取材当時『仕立屋工場』などのヒット番組で「放送作家以上・以外」の分野に積極的だったおちさんとの対談。そんな環境の中で「放送作家はバカにされている」と気づき、そのうえで「放送作家とは?」と突き詰める二人の姿勢が印象的な場となりました。笑いの演出論についても興味深くて具体的な話が沢山登場しました。
インタビュー
第3話
1999.08高須
おちくんが好きなのは、なんていうか、タイムサスペンス系が多いよね?
『天国に一番近い男』にしてもそうやし、『炎チャレ』に出してた企画もそうやもんね。
なにかしらのタイムリミットがあって、それに向かって一生懸命に頑張る姿に本質をみせて、
そこを切り取って映していく手法が得意やんか。
おち
そうですね。確かに好きですね。
高須
でも、そういうドラマを作ったこともバラエティからの転換やな、と思うんよ。
何時間以内にこれをこうしなければ死にますよ、なんて完全にバラエティ的発想やんか。
おち
あー、言われてみればそうだなぁ…。
高須
そういうのがこう、タイムサスペンス・おちまさとの味かな、と。
おち
よくよく考えたら『仕立屋工場』も『ガチンコファイトクラブ』もそうですよ。
タイムリミット設定して、そこへ向かって頑張る人の姿ってかっこいいし、
結果が必ずいつも以上だったりするじゃないですか。目的も明確だし。
高須
だから、その感覚を「ドラマ」という全く違うシリアスな場所へと
スライドさせたのが「さすがやなぁ」と思ったのよなぁ。
バラエティ視点の作り方をこっちへスライドさせたかーっ、と。
俺はその「スライド」っていうのは、すごく善いことやと思う。
絶対に必要だし、パクリとかっていうのとも確実に異なるものだし。
おち
日本って「なんとか一筋」っていうのが善とされる部分があるでしょう。
何にしても一本、筋を貫き通すのが美しい、って。
でも僕の考え方は違っていて、どちらかと言えば「総合格闘技」的なんですよ。
放送作家や脚本家やりながらテレビやラジオに出たり、服を作ったり、
服屋を経営したりとかって、全然自分の中でオッケーなんですよ。
マルチって言葉は大嫌いですけど。
自分の物作りの「らしさ」をスライドさせながら、それを活かしてやりたいことを
やってみればいいじゃねーか、って自分自身に対して思ってます。
そうした時、職に幅が出てくることは自然だし、必然なんじゃないかと。
あと、経験もしてないで評論するだけの人間には絶対なりたくないって言うのも
様々な事をやっている理由の一つではあります。
高須
それでも結局、おちくんは最終的にはどこへ行きたいの?
総合格闘技的にいろんなことをやってくとしても、最後は何をしたいの?
おち
僕ね…最終的には映画なんですよ。映画監督が最終目標なんです。
自分で脚本書いて、演出もやって、衣装もデザインして。
それはきっと、今の立場でもやろうと思って走り出せばできることだと思うんです。
でも、敢えて今、焦って撮りにかかることもないんじゃないかというのがあるんですね。
映画は本能で撮るものだと思っているので。
撮ろうと思ったら、きっといつでも撮れる環境は今もあると思うんです。
だけど「出来る」っていう可能の部分と、「本能的に撮る」っていうのは、
またちょっと違うじゃないですか。
高須
確かにやってきた仕事が仕事なだけに「撮れる」よね、きっと。
もちろん、それがあたって売れるかどうかは別としてね?
「撮ることはできる」でしょう。
おち
映画自体の経験はないですけど、においとしてそれに近い経験値は
積んでは来ていると思います。でも、出来るからってだけでやりだしてしまうと、
絶対にずれちゃう。もっと季節を待ちたいっていうか、本能で撮りたい…。
高須
じゃあ、どんな時期になったら「映画を撮りたい!」
「だから映画へ絞っていくぞ!」という風になりそうなの?
その目標開始地点は自分の中に、何かしらあるの?
