御影屋

高須光聖がキク「高須光聖×小松純也」 第6話

『夢で逢えたら』『ごっつえぇ感じ』『笑う犬の生活』などを手がけてきたディレクターの小松純也さん。劇団そとばこまち時代のお話から、あの歴史に残る『ごっつ』最終回に至った急展開の真相まで。真剣に笑いを追いかけ続けた『ごっつ』時代のダウンタウン……その強い信念に基づいた彼らの素顔から、黄金時代を支えたディレクターの苦悩とこだわりと、そして何者にも代えがたい幸福の話をお届けします。
取材・文/サガコ

インタビュー

第5話

2002.01

『松ごっつ』『スマスマ』~『笑う犬』へ

高須

ところで松本とは作り手同士ってこともあったやろし、
『一人ごっつ』とかがあったから関係が濃いとしても、
小松は浜田とは、一体どんな関係なの?

小松

いやほんまにAD時代からいろんなことを教えてもらいました。
もちろん会社にもいろんな先輩はいてくれて、
ディレクターとしてどう動けばいいか、どう考えるべきかって
いろいろ教えてもらいましたけど、
やっぱり仕事のやり方って意味で一番影響されたのは、
浜田さんかもしれません。
仕事のやり方というよりも、人として影響されたって感じですよ(笑)。

高須

まぁ、あいつは厳しいからなぁ~っ!(笑)

小松

うん、しつけられましたもん(笑)。

高須

どこの局に行ってもそうやで、あの男は~。
一つ前の対談に出てくれた合ちゃんも言うてたもん。
まず、浜田はADに言う!

小松

愛があるんですよね。
そして、ほんまにほんまに僕が松本さんとの関係で
煮詰まったりした時って、そっとフォローしてくれたりするんですよ。

高須

へぇ~。

小松

一度それで嬉しくて、涙が出そうになったりしましたね……。
いや、ホントに泣いたんですけど。

高須

おおぉ。

小松

僕、二十年来泣いたことなんか無かったんですけど、
その時だけは嬉しくて。

高須

どんなことがあったの?

小松

たまたまね、松本さんと僕がもめるっていうか、
ちょっとしたトラブルがあったんですよ。
スタッフがミスをして、最終的な責任が僕にやってきて、
松本さんは収録に参加せずに、怒って帰っちゃったんです。
ほら、高須さん覚えてないかなぁ。
僕、一回だけ坊主にしたことあったじゃないですか。

高須

うん! あったあった! あったなぁっ、坊主っ。

小松

そのトラブルの時なんですよ。
とりあえず頭丸めて、松本さんのところに謝りに行くわ、と。
次の収録の時、楽屋まで行って、
松本さんに「すいませんでした」と謝りました。
したら、松本さんは
「俺がどんな気持ちでやってるかはお前が一番わかっとるはずやろ。
次からは頼むで」って、すごく優しく諭してくれはったんです。

高須

うんうん。

小松

でも今度は、松本さんとそんな話をしました、ってことを
浜田さんに伝えなくちゃいけないでしょう?
それがまた、恥ずかしいやら怖いやら気まずいやらで……。
どう言いに行ったらいいのか、っておろおろしちゃって
全然浜田さんに近づけないわけですよ(笑)。

高須

実は松本よりも浜田に謝ったりとか、伝えたりとかする方が
パワー要ったりするもんなぁ(笑)。

小松

そしたらですね、うろうろぐずぐずしていた僕に
不意に浜田さんが「小松ー、楽屋からサンダル取ってきてや~」と
ADやった頃みたいに声をかけてくれはったんです。
したら、僕はそのサンダルをきっかけにして
浜田さんに「松本さんがこう言うてくれて……」って
報告に行けたんですわ。

高須

ええ話や……。

小松

また浜田さんもね、怒らずに
「チーフADの時からずっとスタッフ全体を
しょっていかなあかん立場やったんやし、
今も結局お前やねんで」ってことを言ってくれたんです。
もう、その後は楽屋を出てから、
それまでの何年間の思い出が、ぐわぁ~っと蘇って……。
やさしい人たちやなぁ、信頼してもらってたんやなぁと分かって、
泣けましたね。

高須

浜田はそういう気遣いを、ものすごく自然に決めるからなぁ(笑)。

小松

ホントにね、かっこいいんですよねぇ。

小松

他にもね、浜田さんにはたくさんのこと教わりましたよ。
スタッフへの気配りとか。
僕自身、ディレクターとしてはよく教育されないまま
ディレクターになってしまってましたから、
その部分をよく言われましたねー。
「こんなやり方では、スタッフはついてけぇへんぞ」とかね、
ほんまに教わったことは忘れませんよ。
で、いざとなったらすごく頼りになるし。
実際収録してても、
浜田さんの居る居らんでコントのしまりが全然違ってくるでしょ?

