんかっ。(笑)
芝居やし、小松は役者で、相手は演出家やもん。
そういう役割分担で作り上げるんやろ? 演劇って。

小松

だけど、いざ舞台に立ったらそれがごっつい腹がたつわけですよっ。
「お前になんで言われなあかんねんっ」って思っちゃってですね。
まー、演出の人に言われるのは構わないとしても、
演出助手に「演技が違う」とかって言われたりすると、
それはもう、腹がたって仕方がない!
それでも我慢してやってましたけど、
しばらくやってみて分かったのは、
自分で描いた台本を演る時が、一番うまく演技が
出来るんだなってこと。

高須

まぁ、台本って自分の思った口調や、間で書くからね。
確かに、自分が一番うまく表現できるわなぁ。

小松

そう。それが一番得だな、って気がついて、
自分で書いた台本を演出まで自分でやるようにしたんですよ。
演出兼役者で舞台に立ったわけです。
そしたら今度は、思う存分役者に演技つけるってことが
できなくなっちゃって。

高須

自分も演技しとるからね、同じ現場で(笑)。
自分の演技力を棚に上げるわけにはいかんもんなぁ……。
小松って、自分の役者としての資質については、どう思ってたの?

小松

うーん、えー、何て言えばいいのかなぁ…。
自分の演じてる姿を、客観的に捉えることの出来る芝居やったら、
できたんですよ、それなりに。
ただ、僕は入り込む芝居っていうのが、どうしてもできなかった。
それは、役者としてやっていくには力不足なんですよね。
だから主役とか絶対出来なかったんですよ。
しょーもない食い逃げの役とか、老人役とか、オカマとか、
いわゆる「怪優」の部類に入るようなもんばっかりやってましたね。

高須

分かるよ、それ。小松の演出、そんなんばっかりやもん!
小松の芝居のつけ方、すごい怖いねん!(笑)

小松

昔の名残ですよ(笑)。

高須

じゃあ、役者としては脇をやって、
主に作家として劇団やってた、て感じの学生時代なんやね?

小松

そうですねー、ラジオとテレビやってましたから、
学生のくせに結構収入あったりしましたしね。

高須

おぉ、かっこええやんかー。
学生なのに、ラジオを分かってて、
テレビもなんとなく分かってて、
業界を知ってる学生って、ちょっとかっこいいやん?

小松

そうですねぇ、自分ではちょっと
「モテモテモード」に入ってました(笑)。
あの頃が、僕の人生のピークでしたねぇ(笑)。
だけど、そのうちむちゃくちゃになっていったんですよ。

高須

なんで?

小松

いや、忙しすぎて。
ラジオとテレビのコント書いて、構成台本書いてってやってたら、
短いのも含めてですけど、週に50本ぐらいコント類を書いてたんですわ。
雑誌の小さい記事なんかも書いてたし、ごちゃごちゃごちゃごちゃと
とにかく書きまくってて。
そしたら、怒濤の〆切と全く同じタイミングで
舞台の公演の本番が重なって、それには僕、役者で出てたんですよ。
割と大きな公演で、僕は民衆に悪政をしいてる悪い親玉みたいな役で、
舞台では高いところに上がって、群衆を見下ろしてってシーンがあるんです。
ずっと長いこと、上から下の民衆を睨みつけてるだけで
台詞とかあんまり無いんですけどね(笑)。

高須

怪優やからね(笑)。

小松

その日はもう、徹夜明けの日の夜の公演で、
僕は「オールピー」っていう
今で言う眠気覚ましのモカみたいな薬を一晩に何本も飲んで、
必死で目を開けてコント書いてた日の昼だったんです。
そうしたら、舞台の上で突然、
ゲロがぐあぁぁって喉元に上がってきちゃってですねぇ(笑)。

高須

うわっ!(笑)

小松

仕方がないから、ダダッと舞台袖へ入って、ゲーーッ!!って
舞台袖へぶちまけて、そいでまた慌てて舞台戻って、
キッと役に戻ったりして……。

高須

最悪やな……(笑)。

小松

で、いよいよこれはダメだ、と思ったんですね。
どれかをやめなくちゃダメだ、って。
それがもう、大学四年の頃でした。
このまま就職活動もしないで、放送作家の見習いを続けていって、
流れで放送作家になれたらいいや、と思ってたんですよ。
だけど、よく考えたら大阪の若手作家なんて、もらえるギャラは
たかが知れてたじゃないですか、当時。
体壊して働いてる割には、どうも儲からないなぁって思えてきて。
たまたまその頃、先輩でフジテレビに就職した人がいて、
話を聞いてみたら、これが結構いい月給をもらってるわけですよ(笑)。
コントも自分で書かずに、そんな給料もらえんのかぃ、
みたいなことを思ったりもしまして(笑)。

高須

そら、キー局の社員と大阪の若手作家じゃ比べもんにならんわな。

小松

で、その頃はFAXも無いでしょう?
出来たコント台本とかを、局のディレクターさんの机の上にまで
届けに行ったりとかってところまで仕事なわけですよ。

高須

うわ、絶対大変やん!

