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高須光聖がキク「高須光聖×鈴木おさむ」 第3話

SMAPとの出会いが放送作家としての運命を変えた?そんな鈴木さんの作家としての歩みは、同じくダウンタウンとの出会いによって放送作家としての運命を形作られた高須との奇妙な共通点がありました。『スマスマ』や『笑っていいとも!』など、芸人とアイドルが背負う笑いの境界線にかかる話題もたっぷり収録しています。

インタビュー

第3話

2001.09

伸びる瞬間

高須

…俺はなー、ぶっちゃけた話、「スマスマってダメやろなぁ」と思ってたの。

鈴木

いや、それは高須さんだけじゃないですよ。
スマスマが始まる当初、僕もいろんな人に言われましたもん。
こけるんじゃないか、いや、きっとこけるだろうって。

高須

この番組には責任を持ってやる作家が果たして居るのかな、
というのも、俺はどこかで思ってたしね。
言い訳を考えながらやっている作家もいるし、簡単な作りになってしまうんじゃないか、と。

鈴木

スマスマがまだ始まる前の会議で、
僕は「ショートコントやりましょうよ」って言ったんですよ。
そしたら、それは今でも覚えてるんですけど、
明らかに会議全体のムードが「できるわけないだろ〜、アイドルに〜」ってなっちゃって
。みんなが口に出さないんだけど、そういう空気が明らかに伝わってきて、
僕はなんでだろう? と思いました。
僕は「夢がMORIMORI」にも「がんばりましょう!」にも参加してなかったんで、
テレビ上のSMAPがどうなのか、という認識が浅かったのかも知れないんですけど、
少なくとも木村とラジオをやってきた流れの中で、
「彼はできる!」と絶対思ってましたから、そのコント構想を荒井さんに言ったんです。
そこから、あの「古畑任三郎」のパロディコントができていったんですけど、
荒井さんがその時に、まだまだ若手だった僕に、
そのコントの全部を任せる、と言ってくださったんですね。
それって、すごく勇気の要ることだったと思うんですよ。
自分がそれを成功させられるかどうか、とかじゃなくて。

高須

確かに、それは(プロデューサーとして)すごい決断やね。

鈴木

(荒井さんは)すごいなぁって、ホント他人事のように思っちゃうぐらいでした。
番組始まって一発目の、15分のコントですからそりゃ責任重大でしたし。
結局、そういう風な流れが決まってからは、木村と何度も打ち合わせて、
本人がこうしてみたいって言うのを取り入れながら、
もちろんいろんな方のチカラをお借りしつつ、でも最後まで台本を書かせていただきました。
これが僕にはすごく大きな自信になりましたね。

高須

そういうのって、すごくいいと思う。
若手の作家にそういう場を与えた荒井さんはすごいなぁ…。
絶対にね、作家ってそういうことでぐぐっ、と伸びるのよ。

鈴木

うんうん。

高須

ずっとずっと下の方で、もがきながら意見を出していってる…
その途中で、ふっと良いアイデアが取り上げられると、
そこからずばばばーんと視界が開けて、会議の中での発言力が、一気に高まっていくやろ。

鈴木

実戦に放り込まれた瞬間に、危機感も圧倒的に違ってきますしね。

高須

そう、責任を持てるようになってくるのよ。
で、そのプレッシャーに対応するために、やっぱりどうやったって必死になっていく。
それまでは見えなかった企画の「粗」みたいなものが、
自分自身の生命線に関わるからこそ、見えるようになってくる。
こっち危ないぞ…あっちがまだまだ怖いぞ…、
ここをこうしといたほうが安全だぞ。
更にはディレクターの力量までも計算に入れて、
一体どこまで作家として作り上げておいたほうがいいのか、
ってことまでがはっきりと分かってくる。
それは「任されて」みないと、絶対に分からない感覚だよね。