高須

違う。

小松

演じ手として最高なんですよ、浜田さん。
そして、作り手として最高の松本さんでしょ?
もうね、凄いコンビですよ、本当に。

高須

で、『笑う犬』シリーズに携わるんよなぁ。
やっぱり、コントが撮りたかったの?

小松

いや、あれも不思議なきっかけというか、
奇妙な縁で始まったというか、なんというか。
とりあえず、「ごっつ」以降、僕は失業したんですよね(笑)。

高須

そうや!(笑) みんな失業とまではいかんでも、
ホントにバラバラになってしまったんよな、あれで。

小松

でも、僕自身は終わっちゃったなぁ、と、
結構焦りもなく、ふぁ~っとしとったんですわ。
またなんか松本さんとやれるやろ~っていうところで
楽観視してました(笑)。
そしたらまぁ、時間こそかかりましたけど、
『一人ごっつ』『松ごっつ』ができましたからね、
それでほっとして、楽しかったっていう……。

高須

そっか。「笑う犬」の手前でも、コントらしいことは、
「松ごっつ」でやってたなぁ。
あれも、楽しかったもんなぁー。

小松

あれは楽しかった!
「一人ごっつ」「松ごっつ」は、もうーっ、楽しくて楽しくて
仕方なかったーっ!

高須

時間帯的にも好きなことやれたしなぁ。

小松

「お笑い同好会」でしたもんね。(笑)

高須

そうそう(笑)。同好会やったわ、うん!
会議も、「あんなんええんちゃう~」「こんなんええんちゃう~」
「よっしゃ、やってみよかー」言うて、やってみたら
「うわー、やっぱりおもろかったなぁ~」って、
それだけやったもんな(笑)。
大して数字も関係ないわ~って(笑)。

小松

けど、まあ、「ごっつ」が終わってしまってから、
一応の復活ではあったわけじゃないですか。
数字とは別のところで、プレッシャーはありましたよ。
同好会なりというか、同好会だからこそ(笑)。
金はなかったけど、おもろいことをひたすら突き詰めてやれたから、
そりゃ楽しかったですよね。

高須

まぁ、突き詰めたら突き詰めたで大変ではあったけどなぁ。
土曜日は昼から会議に入って、夜中までネタを詰める。
翌週は夜中まで収録やる…って繰り返しやったからなぁ。
今思ったらすごいローテーションやで、これって。
大変やし、贅沢やし。

小松

会議、収録、会議、収録で、毎週土曜日楽しかったですよねー。
どっぷり「松ごっつ」漬けの土曜が来んのが、
楽しみでしょうがなかった。

高須

あの頃やってたことが、財産になってるよ。
俺らの中にも、松本の中にもね。
あの時代はいろんなものを残してくれた。

小松

いろんなこと試せましたもんね。

高須

そう、自由にチャレンジできたから広がった、って部分が、
いっぱいあった。
だから、財産として今も何か活かされてる気がするんだよ。

小松

あの頃が、僕はたぶん一番幸せでしたよね、テレビマンとしては。
「一人ごっつ」やって、楽しそうにしてる僕に、
会社も「おまえ、そろそろ仕事せぇ!」って
思ったんでしょうか(笑)、
いきなり「スマスマ」に参加することになりました。
「スマスマ」では作り方こそ違えど、
またコントが作れるようになったから、これも嬉しかった。
「笑う犬」でコントを作るって言う事へのブリッジが、
「スマスマ」のコントだったと思います。

高須

スマップのコントは、自分で本まで書いてやってたの?