小松

明らかに、労働量や疲労度と、もらえる額とが割にあわないわけです。
結局、どうしたかっていうと、
ノイローゼになったふりをしたんです(笑)。

高須

演技派やからね(笑)。

小松

そうそう、演技派ですから(笑)。
それで病気のふりをして、仕事をとにかく全部辞めたんです。

高須

えっ! 全部?

小松

そう、全部。
芝居の劇作だけはやってましたけど、
それ以外はバイトで家庭教師やりました。
とにかく、業界の仕事は全部、そこでシャットアウト。
けど、劇団だけは続けたかった。
芝居の方では、普通に劇作家としてそこそこ評判悪くなかったんです。
雑誌に取り上げてもらったり、大きなホールで公演が決まったりして、
上り調子やったんですね。
ところが、芝居っていうのはどこまでいっても
商売にならないんですよ、これが。

高須

それだけ大きくなって、ホールとか何百人満員にしても無理なの?

小松

うん、ダメですね。食ってはいけない。

高須

三谷幸喜、野田秀樹級じゃないとダメ?

小松

いや、あれぐらいのレベルの人達でも、演劇それだけっていうのでは
そんなに儲かってないんだと思いますよ。
他のメディアの要素が絡んでっていうところでの、あの環境ですしね。

高須

そうなんだ……。

小松

だから、劇作家で食っていくっていうのも
これまた無いのかもなぁ、と思いましてね。
だけど、就職しようにも就職活動の方法が分からないんですよ。
ナマケモノですから、調べようともしなかったんですけどね。(笑)
ある日、劇団仲間の友達と一緒に授業さぼろうと思って、
一応休講かどうか確認しに行こかー言うて、
大学の掲示板を見に行ったんですよ。
そこにハガキが落ちてたんです。
「なんやろ、これ」言うて、友達の辻くんがそれを拾った。

高須

辻くんが(笑)。

小松

そう、辻くんがね(笑)。
ハガキには『フジ産経マスコミセミナー』って書いてあったんですよ。
当時の、青田買いみたいな入社試験の応募用紙で。
「へぇ、こんなんあるんや。受けてみようかなぁ」って
辻くんが言うんですけど、よく見たら
ハガキの応募期限はもう切れてたんですよ。2日前ぐらいに。
「なぁんや、〆切終わってるわー」言うて、その場はそれで終わって、
そのまま二人で喫茶店行って、喋って、別れて、帰った。
したら、なんでかそのハガキが僕のカバンに入ってたんですよ。

高須

ほう。

小松

で、家に帰ってそのハガキを見つめたら、
「俺って、就職する手段って、今、このハガキしか無いなぁ」って
しみじみ思った。(笑)
ほんで、期限切れだったけど、そのハガキを書いて送ったんです。

高須

期限切れなのに?

小松

ひょっとしたら、と淡い期待をして。
それが5月ぐらいやったかなぁ。もう五年生で(笑)。

高須

絶対無理やろ、と(笑)。

小松

したら、返事が来たんですよ、何故か。
「東京に試験受けに来い」みたいなのが。

高須

実績を買われたんじゃないの? 大阪での業界での活動の。

小松

いや、でもそんなのを書くところは無かったですしねぇ、ハガキには。

高須

そっかぁ……。

小松

東京で面接受けて、どんどん試験を通過してしまって、
いつの間にか受かってしまったんですよね、フジテレビに。

高須

そんなことがあるんやなぁ。真面目に受けに来た人間、
アホみたいになるなぁ、そんなん(笑)。

小松

そんな!(笑)
高須さんだって、業界就職活動を
必死なってやったわけじゃないでしょ?

高須

うん、インドで買い付けするインポートの
雑貨屋さんになろうとしてた(笑)。

小松

ほら、そんなもんなんですって。

第2話へつづく

ディレクター

小松純也 さん

1990年 株式会社フジテレビジョン入社 第二制作部=バラエティ制作センター
2010年 バラエティ制作センター企画統括担当部長
2012年 株式会社スカパーJSAT 編成担当主管
2014年 フジテレビ バラエティ制作センター部長
2015年 現場復帰を願い出て、株式会社 共同テレビジョン 第二制作部部長・プロデューサー(現職)

演出
2001年 2005年 FNS27時間テレビ総合演出
ダウンタウンのごっつええ感じ 
一人ごっつ・松ごっつ
笑っていいとも!
初詣爆笑ヒットパレード
他多数

企画した番組(兼ねて制作・チーフ演出含む)
フジテレビ現行
ホンマでっか!?TV
IPPON グランプリ
THE MANZAI
芸能界特技王決定戦TEPPEN
さんタク
さんま中居の今夜も眠れない
        
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