鈴木

だから、それを「任せる」方も勇気ですよね。
何たって「初めて」なわけですから、なにがどうなるか分からない。
賭みたいなもんじゃないですか。

高須

でも作家が伸びるか伸びないか、というのは、
そういうタイミングが訪れるかどうか、ってとこにあるよなぁ。
作家に限らず、どんな現場でも、職種でも、
若い人間に冒険させてみるっていうのは、失敗したら失敗したで
上の人間の力量も問われてしまうしね。
でも、おさむにもそういうパワーアップのきっかけが、しっかりとあったんやなぁ。

高須

俺自身のそういうきっかけは、「ごっつえぇ感じ」の時。
それまでは「夢逢」でも同じようにコント書いてたけど、
ほとんど相手にされる感じじゃなかった。
もちろん若い作家っていうのもあったし、大阪弁で何言ってんだ、みたいなムードも強かった。
とにかく、コントがスムーズに(会議まで)通ることってほとんど無かったなぁ。
「夢逢」では星野さんのチェックを通過して初めて、
下の作家群の台本がダウンタウンやらウンナンが参加してる会議にまで持って行かれるんだけど、
もう「これこそを会議でタレントに見せて欲しい!」というコントが
ことごとく星野チェックの段階で省かれてしまう。
後に聞いたら、「お前のコントは濃い」っていう理由やってんけど。

鈴木

なるほど…。

高須

『夢で逢えたら』っていうのは「野沢直子が売れるための番組」なんであって、
番組を引っ張っていくのがウンナンでもダウンタウンでも、それは成立しないんだ、と。
あくまで野沢が中心にいることで、番組全体のトーンを保っていて
その微妙なバランスを出すべきなんだ、というのが当時あったから、
そういう意味で俺のコントは「ダメ」だったわけ。
もちろん、その「野沢がメイン」って事も後々から教えられて
いつしかようやく納得できたことだったけどね。
やっぱり当時は若いから、教えられたところでそう簡単には納得でけへんかった。
「ダウンタウンとウンナンがおもろく見えたら、それでええやんけっ」と思ってコントを書き、
しかしそれは、番組の方針として「濃い」という判断でしか無いから、
どんどんどんどんボツにされていくわけよ。
そして若い作家にはありがちやねんけど、俺は、ある日松本に愚痴ったわけ(笑)。
「松本ー、俺こんなん考えてんけどボツになってん」「どんなん?」
そして、ボツになったコントを説明して、「うん、それおもろそうやん」
「せやろー!? なんでボツやねーん!」ってこともあったりしたなぁ。
作家が演者に愚痴るって、本当は最低やけどね。

鈴木

気持ち分かりますよ(笑)。だって、そこに言うしか無いっすもん。

高須

更にすごいことには、「ごっつ」が始まってすぐの頃、
俺、週に80本のコントを書かなあかんかってん。

鈴木

ええーーっ!? なんなんですか、それ。

高須

一つのテーマにつき、コントを10個。
例えば「味噌汁」で、10個。
これがだから、「味噌汁」「魚」「おやじ」で来たら、それだけで30個やろ?
そして更に、同じキャラクターでの続きものでのショートコントが10本で、計40本。
これが2セット、一週間。