小松

そうですね。自分でっていうか、
おさむ(作家の鈴木おさむ氏)と一緒に口で
台本作って、それから撮ってたんですけどね。

高須

そうか、「スマスマ」は逆に、
全部かっちり本を作らんとあかんしな。

小松

「ごっつ」とか芸人さんと違って、
最初からグッと考え込んで本を作るっていう作業が
必要ですからね。一生懸命やって、楽しかったですよ。
で、コントをやってたら「あー、こんなん楽しいなぁ」って
思い出し始めたんですよ。
昔、芝居をやってた時の感覚に近いんですけどね。
なーんかこう、コント作りの楽しさみたいなのが
ふつふつと蘇ってきました。

小松

そんなこんなしてたら……慎吾くんの番組を
ゴールデンでやりましょうっていう話になったんですよ。

高須

『少年頭脳カトリ』な。
小松にしてみたら「スマスマ」にしても「カトリ」にしても、
芸人からアイドルへっていうの、正直どうやったん?

小松

いやー、「カトリ」の方は最初から関われましたから、
まだ自分の居所がはっきりできたんですけど、
「スマスマ」は既に基本がちゃんとあって、
そこへいきなり入っていくわけですから、
ほとんど部外者同然でしょ。
ほんで、僕にしてみたら
「俺にアイドルなんて、何を考えとんねん、会社は!」ぐらいの
勢いです(笑)。最初はやっぱり戸惑いましたよ。
でもねぇ、いざ現場に行ってみたらねぇ…、
あの子ら、ええやつらなんですわ~~(笑)。

高須

すごいよなー、スマップはじめとするアイドルの子らはっ。
すごい優秀やろ?

小松

仕事をちゃんとするでしょう?

高須

そうそう。

小松

僕は、アイドルって絶対だだこねて「できないです」とか言ったり、
そんなんやろなーとばかり先入観で思ってたんですよ。
そしたら、すごくちゃんとしてる。
実はその頃、若手の芸人と深夜番組やったりしてたんですけど、
そいつらと比べても、よっぽど根性あったんですよ。
笑いを取ろうと、がつがつする精神の部分でも、
本を読み込んだりすることにしても、
若手の芸人達よりスマップの方が上手(うわて)のように思えてしまいましたもん。

高須

こうやって聞いてると、
「笑う犬」までにかなりいろいろやってたんやなぁ。

小松

そうですねぇ、実はいろいろやってたんです(笑)。
「笑う犬」がはじまるきっかけは、
「スマスマ」をやりつつ、「カトリ」の準備をしてた頃でした。
「ひとりごっつ」も終了するタイミングでしたね。
ウンナンが所属してるマセキ芸能社の田村くんが、
僕のところに来たんですよ。そーっと(笑)。

高須

そーっと、ね(笑)。

小松

「内村が、コントの番組やりたいって言ってるんですよ。
その時は、是非お願いしますね」って言われたんです。
その頃はそれがすぐに現実化するなんて思ってなかったんで、
「いいですねー、やりましょうねー」ぐらいのことでした。
そしたら、人事異動とかもろもろの絡みがあって、
「カトリ」と同じタイミングで「笑う犬」が始まることになった。
で、吉田さん(CXのプロデューサー吉田正樹氏)から
「おい、やるぞっ」って言われて、
えーっ! ですよ(笑)。
もう、バッタバタで忙しいなんてもんじゃなかったですね。

高須

嬉しいけど、そんなんいきなりやれんのか?ぐらいの
勢いやな(笑)。

小松

会社は新番組立ち上げようとしとるとこで、
何余計なこと始めんねんって感じで、
業務命令っぽくやるなとか言われたんですけど、
でも、あの頃は本当に「コントだけの番組」っていうのを
やれることが嬉しかったから、それだけでやってしまいました。
立ち上げのスタッフの数は少なかったですけど、
とにかく成立させられるってことが
奇跡みたいなことでしたから、それだけで嬉しかった。

高須

いや、でもアレを当てて、きちんとゴールデンに持っていったのは
すごいよ、ホントにすごい。

小松

でも、最初すごく数字悪かったんですよ。

高須

そうだったの?

小松

そうは言っても早かったんですよね、数字上がってくるのが。
11時台始めてから、一ヶ月ぐらいで7パーセントから
コンスタントに10何パーセント取るようになりましたから。

高須

どのへんにターゲット絞って作ってたの?

小松

自分に近い同世代の日常感覚。とにかく普通の人ですね。
意識してたんです、ちょっと甘めの……というか、
ふわっとしたものを作ろうっていうのが内村さんの
意向としてもありましたからね。
ネプチューンはまだその頃、
「こういう笑いがつくりたい!」っていうビジョンが
見つけられてない感じでしたね。

高須

育てていくの、大変やった?