おち
いや…それは正直分かってないんですよ。でも、何て言うのかな…。
例えば、服のデザインをしてる最中に、
「あっ…洋服作る番組。仕立屋工場っていうのどうだろう?」と思いついてみたり、
逆にバラエティを作ってる時に「こういうドラマいいな…脚本書きたいな」
と、なったりするんですよ、僕の場合。相互作用みたい感じで、
全く違うことを作ってる時に、別のことを思いついて衝動的に作りたいな、と思いつくから、
まだ今は明確に「映画だけを!」「洋服だけを!」とは絞れないですね。
いつかそんな風に思うのかもしれないけど、今のところは相互作用で
やりたいことの枝葉があっちこっちに伸びていくから、限定できないし、
まだ限定したくない。俺は基本的に自分のこと「世間知らず」だと思ってるとこがあって。
世間知らずだから、バカみたいにあっちもできるかも、こっちも、
とふらふらふらふらしちゃってる。でも、しばらくはまだ世間知らずのままで
いろいろと突っ走っててもいいんじゃないかな、と思ってます。
高須
そんなん言うても、ちゃんと計算があるんじゃないの?
おちくんのことだから。
例えば洋服の方向だったらこんな感じ、とかって展望は無いの?
おち
『仕立屋工場』だったら、才能のある学生が何人も居ますから、
そういう子等をニューヨークとパリとかに行かせてみたりしたらおもしろいかなぁ、
と思ってたりもしますよ。夢ですけど。
ヨージヤマモトみたいになるヤツが出てきたら、それはすごいし。
高須
それは、自分とこのブランドのデザイナーとして雇ったりしながら?
おち
そうですねー、最初はそうなるの…かなぁ。
高須
それはまた……儲かるねぇ。
おち
儲からないですよっ!
もー、デザイナーも俺も、飲まず食わず、飲まず食わずの日々…。
高須
そんな人間が、TBSのワイドショーで、豪邸を紹介せぇへんって(笑)。
おち
だーかーらーっ!
高須
いや、でもそんなふうにして微妙に畑違いな若い才能を育てていくっていうのは
おちくん向きかもしれないね。
おち
うだといいんですけどね、実際はやってみないと何とも…。
僕は放送作家の弟子を取る気は今までもなかったですし、これからも無いんですけど、
デザイナーの卵の人達っていうのは束ねてもいいかなーと今は思ってるんです。
というのは、自分に無い分野の知識をその人達が僕に教えてくれるんですよ。
洋服のことも、番組をはじめてからいろんな縫製のこととか
生地のこととか分かるようになったし、それは全部、番組に来る
若いデザイナー達が教えてくれたことなんですよ。
それを考えたら、作家の弟子を取っても教える事も教えてもらう事も、
なんか無い感じですし、ねぇ。
高須
同じ畑だと逆に燃えて、まだまだ現役やねんぞーっ、
なにくそーって思ってまうしな、きっと。タイプ的に(笑)。
おち
若い人相手に本気で「負けるかぁっ」っていうのもねぇ。
入れといて対等に戦ってどーすんだ、という(苦笑)。
高須
最後に、これからの放送作家ってどうなっていくと思うか聞かせてほしいな。
おち
僕は3年前にドラマの脚本家を始めてみて、気づいたことがあるんですよ。
「放送作家は、なめられています」。
高須
うん、わかる。
おち
一本の番組を作る上でドラマの脚本家と、バラエティの放送作家って
同じような役割じゃないですか。全体を組み上げて、台本を書く。
だけど…ドラマの世界で脚本家っていう名称になった途端に、扱いが全く違うんですよね。
ドラマは、脚本家が、脚本家が、と言われるじゃないですか。
でも、バラエティが当たっても、大して作家には脚光当たりませんからね。
ま、集団作業だからっていうのはあるかもしれませんけど。
高須
バラエティの作家も、ちゃんと0から1を生み出す仕事だし、それはそれで大変なんだけどね。
おち
昔はね、テレビのバラエティってコントが主流で、
確かに台本を書く「作家」の先生がいなければ番組は成り立たなかった。
だけど、どんどんどんどん番組の形式が様変わりしていく中で、
作家と呼ばれる人間が必要とされる仕事っていうのが、
いわゆる「企画」重視になってきてるわけですよね。
でも、どんな関わり方をしてても「放送作家」は「放送作家」でしかない。
だとしたら、僕は「放送作家」というネーミングそのものが最近疑問に思えてきて。
脚本家は作家だと思うんですよ。だから、脚本家の仕事を始めて、
初めて、「俺は、作家なんだ…」と思いましたもん。
コントを書いてる放送作家も作家ですよね。
だけど今のいわゆる「放送作家」って、
実は「AV女優」っていうネーミングと同じ構造の様な気がして、
「お前は女優って言っちゃっていいのか!?」とツッコミが入れられるように、
放送作家の時の俺も、「お前は作家って呼ばれちゃってていいのか!?」って冷静に思うんですよ。
それはAVが社会的な職業としてどうとか言ってるんではなくてね、
例えば、吉永小百合さんと同じ女優って言っちゃっていいのか?