鈴木

尋常じゃないですね……。

高須

その上、週の途中である程度できて提出したら、
それを星野さんが見て、ダメと判断されたテーマは、また10本再発注がくる。

鈴木

うわーっ、じゃあ実際の数は100本とか…。

高須

もう、マジで死ぬかと思ったよ。逃げ出したかったもん。
俺と、アンチャン(ウッチャンのいとこで作家をしている内村宏幸さん)と、乙川さんと、
和泉…チャダも居ったかな…あとオガちゃん(小笠原さん)…。
このへんの若手にショートコントは全部回ってきて、
上の作家さん達はコメディ部分だけ考えて、ショートコントを選抜していくだけ。
もう「それやったらお前等が考えろよーっ!」てなもんや(笑)。
もちろんそれらのコントはほっとんどタレントまで届かないし、
自信のあるコントほど採用率は悪いわけだから、もう効率最悪。
そしたらある時、星野さんがさすがに効率悪いね、って言い出して、
松本にもう全部、事前チェック無しでどーんと持っていこう、という話になったのよ。
ちょうど松本もたくさんの台本を見ておきたい、と言い出してたからね。
自分たちのゴールデン看板番組で気合いも入ってたし。
そういうシステムになったから、とりあえず事前チェックの再発注は免れて。
一週間に一度、ダウンタウンまで全部のコントが行くってことになった。

鈴木

そのシステムに至るまではどのぐらいの期間があったんですか?

高須

約一ヶ月…。

鈴木

地獄ですね(苦笑)。

高須

みんな死んでたよ、明らかに。
でもシステムが変わった途端に、俺は自分のコントがどどどどっ、と採用されだしたんよ。
すると必然的にたくさんの人がいる会議に出て、発言をする機会に恵まれていくやんか。
会議中にビデオを使って、来週オンエアされるコントをチェックする。
みんなが自分の考えたコントで笑う。それだけで圧倒的に意識が違ってくるやんか。
それが転機と言えば転機やったような気がするなぁ。

鈴木

絶対違ってきますよ。だってそれは、自信持ってもいいよ、てことなんですから。
僕はスマスマで「古畑」のコントをやった頃は、
絶対に周りからよく思われてなかったと思います。
ただ木村拓哉に引っ張られてきて、それだけで…とか。

高須

それは仕方のないことだよね。俺にもあったもん。
松本の友達だからって、なんだよこいつ〜、みたいな妬みは、どうしてもあるって。
でも、だからこそ良かった部分もたくさんあったでしょ?

鈴木

うん、そういう立場だからこそ、大事な場面で打席に立たせてもらえる
機会を得て、その信頼の中でヒットやホームランが打てた時の
「きっかけ力」は、それはもうものすごかったですよ。

高須

普通は、その打席にすらなかなか立てなかったりするんだろうし。
もちろんチカラが無ければそういう機会も与えてもらえない、
というのはあるけど、それでもその機会が「早く訪れる」という点で、
絶対得はさせてもらってるよね。

鈴木

だって僕「古畑」やらせてもらったの、23歳の時ですもん。

高須

れは早いよ。俺、自分が会議で発言させてもらえるようになったのって、
27歳ぐらいの頃だったと思うから。
でも、きっとそんな巡り合わせも必要だったからこそだと、俺は思うよ。
おさむはSMAPと同世代で、一緒に、こう上っていくような綺麗な上昇気流でもって、
お互いを引っ張り上げていくような環境を、きっと知らず知らずに作っていってたんじゃないかなぁ。

鈴木

僕は本当に彼らから、いろんな仕事が派生してますからね。
高須さんは、そういうのありますか?ダウンタウンから派生していったような仕事って。

高須

んー…そこがまた「芸人の座付き」みたいな作家の融通の利かないところでなぁ、
「仕事の派生」というのに達するまでは、ものすごく時間がかかったよ。
こっちのコンビを担当したら、あっちの芸人さんは手出ししてはなりません、
みたいな空気がアイドルや、タレントさんよりもどうしてもキツイから、
抜け出すまでは結構時間がかかったほうだと思う。

鈴木

確かに、芸人さんは縄張りがはっきりしてる部分がありますね。

高須

SMAPはほら、いろんなところにふわっと入っていける要素が強かったりするから。
誰とでも共演するし、できるしね。

鈴木

そうですね。そういう意味でも、僕は非常に恵まれてたかもしれませんね。

高須

それでも俺はやっぱりダウンタウンがなかったら今の俺は無い、とはっきり思ってたりするのよなぁ。
座付きと言われて悔しいこともあったけど、だからこその今だとも思うし。