小松

最初のうちは、もう全部自分で演技して教えたりとかしましたよ(笑)。

高須

でた! 小松式演出(笑)。

小松

めちゃめちゃイヤな奴やったでしょうねぇ、ネプにしてみたら。
やってても、おもろなかったでしょう。
だけど、今彼らに僕の持ってる引き出しをぶちまけておけば、
きっとすごくなれるはずだって勝手に信じ込んでましたから、
そこはもう憎まれ役で結構! と割り切ってやってましたねぇ。

高須

だけど、その事がネプにとってもすごく良かったわけやし。
今、あの3人、ちゃんと演技できるやんか。
それって、ものすごい財産になってるし、武器になってると思うな。

小松

あと「笑う犬」を作る時に意識したのは、日常感覚でした。
「ごっつ」の時は、日常感覚なんて関係なくて、
ただただジーッと目を閉じて、一生懸命深層意識を探って
笑いを引っ張ってくる作業でしたけど、
逆に「笑う犬」では、自分が日常でふと気になったことを
少しずつ掘っていって笑いの要素を見いだしていく、っていう
感じでしたね。

高須

俺は、自動販売機の前に二人居る、あのコントが好きやねん。

小松

『トシサチ』ですね。
あれは僕の住んでる大森の雰囲気なんですよ(笑)。
梅屋敷の方の産業道路とか行くとね、ほんまにまだあんな感じの
ヤツらが生息してるんです。軽トラの荷台にああいう連中が
いっぱい乗って騒いでるのと、車ですれ違ったりするんですわ。
ちょっと尼崎とか僕の育った西宮の南の方にも似てるんですよね。

高須

なるほどねぇ。その辺が反応してるんかもな。

小松

ずっとキツイ笑いばっかり作ってきたんですよ、僕。
劇団時代も、ごっつとはまたちょっと違う意味だけど
きついのばかりでしたから、そろそろ、ふわっとした
日常のおもしろさみたいなのを表現してみたかったんです。
そのコントにでてるキャラクターを、
僕が心底愛してるんだってことが
伝わるようなものをやってみたかった。
小須田部長もそうでした。
あのキャラ、まるっきり僕のオヤジなんです(笑)。
てるとたいぞうも、まぁ純愛ってのを笑いに昇華したものですし。
愛してるキャラ、愛せるキャラっていうのが
自分の中でのテーマだったかもしれませんねぇ。
自分の中のあったかさの部分を表に出してみるのも、
悪くないんじゃないかなぁ、と思ったりしてました。
愛が伝わるように(笑)。

高須

大事なことやなぁ、キャラへの愛って。
それが上手に番組が発展していく上で、戦略として、
プロデューサーの吉田さんの考えともシンクロしたんやろなぁ。

小松

そうですね、キャラクターが立っていってくれなければ、
イベントとか、グッズとか、ネット展開とかも
あり得ませんでしたからね。

高須

コントの生きる道っていうのを、上手に辿ったんやなぁ。

小松

あとは、あの番組を見てることが「ちょっとかっこいいことだ」って
視聴者に思ってもらえるように、と意識して作りました。
コントの画面は洒落た感じにできませんけど、ネタの目線とか、
そうじゃないところのオープニングやら音楽やらパッケージングの部分を
僕らの世代なりのちょっといい感じにしてみる。
そういうことが、まあ上手くいったんでしょうねー。

第6話へつづく

ディレクター

小松純也 さん

1990年 株式会社フジテレビジョン入社 第二制作部=バラエティ制作センター
2010年 バラエティ制作センター企画統括担当部長
2012年 株式会社スカパーJSAT 編成担当主管
2014年 フジテレビ バラエティ制作センター部長
2015年 現場復帰を願い出て、株式会社 共同テレビジョン 第二制作部部長・プロデューサー(現職)

演出
2001年 2005年 FNS27時間テレビ総合演出
ダウンタウンのごっつええ感じ 
一人ごっつ・松ごっつ
笑っていいとも!
初詣爆笑ヒットパレード
他多数

企画した番組(兼ねて制作・チーフ演出含む)
フジテレビ現行
ホンマでっか!?TV
IPPON グランプリ
THE MANZAI
芸能界特技王決定戦TEPPEN
さんタク
さんま中居の今夜も眠れない
        
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