村上春樹と同じ作家って言っちゃっていいのか?っていう。超おこがましいかなと…。
高須
なるほど。でも地位を上げるために、ドラマ書くのもなんか、
バラエティ作家として悔しいしなぁ。
おち
それって、本当の作家さんに失礼だし、
女優さんに失礼だったりするんじゃないかな、と思うんですよ。
やってることの中身が違うのに似ている名称っていうのは、どうも勘違いというか、
職業イメージをすり替えちゃってる部分があると思うんですね。
だから、いつか「放送作家」という呼び名で統一するんではなくて、
例えば「プランナー」とか「企画家」とか…
「企画を立てるプロ」という視点を外へ向かって証明していけるような、
そういう名称になっていくのかなぁ、と思ってます。
そしてその呼び名が「脚本家」とかと同等の価値で評価されていくなら、と。
ドラマの脚本を書くこともプロの仕事ならば、バラエティの企画を考える立ち位置も、
もちろんそれはそれでプロな訳で。そういう格差っていうのが…
少しずつでもきれいに評価されるようになっていけば、
僕らも仕事がやりやすくなっていくんじゃないですかね。
高須
やっぱり「放送作家」っていうのは、変なコンプレックスの職っていう気はするよ。
プロデューサーとディレクターと作家と、何だかどんどん境目が
見えなくなっていってる時代の流れっていうのも確かだし…。
どこまでが俺らの仕事で、どこからがディレクターの仕事なのか、とか。
たまに番組そのものの「水先案内人」みたいな役割までやってしまってる場合もあって
、そんなときでも「作家」は「作家」だしなぁ。
確かに「放送作家」って、いろんな側面を持っているから、責任の所在がぼやける分、
番組が当たっても脚光もぼやけんだよね。
おち
もっともっと、評価される職業になっていけばいいのに、と思うし、
そうしていきたいっていうか。
高須
そうだなぁ。じゃ、「バラエティ」というものの世間的評価もあげないとね、
そう簡単にはいかないと思うけど。
おち
でも、だからこそ頑張っていきたいってのもあるから…。
高須
うん。お互いにもっともっと頑張らなあかんね。
御影湯 おちまさとの湯 おしまい
おわり
放送作家
おちまさと さん
1965年12月23日、東京都生まれ 放送作家・脚本家
『ガチンコ!』『学校へ行こう!』『進ぬ!電波少年』『ウッチャンナンチャンのウリナリ!』『「ぷっ」すま』『天声慎吾』『ロンブー龍』『一億人の大質問!笑ってコラえて!』『特命リサーチ20XX』『笑っていいとも!(木曜)』『三宅裕司のドシロウト』『いろもん2』『内村プロデュース』『ガキバラ帝国2000』『未来ナース伝説』など多数の人気バラエティー番組を企画構成。『仕立屋工場』では企画・構成・演出・司会を務める。(以前放送していた『東京恋人』(CX)も企画・構成・演出)
また、脚本家・越智真人として、『天国に一番近い男』(全11話&SP)『世にも奇妙な物語』(「ココリコ田中主演『逆男』草なぎ剛主演『銃男』)などを執筆。