鈴木

それは僕もそうですよ。SMAPがなかったら、今、僕はこうしていないですよ。
でも、だからこそSMAPの仕事を一緒にやったディレクターの人とかから、
全く別のタレントさんを使うような、そういう繋がりのない仕事に誘ってもらえる時って
すごく嬉しかったりしますよね。

高須

分かる分かる。快感があるよなー。
でも、そういういい意味での「払拭」を、その歳でできてしまってるおさむは、
やっぱりすごいと俺は思う。環境の違いあれど、俺はなかなかできなかったから。

鈴木

それは、SMAP自身が天下を取るのが早かった、というのもありますから、
一概には僕は何とも言えないですけど…。
でも、芸人さんよりもいろんな演出家の方と仕事ができる機会が多いのは確かですよね。
それはすごく勉強になってます。

高須

芸人さんは演出家が固定してしまうことの方が多いからな。
番組作りという点で様々な形を吸収していける分、それは作家としてもすごく大きいと思うよ。

高須

さて、今後おさむはどうするの?

鈴木

どうするの? とは?

高須

どうなっていきたいのかなぁって。最近は、ほれ、テレビに出たりもしてるしさー。

鈴木

『つんくタウン』はたまたまですよ。

高須

またまた〜。そんなこと言って、何か企んでるんちゃうん?

鈴木

うーん…どうなんでしょう(苦笑)。
放送作家系の仕事…例えば、ドラマの脚本とか、そういうのは、
この仕事を続けていければやってみたい分野ではあるんですけど。
そうじゃないところで一つあるとすれば、僕、32歳ぐらいになったら、
地元でラブホテルの運営でビジネス始めたいと思ってるんです。

高須

ラブホテル!

鈴木

いや、笑い取りたくてこんなこと言ってるんじゃなしに、
マジでビジネスとしてやってみたいんですよ。

高須

マジかよ?

鈴木

マジっすよ!

高須

うっわ、でもそれ、おもしろそうやなぁ。

鈴木

実家の近く、まったくそういうホテルが無いんですよ。やれば絶対、もうかりますって。

高須

作家もやって、ラブホテルもやっちゃうかー。それは是非実現してくれよー。

鈴木

頑張りますよ、もう。実家のスポーツ店がこてんぱんにされましたからね、
これはもう商売の領域でもって、同じ地元でリベンジですよ。

高須

頑張れ、おさむ! もうどんどん銀行から金借りて頑張れ(笑)。
うわっ! 会議の時間過ぎてる!

鈴木

いっぱい、ただ気の向くままに喋っちゃったんですけど、こんなんで良かったんですかね?

高須

大丈夫大丈夫。今日はほんまにありがとうございましたっ。

鈴木

いえ、ありがとうございました。

高須

ほな、おさむ、行こ! 急ごう!

鈴木

行きましょう!

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お疲れさまでした!

急ぐ二人の背中を見送って、今回の対談はお開きとなりました。
人と人との繋がりこそが、人生を形作っていく根幹なのかもしれない
などと思いつつ、そこにはまた才能も必要だよなぁと、しみじみ。

なんにしても、自己把握能力のものすごさを
お二人の言葉の端々に垣間見た今回の対談なのでございました。

御影湯鈴木おさむの湯おしまい
「鈴木さん、お忙しい中、たくさんのお話をありがとうございました!!」

おわり

放送作家

鈴木おさむ さん

1972年千葉県千倉町(現・南房総市)生まれ。放送作家。
“パートナー・オブ・ザ・イヤー2009”受賞。
ドラマや映画の脚本、舞台の作・演出、ラジオパーソナリティ等、各方面で活躍。
著書に「ブスの瞳に恋してる1~4」「妊活ダイアリーfromブス恋」(マガジンハウス)
「芸人交換日記~イエローハーツの物語~」(太田出版)「美幸」(KADOKAWA)
「名刺ゲーム」(扶桑社)等。

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